チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

結果がすべて❓

2023年03月18日 09時05分10秒 | 日記

先日の野球についてもう一言

確か満塁でツーアウト、ツーストライク、スリーボールで監督はすかさず、全く迷いもなく大谷を降板させた

「勝ち」を取るには当たり前だろうけど

評判のピッチャーだ「最後の一球」に渾身の力を振り絞ったストレートで三振にしてほしかった。はらはらしながらもそういう姿を見たかった!見せてほしかった!それだけ力のある選手なんでしょう?

 

そういう場面は広島カープの優勝の時江夏がそれをやった。全く同じ場面、しかも優勝が懸かっている。古葉監督は表情一つ変えず江夏に続投。あの涼やかな顔も印象に残っている

監督は選手の性格をしっかり把握し、窮地に陥ったとき力を発揮する選手、逆に委縮してしまう選手を見極めて、チームを率いていたのだろう。人の内面、自分の内側をよくわかってないと出来ないよな

 

最近野球が面白くないとチャ子ちゃん先生は思っているが、これだった!

打ち合いだけのお祭り騒ぎになっているから全く面白くない。いやその方が面白いという人も多いだろう。からっとして結果が分かりやすい

此れってあらゆる場面にあることだ

結果は早い方がいい、その途中の経過を楽しむという感覚は少なくなっている

勝ち方教えます

稼ぎ方教えます

富豪になる方法教えます

痩せる方法おしえます

美しくなる方法を教えます

この薬を飲むと頻尿が治ります

この薬で男としてよみがえりました

などなど世の中は早い結果が出る方法を教える人があふれていて、そういうセミナーには人が押し寄せる

 

地道に一歩一歩自分で学び成長してしっかり根を生やしていくというのが、本来の日本人の生き方だったけど、結果が見えないと不安、結果がどうあろうと今やるべきことに集中する、そういう気概がいろんなところから消え失せてしまっているのだなあ、と久しぶりの野球を見て感じた次第

 

だから悪いではなく、其れも時代なのだろう

 

 

 

 

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大谷ってかっこいいね

2023年03月17日 10時29分50秒 | 日記

ここ何年も野球を見ていない

「野球見てください日本中の人が応援しているんですよ」

(べつにーあまり興味ないしー)と心の中の答えだが、そこにいた男も女も熱きまなざしで進める

それで昨夜観戦

 

自慢すればチャ子ちゃん先生は野球のスコアをつけながら高校野球を熱心に見ていた少女時代があり

長じては「亭主の好きな赤烏帽子」でカープ女子の走りでもあり、あのカープ初優勝の時は狂喜乱舞

最も平安高校の衣笠を追っかけていたので、カープフアンになるのは当たり前かも

 

さらに言えば早実時代の王サンその王さんが巨人に入ったときに、王さんにインタビューした、新人同士だったので心が通じ、ますますフアンになった。その為広島・巨人戦は複雑、王さんがホームランを打ってカープが勝つというパターンを歓迎していた

 

とまあここまでjマン話(みにくいよね)

さて

大谷はかっこいい、光り輝いている。迫力ある投球姿勢がさらに人の心を打つ

一つのたまにあれだけ集中できるのは素晴らしい、体も大きいがそこに清楚な雰囲気を持ってるので、好感を持てる、さわやかな青年若武者、こういう人種が少なくなったので、ことさらいいと思うのだろうなあ

 

ストレートがさえていた、ちょっとカーブのような変化球を投げようとすると上に浮いていたね、其処を打ち込まれていたけど、キャッチャーとの呼吸もいまいちの様だった

でも久しぶりに野球を見て堪能

ここ度という時にホームランを打てる選手はやはり腹が座っている

真剣な顔はやはり見ていても気持ちがいい

日本人選手全員が輝いていたけど、これはきっと大谷効果なんだろう

本当のスターは存在するだけで周囲の人々に影響を与える

いい時間だったわ

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驚いたなあもう

2023年03月16日 08時55分11秒 | 日記

とにかく毎朝掃除をする(当たり前か)

