引っ越しの諸手続きや新生活に必要な買い物や妻の病院への送り迎えなどの合間に、妹と一緒に母が入っている介護施設に行く。
妹は自分が用事があって行けない時に、僕に行ってくれればありがたいという。
でも、妹のような対応はとてもできないし、無理だとつくづく思う。
食事の時が一番意識がはっきりしているというので、食事の時間にあわせて訪問する。
母はまだ自力で食事をしているが、いつできなくなってもおかしくないレベルで、食べ物を箸でつまんで口に入れて咀嚼するという行為全体がとても緩慢で時間がかかる。
時には口に入れる前に落としてしまうこともある。
時間が経つにつれ、だんだん眠気を催してきて、終盤はほとんど目を閉じている。
そんな母の食事に甲斐甲斐しく世話をやく妹のような対応は僕には無理である。
なかなか進まない母の食事を見ているだけで僕は疲れてしまうが、妹は母にできるだけ食事を残さず食べさせようと懸命である。
こういうことは僕にはとても無理だと思ってしまう。
僕の人生は母のおかげといって過言ではないが、それでも今の姿を見るとちょっとひるむ。
父親の食事の世話に毎日来ている同年輩の男性がいる。
ほんとにすごいと心から感服する。
人間の最後の姿とはこういうものかとつくづく思う。
だんだん食事も一人でできなくなり、排泄や入浴も人に世話をしてもらわないと自分ではできなくなる。
歩行も困難になり、車椅子での暮らしになる。
意識はだんだん混濁し、きちんとしたコミュニケーションはとれない状態になっていき、言葉は話せても意味不明のことを言うようになる。
人間として生きてきた普通の暮らしからどんどんかけ離れていき、ただの生命体になっていく。
去年は妹の献身的な介護とその大きな負担を認識していた母も、今はもうその認識はないと思われる。
介護施設はこういった人生末期の人達を集めた施設であり、死を迎えるまでの生命維持施設という感じである。
介護士の人達の仕事を間近に見て、忍耐のいる大変な職業だと思う。
僕も妹も年金生活者で、まだその自覚は乏しいにしても老人であり、いずれ我が身のことだ。
人の世話を受けないと生きていけないこと自体が認識できないような状態で生きていくってことにいずれなるわけだ。
僕のような団塊の世代が施設に入る時期になると、今以上に施設不足になることが目に見えている。
「楢山節考」という映画を思い出す。
子供にも誰にも迷惑をかけない生の閉じ方。
まだ先のことなので、そのうち考えよ。
今津浜の朝 滋賀県高島市
2015年7月25日
EOS 5D mark3
EF 24-105mm F4L IS USM