チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

きものを識れば日本が見えてくる 12

2024年05月08日 09時13分50秒 | 日記
気温に翻弄されている
明治の衣服礼で「衣替え」の規制があった
6月から夏物、10月から冬物
これらはすべて「制服」を着る人に当てたもの
その当時は軍服、学生、官吏、駅員、車掌、郵便配達、使用人など、定められた衣服に手を通す人たちに決められた法令だ
それがどういうわけか終戦後、あちこちにきものの着付け学校ができた時、きものも6月から単衣、10月から袷という衣替えを作った
そしてその決まりをまじめに守っている人が多かった
昨今でもまだその教えは生きているようだ

きものの衣替えは本来6回あった、それだけ日本の気候は精密だったということ
綿入れを着る、綿を抜く、重ね着をする、単衣になる、薄物になる、素材を麻に
などこうやって気温に合わせて細かくきものの仕立ての種類、素材の種類を変えていた歴史がある

そして目安は四立、立春,立夏、立秋、立冬、それに二分春分、秋分などの暦が参考になっていた

きものが日常着であったから、そして自然を友にしたからこのような衣替えが行われていたのだろう

温暖化といわれる昨今にこの習慣はそぐわなくなっている
というよりもっと前からおかしいのだ
酷暑の場合逆に体全体を布で覆う方が涼しいということがある。これは熱暑の国の人が頭から布をまとっている姿でわかる

しかしまだまだ規則を守りたい人たちがいるらしい
そういう人を「きもの警察」と呼んでいるのだと若い方に聞いた

着方も工夫をしている方が多いけど、夏は細帯姿が一番季節にあっていると思う
細帯の生産を提案したたら「そんなん帯が売れなくなりますわ」と一蹴された思い出がある、自分で作るしかなかった

今宵20時から「チャコちゅうぶ」

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マイナス言葉を発する人たち

2024年05月07日 13時25分43秒 | 日記
ある会合で10年ぶりくらいにあった方に近づいて
「お久しぶりですお元気そうですね」
と挨拶をしたら
「あらえりに口紅が付いてるわ」
この会場に着く前満員電車でよその国の女性とすれ違ったとき、アッとよける間もなく彼女の口紅がかすったのだが、手持ちの真綿でポンポンと落とし、目立たなくなっていたのだが――

その後件の彼女の応対を見ていると
「お顔の色さえないわね」
「すっかりやせたわね」
「元気ないわねどこか悪いの?」

わーお
そのうち彼女のそばには誰も近づかなくなった
暗いお顔の方だったが、ますますつまらなさそうに椅子に吸盤があるがごとく座り続けている

なぜ自分のところに人がやってこないかが全く分からないらしい。会場の人たちを冷たい目で見まわしている

何年か前まではそういう方を見つけると「話し相手」に近づいていて世間話を持ち掛けていた、そうしたら心を開く人もいれば、会場の人の悪口を綿々と語る人もいた

今は絶対に近づかない
相槌を打っただけで、同じように仲間にされてしまうから

すぐマイナスの言葉をかける人は、親しさを強調したいのだと教えてくれた人もいる
しかしヒトはいきなりマイナス言葉を投げられて喜ぶ人はまずいないだろう
「相手の欠点を指摘するのは、親や兄弟、師匠、などごく身近な人たちであろう、それだって衆人の中では指摘しない。それがルールというものだ、一対一になったときに必要があれば言う

相手に親しさをあらわしたかったらねぎらいや、誉め言葉から入るのが付き合いをスムースにする秘訣だと思う



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端午の節句

2024年05月05日 06時48分30秒 | 日記
今日は菖蒲湯に浸かる
スピリチュアルな感覚が大流行だけど
日本人ってもともと霊性がありそれが六感という言葉で言い表されていた
理屈で物事を判断するより「感」をだいじにしていた
その基本が瞑想

瞑想というとインドから来たもののように思うけど、日本人の場合、「肚で考える」という習慣があった
なにごともいったん「肚に落とす」
それと同時に直「感を磨く」
直感と肚、この二つを磨くために哲学があり、信仰がある

その鍛錬が節句行事やお稽古ごとの中に含まれていて、自然に肚が鍛えられていく

今日は端午の節句だけど
武将の甲冑や兜をを飾り菖蒲の花を生け、菖蒲湯に浸かる
菖蒲は勝負、尚武に転嫁している
こいのぼりは天に向かって自由に動き回るさま、そして五色の吹き流しは五行思想の現れ

昭和23年7月20日発布の法律第178号祝日法で決められた法律には
「子供の日 子供の人格を重んじ、子供の幸福を図るとともに母に感謝する日」とされている
この最後の一文が外れて、五月第二日曜日ははのひになったよう

もともと鎌倉初期までは、早乙女を一日休める日だったよう
つまり田んぼに出る前日に、女を一日しっかり休ませる休日であった。この日女たちが身を清めこれから続く田植えに向けての休養であり祈りでもあったようだ。農耕民族の祭祀というところだろうか

近年になるまで「米」が今のお金と一緒、いやそれ以上に大切なものだった。田の神様は男神でまず女が田に入り陰陽のバランスをとったのかもしれない

いいお天気五月晴れ
子供も母も元気が一番
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ゴールデンウイーク

2024年05月04日 09時56分57秒 | 日記
東京はお正月とゴールデンウイークは人が少なくなり、のんびり散歩していたがことしはどうえ?すごい人波、ほとんどが外の国の方、何せ物価が半額だって!
いろいろ買いこんでいらっしゃる
日本語も上手、何より東京が詳しい、負けるね!

友人と食事に行こうとあちこち電話をするがすべて満員
其れじゃあ手作りだ
みんなで材料を持ち合ってあれこれおしゃべりしながら料理ができていく、その過程も楽しい

そういえば昔は家に人が大勢集まり、30人くらいのお料理なんて一人でやっていたなあ、と若いころを思い出す
そのために大皿が必要でそれを自分で焼いてみたいと、陶芸家の弟子入りしたころも懐かしい

おしゃべりだけの友人家族たち
麻雀やゲームをして楽しむ友人たち
論争に時間を使い。白熱してつかみ合いの喧嘩になったりする熱い男たち
でもそれで仲たがいすることもない
本音で付き合っているから「陰」の要素がないのだ

誰かの家に集まるという習慣だった、特にお正月やゴールデンウイークはそうだった
子連れは子供をみんなの中に放牧(笑)して、大人たちに叱られながら子供も飛び回っていたし、お手伝いさせられていた

そういえば日本人全体が出来合いの文化や、出来合いの料理で満足するようになったように思う
どこかの店に出かける、お金がいる、移動にもお金がかかる、宿泊も同じ、かゎったのだ、生活の木本が変化した。お金がないと楽しめない時代になってしまった

お金ってある人が使う、使った人はまたお金が巡ってくるそんな考えだったように思う。だから豪快に楽しんだ
お金が減ることを心配しない、だってお金は「天下の周りもの」だと信じていたから
体動かして遊ぶといいね






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