トイレの掃除も欠かさない、これも当たり前だ

水に溶けるトイレの雑巾とやらは決して使わず、ここでもシルクの布で便器を洗っている、手を突っ込んで

所が昨日

他に思いがあり手の動きと頭の動きがちぐはぐだったらしく、あろうことかその絹の布を流してしまった

「きゃー」

と慌てて手を入れてみたがもうはや遠くに行っている

すぐ管理事務所に行き事の次第を告げると、バケツと布を挟めるの道具をもって駆けつけてくれた

「これは業者に頼みましょう」

とオジさんギブアップ

 

業者さんはこのマンションの管理会社を通して頼む決まりがあるというので、まず管理会社に電話をする

折り返し業者さんから電話

ここでも事の次第を報告すると

「8000円現金の用意をしてください、一時間後に伺います」

 

お客様に

「しばらくトイレは使えないけど」

断って待つ

 

そして一時間後業者さんがやってきて、工事を始めた、其処へ彼の携帯にベル

「あの管理会社からで、2万円かかるけどやりますか?といっています」

「8000円っておしゃっていなかった?」

「管理会社の方から請求書が出るといっています。2万円かかるというのを承知していただかないと直せないのです」

「承知するもなにも、私のミスなのだからお金は私が払うのは当り前ですわ、しかし8000円がどうして2万円になるのかしらね!とにかく直してくださいお願いいたします」

 

現場のおにいちゃんにあれこれ言っても仕方がない、業者さんがうっかり元値を告げたわけでしょうし、とにかく直してもらうのが先決

 

世間に名の通った管理会社のアコギな一面。だから名を成しているのだろう

「直りました水を流してみてください、つまみもゆるくなっていたのでついでに直しておきました」

「ありがとう、それにしても管理会社は泥棒ね!」

おにいちゃん苦笑い

「やはり便器は布を使ってはいけないのかな、あの水に溶けるなんとやらというのを使った方がいいのね」

「いえあれも実はかんたんには水に溶けないのですよ、たくさん使うと詰まります、やはり布で丁寧に洗っていただいた方が便器も喜びます。こちらはさすがにきれいです」

(ホホほ絹で洗ってるもんね)

 

世の中一事が万事こういう日常のことまで簡単にいかなくなってしもた

大きい所に吸い上げられる構図

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人が消えていくということ

2023年03月14日 11時54分21秒 | 日記

病床にいるときか細い声で「ナカタニサンに会いたい」と訴えていると聞いて、チャ子ちゃん先生すっ飛んで赤穂に赴いた

普門寺住職「藤本恵祐」さん。ココ20数年様々なことを話し合ってきた

主婦業から一転比叡山にいき、天台宗の僧侶となって46年

その時末っ子の息子が10歳であったという。その息子さんが

「お母さんがお山に行ってしまうと誰が一番喜ぶの?」

と泣きながら母に聞いた

「神様が喜んでくれる」と母

「ならいいよ僕応援する」

 

しかし母はその息子に常に心が行っていた

「僕の母からみんなの母になった」

という息子さんの感覚はどこかに母を求める気持ちがあったと思うし、10歳の子から離れた母の心もまたその子の気持ちをいつも気にかけていた

 

そういう母の心が信者さんたちへの「慈悲」に向かい、居心地のいい寺になっていて、あらゆる宗教の人たちが普門寺に集まり、人としての生き方について語り合っていた

 

同世代しかも誕生日が同じということで初対面から肚からの友達になっていたに幼い心が

幼い頃の空襲の話の中で死んでいる妹を負ぶった幼いお兄ちゃんが「妹に水を飲ませてあげたい」と水飲み場に行く様子、死んだ赤ちゃんに一所懸命乳をのませようとする母親の姿、そういう戦争中の光景をまだ6歳の恵祐さんは見続けて、こういう世の中を終わりにしてみんなが平和な暮らしが出来るようにならなければ、と思いひそかに僧侶になる決心をしたのだという

 

チャ子ちゃん先生の方が2歳年上だけど、何たる甘ちゃんの幼児期だったのかと、戦争中の壮絶な出来事を見て、幼い心がもうすでに「人を救う道」に向かっていることに驚いた。やはり宗教人になる人は幼い時から「自分の道」を知っているのだと思った

