チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

高倉健主演の映画

2022年02月14日 09時30分17秒 | 日記
いまBSで日曜日に高倉健主演映画が放映されている
彼らが大活躍のころチャ子ちゃん先生日本映画を一切見ていない
生意気盛りで、西欧の文化は尊く、日本は文化度が低いと「洗脳」されていた
その延長で日本映画に興味を示さなかったのだ

この洗脳は着物を着はじめ、着物関係者に取材をしていく段階で
「日本は世界一文化度の高い民族だ」
と解けていく

見なかった日本映画がテレヴィで見られるのはありがたい
昨日は「大雪予報」のおかげで予定が消えて、「駅」という映画を観た
先週も予定が消えて「遥かなる山の呼び声」を観た
双方とも高倉健と倍賞千恵子共演、更に舞台が北海道、「駅」の監督は降旗康夫、倉本聡脚本「遥かなるーー」は脚本監督山田洋二、1981年と1980年。二人の監督の表現が微妙に違い、その違いが心地よかった

この時代の映画は見終わった後清涼感が残る。どうしてだろうと思ったら、作る人も演じる人も心が一つになっている大人集団だからだ。小道具のひとつ一つに配慮を感じ、セリフにも、動きにも「情」をどういう表現にしていくのか、「情」が絡まってくるとカメラは北海道の雄大な自然を見せる

映画を作る人たちの、作り上げていく喜びが手にとるようにわかる。日本人はこういう映画つくりをしていたのだと、いまさらのように映画人を尊敬する心が自分の中に生まれた

2月26日(土曜日)12時から始まる
「比佐子つれづれ」
今回は元東映の宣伝部長 福永邦昭さんをゲストにお迎えする
日本映画華やかなりし頃の宣伝部長から、映画つくりの俳優や監督またスタッフなどの動きや心根の話を聞くのが楽しみでもある

福永さんは定年後も角川映画に携わり、今も角川春樹さんの本のプロモータをなさっている。今頃日本映画に目覚めているチャ子ちゃん先生の師匠
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みんな天才

2022年02月13日 09時30分40秒 | 日記
「自分」に自慢できることが一つでもあればその人は天才
「人」に自慢できることがあると思っている人、その人は型にはまった人
人の子は形にはめられて育ってきた。色いろ義務付けられながら
タガを外して生た人は「変人」として社会から疎外されてきた

型どおりに生きた人は尊敬され、社会的に有名になり、お金も稼いで豊かな生活を送っている
こういう世の中がいま終わりを告げようとしている
おもろい時代に入った

社会の敷いたレールに乗らなくても
自分自身が喜びを持って生きると思えば自由は100%手に入れられる
そんな世の中になっていること、速く気が付くといい

この時代、個人でいろんな自己表現、自己発信の場が与えられている
昔よく言われた言葉がある
「ナカタニサンもっと雑誌やテレビに出て名前を売ってください。そうするとお客様がわんさと寄ってくるんです」(客寄せパンダになれという)

若い時から「虚像や虚名はいや」という気持ちが強かったので、自らを売り込むより人を前に推し進めることが得意だった
後にそれも間違っていたと氣が付いた
というのは前に出された人は自分の実力を過信して、其の過信のまま世の中の人を導き、間違った人たちを作り続けてしまっている

実力もなく、誠のない社会で作られた人たちが、名を成している現場を見続けていたせいで、本物を探せた時の喜びは大きい。しかしその本物の活躍の場は今までの社会では閉ざされていた
その為に
「あなたはほんものですよ」と誰かに言ってもらわないと自ら認められない
うん、認めてほしいと思うことがもう本物ではないかもしれないな

