昔は「都府楼跡」と言ってたのに、四十年いない間にいつのまにか「太宰府政庁跡」と名前が変わっていた。
でも、西鉄の駅名は「都府楼前」のままだ。
桜がたくさん咲いていて、広々としていて、花見にはとてもいいところだとは思う。
でも、写真的には、あまりにも漠然とした光景で、どこをどう撮っていいのやら。
夕暮れのいい光が当たるわけでもなく、ただ単に暗くなっていく。
特にこれを撮影しようと思う光景も見つからないまま歩いていると、何の変哲もない、どこにでもありそうな小さな神社があった。
その割には次々に人がやってきて、神社の写真を撮っていく人もいる。
不思議に思って神社のなかに入っていくと、氏子らしき人がうれしそうにニコニコと、やってきた人全員に紙を配っている。
僕もその紙をもらって、その人と話をすると、なんと、新元号「令和」ゆかりの神社ということだった。
「令和」の典拠となった万葉集で大伴旅人が「梅花の宴」という歌会を催した、その邸宅跡がこの神社、坂本八幡宮だった!!!
氏子の人が配っていたのは、「令」と「和」が出てくる万葉集の「梅花の宴」の一節だった。
今までは一日に十人も来ればいい方だったのが、今や連日大勢の人がやってきているとのこと。
家に帰り、得意気にこのことを妻に話すと、テレビでやっていたとあっさり言われた。
もらった紙の一部