 

其れにしても語り合ったことがあまりにも多岐にわたっていて、その思い出がありすぎて今は整理もつかない。その人が人としての肉体が消えてしまったということに、風が吹き渡るようなさみしさを感じる

 

 

 

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潮の満ち引き

2023年03月09日 09時28分02秒 | 日記

潮狩りの季節がやってきた

潮の満ち引きを見ていて「人生と同じだなあ」とおもう

それはタイの海岸での出来事だった

島の名前も忘れたが、この海岸は干潮の差があまりにも激しい

引いた時は10キロぐらいまで陸地になっていく

しかし満るときの速さは半端ではなく、どんなに速く走っても間に合わない

 

他国の私達はその速度が分からないので、海に入らないようにと禁止令が出ていた

「へーそんなの?」

と深く考えもせず堤防の上で潮の干潮を見守っていた

引くは引くはずんずん陸地になっていく、そのとき海の底に沈んでいたいろんなものがあぶりだされていく

海水パンツが在ったり、ブラジャーが見えたり、お財布のような革製品が在ったり、カップラーメンの器が出てきたり、貝の死骸、魚の骨、大きな岩などなどあらゆるものが明白になる

そしてあっという間に海が高くなって水がひたひたと押し寄せてくる、その速いこと。のんびり潮の引いた海底で遊んでいたらあっという間に命とられる恐怖も感じた

 

其れより

人は運のない時があると同時に「波に乗る」ときもある

干潮の差が激しい人は、それだけ大きな仕事もする人なのだなあと思った

干いたときあからさまなものが見えてくる、それは自分自身の恥部でもある。それをしっかり見て取り除くことが出来れば、満ちたとき悠然と波に乗ることが出来る

潮が引くときより、満ちてくるときの方が早い、その時を逃すと逆に波に飲まれてしまうのだろう

その島にはオーラソーマのていちゃー講習に1週間滞在していたけど、毎日海岸に出てその潮の満ち引きに人生を見ていた。そちらの方が勉強になったと思う

 

どんなにどん底にいると思っても、自分の恥部を一つ一つ丁寧に整理していれば、必ず波がやってくる。それの繰り返しが人生なのかなと思う。海底のごみが無くなれば常に美しい波に乗っていられる

 

この干潮の波を利用して鎌倉幕府を倒したのが足利尊氏(風水から解くとそうなる)

自然からの教えを真摯に受け取る人が人間世界でも賢く生きて行けるのだわね

 

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着物が繋ぐもの 513

2023年03月08日 07時50分25秒 | 日記

三月の初めの陽ざしには薄紅色の着物が合うと勝手に思っている

いくら何でもこの歳でー-という躊躇があるのだけど、手を通してみると「まいいか」

前に「大人pink」という言葉を作ったことが在る

それはグレイかかったpinkで日本語だと「灰桜」という

この色で江戸小紋を染めておくと帯を替えながら50年は着られる。すごい色だ

他にも紫がかった「真朱」(まそお)という色も「おとなぴんく」「鴇羽色」もいい

 

こういう色は奈良時代からあって、茜や蘇芳という植物染料で染められている

紅花のpinkは若い人向きのような気がする。下着にはいいけど着物になるとちょっと怖気つく

植物の出す色はその季節や風土によっても、また染める人の心根も影響するので、全く同じ色は染められないだろう。でも色に奥行きがあるので年齢を問わない包容力があるのも確か

 

そこへいくと化学染料は一定していて色が安定する。最近は本来の日本の色よりビビットな色を好む人が増えたいるので、化学染料で染めた色が着物の世界でも多くなった

化学染料での大人pinkも染色家の感性で作られれていく

 

先日東京手描き友禅作家たちの「染芸展」に行ったが、いつも思うのだが東と西の染色は全く違う。どちらがいいというのではなく、その違いが風土なのだろうか?