誰もが本物の人生を歩んでいる
自分に自慢できることで、みんなとその才能を共有しながら生きて行く。一人一人が輝く時代に入ったこと祝福しよう

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本当にほんとうに「本物の時代」の兆し

2022年02月12日 09時58分21秒 | 日記
友人の嶋田恵子さんたちが立ち上げた
「ゴールデンクロスサロンに素晴らしい「電気スタンド」が飾られていて、心惹かれた(FBに写真を上げている)
余りにもチャ子ちゃん先生がしつこく見ているので、社長が説明を始めた
作者は名もなき職人さん
北海道に住んでいて、種から瓢箪を育て(北海道ではあまり大きくはならない)其の瓢箪をくりぬき細かく手作業で柄を彫っていったものだという
裾から電球を入れ灯をつけると、彫られた柄が壁に美しく影絵となって映る

美しい
温かい
やさしい
心が和む

制作者の真心が伝わってくる

養蚕や織や染の世界に長く身を置いているので、本物の手仕事のすごさを見る目が養われていることにこの度感謝

本物づくりの手間暇は大変だと傍から察するのだが、本人はとても楽しそうにいとも簡単に仕上げていく、その簡単に見えるところが名人そのものなのだが
本人は涼しい顔をして完成させる

こうして日本のあちこちに「本物」を作る人が台頭してきた
そういう方はひっそりと心行くまで気に入るものを仕上げているのだが、その本物に巡り合えるご縁をいただくのも、本物でないとダメだと思う

このサロンには本物が集まるようになっているらしく、驚いたのはコツコツと研究を重ねた工学学徒の、難聴が見事に解決するペンダントや(それも15分で)頭皮の薄い人が2週間で髪の毛の誕生などなど、人の役に立ちたい、ただその気持ちだけで、得意分野の才能を花開かせて地道に研究実験を繰り返した本物づくりの人々の清らかな波動が、ここに漂っていた

日本って凄い国なのだと感じる
鄙びたところでも、本物づくりの名人たちがきちんと育っている。その品はシンプルで美しく使い勝手がよく、しかも納得の値段

人も物も本来日本こそが本物の国

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無料の落とし穴

2022年02月11日 10時01分06秒 | 日記
「お金なんか要らない!」
とチャ子ちゃん先生は思う癖がある
しかしこの世はお金なくしては一日も暮らせない
その現状にありながらお金儲けがまるっきりできない
つまり原価計算ができない
よくも36期も株式会社を続けてこられたものだ。一重にスタッフのおかげであった。と今更感謝しているが

さて
「ただほど怖いものはない」
という言葉もある
現実に着物の着付けをただで教えます。その裏に高い着物を買わせる商法(問屋などで売れ残りの見切り品)がはやり、それが蔓延して着物業界は自ら沈没していった

真面目な呉服屋は苦しかった
義を持つ問屋も苦しかった
何より職人の手仕事が見放されていった
この三つはすべての業界に通じたこと、そして今がある

誰かが
「お金はエネルギー」
と言い始めた
エネルギーの交換があって初めて循環経済が成り立つ
生産、分配、消費のエネルギーの循環、これがうまく回ればみんなが潤うし、成長もできる

ただとか無料で何かを配るのは、相手とのエネルギーの交換を拒否するもので、双方の進化も妨げていく
与えたほうと受け取った側の上下関係が出来てくる
双方が対等にならない限り、そこに平等という平和は生まれない

無料という誘惑に私達は自由や自立を失っているのかもしれない
また「もの」に対しての「禮」も失っているのかもしれない
「お金で何でも買える」
「お金でどんな人も動かせる」
「お金を持っていると尊敬される」
「お金の力で権力が買える」

この束縛から離れたとき
お金が本来の輝きを持つのだろう

しかしもう間もなくお金のいらない世界が来る


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世界文明総図

2022年02月10日 09時28分17秒 | 日記
今は100年のクロス期 1975年から2075年まで続くという
村山節さんの「波動進化する世界文明」博進堂刊
という薄い本を手渡されたのは1989年バブル真っただ中だった
バブル期は1986年から1991年の約5年間、その少し前1980年前半チャ子ちゃん先生はTM瞑想を中野裕弓さんに教えられて熱心に精進していた。その時、毛皮や宝石の商人で都内繁華街に6店舗も店を持つ社長と再会し
「どうして社長が瞑想を?」
「世の中が全く変わっていくからね、きちんと自分の内部を整えなければいけない、チャ子は誰に紹介してもらったの?」
とにかくこれ読んでと渡されたのが件の本
その時ホテルのテレビはベルリンの壁が落ちたという映像を流していて
「本当だ!こうやって時代が変わっていくのね」

