病気を経験した医者の発言の重み
医者は収得した知識や治療行為による経験の積み重ねで医療技術の向上を目指していることと思われます。勿論、研究会や学術資料の研鑽には職業人としての当然の帰結のことです。その様なことを踏まえた上で、ご本人が自ら病を経験しその中からの気づきによる、その後の病人との向き合い方や医師としての心構えのニュアンスの相違を踏まえ、表したた著書に信頼感とこのような医者との付き合いを願うのは私ひとりではないと存じます。なぜこのことを重用しするかと申しますと、未経験者の医師の完治に至る経過の表現に疑問を持つからです。病気は徐々に良好な経過をたどり、快方へと向かい治癒するとの認識に終始している点に疑問を持つからです。よく、病は一進一退を繰り返しとかのニュアンスで、なかなか完治しないことの表現を見聞きします。身近なところで、最近は少々の傷口などは皮膚細胞や治癒細胞の白血球の一種を壊死しない方法などを選択します。そのため、かさぶたが出来る治りかけの痒みは、段々経験しなくなってきていますがその治癒段階は正常回復の一工程です。流行感冒の鼻風邪の初期は水っぽい鼻水です。防御機能の免疫力との闘いが徐々に勝利し始めると異物の排出に変化し、化膿菌のねばねばした黄ばみの鼻水に変化、完治へ向かいます。各諸事、正常体へ移行する過程で異常な経験をすることがあります。わたくしも、年を重ね、順調に老化しています。そのため、いろいろな体力の下降阻止に務めています。充分に吟味し日ごろのストレッチやセレクトした健康食品、健康器具などを試しています。その度に、気づかせられることがあります。2、3日して、手のひらが軽くこわばりを感じたり、しばらく肩など張ることが無かったのに意識させられる。かなり古い骨にひびが入った箇所がうずく。順番に起る体の変化を思考すると、新しい疲弊箇所から順次古い経験へ移動して収まるという体験を何度もしています。このような体験を“回復反応”と呼ばずにどのように表現するのか゛適切なのか?