今日も東京は春の陽気、どこかにpinkを身に付けたい

 

灰桜の江戸小紋は一度姪の娘に「もう着ないから」と渡したにもかかわらず、取り返してきている(笑)

 

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矢切の渡し

2023年03月06日 07時48分40秒 | 日記

「野菊の墓」伊藤左千夫の小説の舞台がここ矢切の渡し

淡い初恋の物がたりで、野菊のような君がこの渡し船で去っていく

チャ子ちゃん先生の年代の少女はこの小説に涙し、確かに映画にもなった

 

というしっとりとした思いで矢切の渡し場に行く

同行の若手は流行歌の「矢切の渡し」を口ずさんでいる。初めて聞く歌だといったら

「細川たかしで歌ってすっごく流行ったんですよ」

「そうなの」

 

矢切は千葉の地名で今は松戸になっている

ここは縄文時代の遺跡が出たところ、戦国時代北条氏里美氏の戦場の場で、矢が飛び散ったことで「矢切」という町名が出来たと、前に松戸に住む友人に聞いたことが在る

その矢切町と柴又を渡す船は江戸時代にもうすでにあったようだ

 

今は柴又の方が有名になってしまったけど、それは「フーテンの寅さん」の映画のおかげカナ

川を渡っていて感じたことが在る

川は本来縦に流れていて横を渡っていくのは大変なことなのだなと、舵を取るというのはこういうところから来ているのか。無理に横に舵を切らなくても、流れに沿って行けば早く楽に行く、無理に向こう岸に行こうとするから、力がいる。

でも無理をするからまた違うものっ見えてくる

 

更に思ったのは

人が死んで向かう岸辺が必ずあるのだな、という感じも持った

人の死というのは、ただ自分のいる場所が変わるだけ、対岸に行くだけ、だから「彼岸」というのかしら

こんなことを思いながら水面を見ていた

 

恋しい人が対岸に行ってしまった野菊の君

小説家って着眼が深いね

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一日遊んだ

2023年03月05日 09時51分04秒 | 日記

「柴又に美味しいウナギ屋さんがあるんですが、行きませんか?」

K氏からお誘いのあったのは1っか月前。3月4日が一日同行の人とも日程があい、3人で出かけた

「フーテンの寅さん」の映画は知っている。映画館でリアルには見たことがないが、BS映画で何本か見た

人情味あふれる映画で、ひょっとしたらこれからは寅さんのようにトランク一つで生活するという意識なのかなあ。と思ったものだ。それに「ただいま」と帰れるばしょがあるという家族のいる温かさ、もちろん血がつながっていなくても「御帰り」と迎えてくれる人々がいる心地よさ

そういう感覚を映画から受けていた、其の地に行ってみようとまでは思ってもみなかった

「比佐子さんは食い物で釣るのが一番」

と昔から言われているが、正しく「うなぎ」の釣れれてドライブを兼ねてGO-

 

認識が甘かったのは、柴又は江戸川を抱えている

だから川魚を扱うお店が多い、昔はウナギもいたのだろう。ウナギ屋さんの多いこと、更には川魚の甘露煮等の専門店

手焼きせんべいの店、手作り飴のみせ、自家製の漬物や、もちろん「とらや」の草餅、更には本告の彫刻

うわーとテンションが上がる、あれもこれもと買いたがるチャ子ちゃん先生に

ちょっと待った

まずは「帝釈天」にお参りしましょう。と促され「ハイ」と素直に従う

ところが

正面の松を見たとたんまた「きゃー」とにかく風水的に満点の松、すごい凄いとお参りも忘れてはしゃぐ

「まずお参りを」

「ハイ」 

促されお参りした後、裏側に行きましょうと廊下伝いに歩を運ぶと、なんとこれまた広々とした庭、庭の松の配置がこれまた完璧、当たり前だけどー--大きな亀が甲羅干し、頭を巡らして私達を眺めている

真鯉が寄ってくる

「鯉こくのお店もあったねえ」

 

さらに進んでいくと「彫刻の部屋」仏さまたちが如何に慈悲深いかを細かい彫刻の技術で表現している見ごたえある芸術品。江戸時代疫病、難病を直したという帝釈天の歴史もうかがえる

続きは明日

 

 

 

 

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最近のお辞儀

2023年03月03日 09時48分58秒 | 日記

お腹に両手を持って来てその手を重ねてお辞儀をする

なぜ?