その本には1995年から日本の文明が世界の中心になっていくと書いてあり、村山節さんが鎌倉の八幡宮の境内を歩いている時、「歴史は直線の分析で始まる」という啓示を受け、家に帰り長い紙に世界の歴史を書き連ね研究し「世界文明総図」を完成させた

それが一つの文明の推移は1600年を基準にして100%正確に動いているということだった
いまはまだアングロサクソンの文明でその文明がぼつぼつ衰退に向かい、次に東洋に戻ってくる、前の東洋の文明は唐だったけど、今回は日本になる

その時
このバブルに踊らされている日本が果たして世界の文明の中心になれるのかしらと思い、巷の歴史学者はそんなこと誰一人も言ってないしなあ、と疑問に思いながらも大切に本箱に収めた

暫くして件の社長が社に遊びに来て
「このバブルはまもなくはじける、僕は店を二つに縮小、株も全部売る。そのお金でまず瞑想と霊気を無料で教え、みんなの意識を高めて”和道普及の会”を開こうと思う。手伝ってくれる?」

しかしながら集まった人たちの意識が整わず、会は自然消滅したが、今こそ日本にそそがれている世界の目を「和道」に導きたいものだ。日本文明中心期に向けて


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三日の絶食で70%の病気が治るという

2022年02月09日 10時17分49秒 | 日記
土曜日の夜調子が戻ったと思い、なんと煮豆を口にした
そうしたら明け方からまた腹痛と下痢
月曜日の朝
「今日はバレエのレッスンだからお腹に入れておこう」
リンゴのジュースを作って飲んだ
なんと午後から動くと下痢をする。此れではレッスンはできない。休むという電話をして、手紙書きに専念
幸い明日は何も予定がない一日床に伏した生活をしよう。もちろん何も食べず
そういえば
「どんな病気でも3日絶食すれば70%は治るよナカタニさん」
とおっしゃった医学博士がいた

土日月と3日ほとんど食べていない。火曜日は全く食べないでいよう
食べないだけではなく、本も読まない、スマホも見ない、パソコンも閉めたまま、電話にも出ない、もちろんテレヴィも見ない

ぼんやり何も考えない、何もしない一日を送ってみよう
これは生まれて初めての経験かもしれない
入院を3度している。結構忙しい、検査されたり、食事が在ったり、手術後すっかり弱っていても熱を測られたり、声をかけられたり

何も考えない
というのがこんなに難しいことだと思わなかった
昔蓮村先生が
「人は一分間に10個以上なんか考えている動物だよ。頭の中は超多忙なんだよ。だからシロダーラをするといい、とくにナカタニさんはね」
(シロダーラはアユルベーダーの療法で、第三の目に油を一時間ぐらい注ぐ)

という会話を思い出したり、頭の中はふつふつと過去のことがわいてくる。失敗も全てが愛おしい。細かい会話まで思い出してしまう

白湯だけ飲んで過ごし、あとはぐーたら寝ていた一日
白湯の作り方
薬缶に水を入れ沸かす
沸騰をしたら蓋を取り
弱火にして10分
(換気扇を回すとよい)
熱いうちに飲むということはポットに入れておくとよい
「火の気と 水の気と 風の気」 つまり宇宙の気が体の中に入り細胞をきれいにして免疫を上げてくれる。昔のお母さんは子供が風邪をひいいたり、お腹をこわすと白湯を飲ませていたよ





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着物が繋ぐもの 473

2022年02月07日 10時34分50秒 | 日記
着物を着ていると体が整う
実感として思う
この度の腹痛も着物を着ている時は腹痛が起きない
つまり内臓を帯で温めていることがっよくわかる
体は温めることが一番

「着物は寒いでしょう?」
「着物は暑いでしょう?」
そういう気遣いをいただく
しかしきものはすべて逆
冬は暖かい
夏は涼しい

その秘密は着物の素材と形にある
冬は蚕の吐いた繭の糸をたっぷり使う。空気を保存し温める役目をしてくれる
夏はその糸を風通しの良い織方にして風を通す
形は八枚のパーツを繋いで着物の形にしているので、空気孔が八つ出来る、その空気孔が体を守る重要な構図

だからその空気孔をふさいでしまうような補正は最ももったいないこと
大体補正を重要視する人達は、着終わった姿にしわが出来ないことを望む、しかし絹はドレープの美しさが身上、絹は取り扱いがむつかしい、汚れたら自分で手入れできないと決めつけてしまっている

汚れないようにとガード加工する人も多い
チャ子ちゃん先生は汚れないように自分自身の立ち居振る舞いに気を付ける。それでも汚す。その時はすぐ水で落とすか、洗いはり屋さんに出す
お金がかかる。だから丁寧に扱う。その丁寧さが美しい立ち居振る舞いになってくる。毎日を丁寧に暮らしている人は落ち着いていて美しい。その方の傍にいるだけでゆったりとした気分になる

そういう方はそこに存在しているだけで、世の中に静寂を与え、人を落ち着かせている、素晴らしい社会貢献
何かをしなければとわさわさ動き回るのではなく、着物を着て町を歩いているだけで、人に心に豊かさを与えられるということ、それを着物を着る方は自覚すれば、着物の着方ももっと違うものになるかもしれない
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久しぶりの腹痛

2022年02月06日 12時17分46秒 | 日記
「私は健康だけが取り柄」と図に乗ていた。そうしたら「こつん」が来た

それを口にするとき頭によぎった「食べない方がいい」
しかしその思いを押しのけて「おいしく」いただいた
所が明け方
経験をしたことがない腹痛「あっやはりあれが当たった」
嘔吐と下痢と腹痛

昨日は美しく輝いている淑女たちとの「ランチセミナー」が控えている
さあ――どうする

「ハンセイします、ちらりとよぎったお知らせを無視しました、今体は全身でその毒素を出してくれています。ほんとうに体に感謝です。ごめんなさい変なものを入れてしまって、心から反省します」
とつぶやきながらエビのように丸くなって横になっていた

しかし下痢は続くのでトイレとの往復ですっかりからだも冷え切った
白湯を飲んで浄化に余念がない
出かける時間になって少し落ち着き、着物を着て会場へ
当然一緒にランチを取ることはできず、一人別部屋で味噌汁をすする

セミナーが始まりそれと同時にお腹も収まり、お腹の痛さも忘れて楽しく3時間。さらに席を移してみんなでワイワイおしゃべり
気分良く帰宅
少しはお腹に入れたほうがいいかと「頭で解釈」してリンゴをすりジュースにして飲む
これが違った
まだお腹を干していなければならなかった
「ごめんなさいお腹さん勝手に頭で解釈してーー」
と謝ったが下痢は続く
「まあ出すだけ出してゆっくり休もう」

「イヤー変なものが入ってきたぞ、みんなで協力して追い出そう!」
体の細胞すべてが一致団結して追い出してくれている、その作業をとめるわけにはいかない、これが自然治癒能力と。いうのだろう。体に感謝それしかない

人が頭で考えることって害が多い。また大いなる知恵に教えられた
然も今日は休日 別大マラソンでも見ようっと



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新春のお喜びを申し上げます

2022年02月04日 11時01分03秒 | 日記
「立春大吉」
立春が「お正月」時代もあった
そうすると梅の芽吹きが始まっていて、陽光も穏やかになり「初春」とか「迎春」という言葉の響きが自然に出てくる
日本人は太古の昔から、自然にいろんなことを教わってきた民族なので、太陰太陽暦の暦が一番体に合っていたのかもしれない