洋服でも着物でも、男までみんなあのお辞儀

「あれって韓国式のお辞儀だよね」

と友人が言う

「日本には日本式のお辞儀があるよ」

それは、真・行・草という三段階に分かれたお辞儀作法がある。これは大体家庭で教わるものであるが、最近は家ではこういうことは教えないらしいのね、だから社会人になって「礼法の先生」とやらを招いて、社員に教える。その先生が他の国のお辞儀を教えたんではどうしようもない

 

先日世間ではあまり評判の良くない宮家のご長男が、伊勢神宮の参拝で、この三つのお辞儀を適材適所で行っていて、「いいなあ」と思った。きちんと教育されているのだろう。お辞儀が美しい

 

頭をっ下げるというのは、お相手に全くと敵意がないこと、尊敬しているということを示すと教えられた。握手は親しさを表すと同時に、手に武器を持っていれば相手を傷つけることもできる。ましてや抱き合うのはまさに危険をはらんでいる。日本のお辞儀というのは美しさと相手に対する敬意も表す。日本ってそういう国なんだよ

 

現皇后陛下はよく外国のお客様と抱き合っているが、彼女は日本のお辞儀の教育は受けていないのかな?現代的だと評価は高いくて人気もあるー-それが時代かも

 

真のお辞儀は神社で行うような90度のお辞儀、行は「初めまして」のような丁寧なお辞儀、45度。草は「会釈」ニコニコっと笑って頭を下げる。その時両手は脇にあって自然に手が前に出ていき手を重ねる、あえて胸元やお腹にもっていかない。

「お辞儀は?」

子供のころ大人に会う時必ず親に言われた言葉だ、そうして実戦で覚えていくのが日常の礼儀作法。お辞儀一つでその人の人となりが図れる

 

ある時一流ホテルの喫茶ルームに行ったとき、ウエイトレスが例のお腹に両手を当てるお辞儀をして「ご注文は?」すかさず一緒にいた友人が

「そのお辞儀何とかならないの?」

「はー?」

そのあと

「コーヒーでよかったですか?」

「いいに決まってるでしょう?そう注文したのだから、日本語もおかしいのね?」

「はーあ?」

その店の責任者に後で話をしたら、「すみませんでした」というものの注意している内容の理解はしていない顔だった

 

日本が段々遠くに行く

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力いっぱい働きそれでよし

2023年03月02日 10時20分54秒 | 日記

へんなの?

昨日書いたブログが記事一覧から消えている

ここの所、神棚が落ちる、パソコン、コピー機の反乱で悩ましい日が続いている

こういう時「何を注意したらいいの?」と思う

一つ一つ自分の行動を検証する

 

「持ちすぎたもの」に対しての注意ということもある

「いい気になりすぎた」ときの「こつん」で頭をたたかれ、反省を促さられる

「うまくいっている」ということで、地道に足元を見てい

神棚が落ちたことは、「この場所ではないよ」ということだと思う。早急に場所がえだ

神棚をよくよく見たら、梁の下になっていた。風水師でもあるチャ子ちゃん先生としては、何たるお粗末。よくぞ今まで我慢してくださっていたものだ、堪忍袋の緒が切れた!という感じ

 

いま世の中も

権威や権力を持ちすぎた人

お金を持ちすぎた人

物を持ちすぎている人

富にうずもれている人

我欲がすべて満ち足りた人

そういう人達への厳しい天の裁きが始まっている

 

船に乗って片方に人が集まれば転覆するのと同じ、なにごとも「持ちすぎ」は人を破滅に導く。今それが世界中で見せられている現状

 

そういうとき

自分の仕事をただ一生懸命やってそれでよし。という感覚でいることが一番大事かと思う

結果を考えて頑張るのではなく、昔の人が言ったように

「今目の前のことを一所懸命やっていれば、結果は後でついてくる」

 

なんてね

自分に言い聞かせながら

細かく起きる不都合な事柄に注意をしながら一日を過ごそうと思うチャ子ちゃん先生

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