風水では四立、立春、立夏、立秋、立冬を志を立てる日というように決めることが多い
風水を占いと思う方も多いが、風水は自然循環を整えるということが一番の大きな基本で、整った場所に住むことによって、自分自身の心体も整えられる、つまり自然治癒力を高めることが出来ると考えられた学問だとチャ子ちゃん先生は思っている

自分自身が整うと、周りも整い攻撃i事でnあることは自然の摂理とも同調できるので、すべてがうまく運ぶことになる。これは本来持っている自分自身の正しい道が整うということかもしれない

話は飛ぶが
自然の循環を中心に動いていた江戸時代まで日本人は、明治5年に決められたグレオ歴、つまり太陽暦をいきなり政府に押し付けられ困惑したと思う
太政官府告令は明治5年11月9日に発令されて、今まで使っていた太陰暦は明治5年12月2日までとなった
翌12月3日から明治6年一月一日となったわけで、この時代に生きていた人々の困惑は想像するに痛ましい。太陰暦は「旧暦」となって存在するものの、日常ではすっかり太陽暦グレオ歴が定着

改暦の陰に政府の経済的思惑もあったという文書も残っている
つまり12月をなくして一か月分の給料を支払わないようにしたという話もある
本来12月は丑月であったのに、今は一月が丑月になっている

2000年以上も続いていた太陰暦を一瞬に反故してしまう政府の蛮勇、これってすごい
しかし「旧暦」は「月歴」とともに未だに生かされている。女性の生理は月の運行に影響をされていることを知っている人も多い
「迎春のお喜び申し上げます」

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節分ですね

2022年02月03日 09時43分46秒 | 日記
鬼遣い(おにやらい)というのが古代からの言い方らしい
縄文人を鬼としておいやった
暦が陰から陽に代わる日、陰を鬼とみた
鬼は異邦人
鬼は自分の中の我の心
鬼は他の宗教
鬼はイエスキリスト
鬼は自分の弱い心
鬼は過去の悪習
京都の鞍馬山の鬼が都に出てきて悪事を働きそれを抑えた
また
人に襲おう不孝を鬼に鎮めてもらう

などなどいろんな説があって面白い国だ日本は

節を分ける、冬から春の芽吹きに代わっていく暦の中で、春の明るさを祝う祭りと考え、元々は五穀の豆をまいたのが始まりともいわれている
農業国の日本は農作物の種を植え始める春を迎え、まず五穀の神様に感謝、土の神、太陽の神、雨の神、空気の神など八百万の神様に向けて収穫の喜びを先に感謝の気持ちで示す
それも節分祭の一つ

チャ子ちゃん先生の子どものころは、家の主である父親が黒紋付羽織袴の盛装で、家中の戸を開けて「おには外、福はうち」と声高らかに豆をまいていたのが記憶にある
私もきれいなおべべを着せてもらっていた、先日その時の写真が姉の遺品から出てきたけど、寒いさなかで寒そうな不機嫌な顔をして、桝をもっていやそうに立ってる姿に笑ってしまった

豆は日暮れまでに炒って、三宝に入れて神棚に供え「戌の時間」に撒くという決まりもある。神社では「未申」の時間に歳男が撒くという習慣がある
最近は女性上位で「年女」という言葉も頻繁になったけど、本来は「歳男」または「家の主」のお役目だった

豆は鬼の餌、ということだけれど、昔は五穀で栄養たっぷり、今は大豆のみになってしまった、鬼は満足しているだろうか?

花柳界ではこの日「お化け」を楽しむ風習がある
男が芸者になったり、老女が舞妓の衣裳を身に付けたり、さながらお化け集団で大騒ぎしながらの鬼退治、自分の中の鬼を退治するのであろうか、客も一緒になって化けで楽しむので、店は繁盛福福しい

花柳界の遊びが一般化してこの日鬼が消えていくといいね


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