きままなドライブと写真、そして映画

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那珂川を歩きながら

2019-12-20 01:10:39 | Weblog

那珂川を歩きながら考える。

結婚し、子供ができ、やがて子供たちが独立して家から出ていき、夫婦二人に戻るまでの、いわば人生のメインの時期のほとんどを東京勤務で過ごした。
だから、長年の友人や子供や孫は首都圏に住んでいる。
3年前に40年ぶりに故郷の福岡に戻ってきたが、福岡の著しい変化もあってヨソ者同然であり、3年経った今も馴染みきってはいない。
10年以上も前に、福岡に出張をした際、中洲のスナックで店のコから「あんたの博多弁、訛っとう」と言われたのはショックだった。
故郷の方言さえ使えなくなってしまったのかと愕然とし、それ以降、博多弁を使うのをやめている。
福岡に戻る前に、滋賀に7年半いたので、東京を出てから10年は経っている。
つまり、10年間の東京の変化を知らないわけであり、かつては熟知していた都内各所の地理も忘れかけていて、今、東京に行ってもヨソ者同然ということになる。
テレビを見ていると、渋谷駅が大きく変わっているようだ。
渋谷支店に四年間の勤務経験があり、半蔵門線ができる前に東横線で渋谷を経由し本店に通勤していたので、渋谷はナワバリのようなものだったが・・・
ちなみに、出身大学の立地上、新宿も身近な街であったし、新宿支店にも四年間勤務していたので、新宿もナワバリだったが、こちらは渋谷ほど変わってはいないだろう。

要するに、故郷に戻ってもヨソ者同然、東京に行ってもヨソ者同然という、とても中途半端な状態になってしまっている。
だから何なんだ、何か実害があるのか、と言えば何もない。
ただ、安定した心のよりどころが欠落しているような、そんな仄かな感じがするだけだ。

一つだけ、福岡にいてよかったと言えること。
それは、無職となった今、飲み代で家計が破綻せずにすんでいること。
自他ともに認める呑ん兵衛だったので飲み仲間も多く、首都圏にいれば、あちこちから誘いを受けて連日のように出陣しているに違いない。
それと、福岡に戻ってから、それまで年賀状のやりとりしかなかった高校時代の友人4人と3か月ごとに飲み会をするようになったことが、とても有難い。

銀座と渋谷の馴染みの店は、まだ残っていればぜひ顔を出したい。
特に渋谷の料理屋は休日に家族を連れていったり、閉店後に店主と徹夜で銀座・築地と飲み歩いたこともある。
冬の鴨鍋が絶品で、ごく稀に散弾銃の弾が肉にあったりするが、これを家族に食べさせたくて、連れて行った。
店主夫婦には子供がなく、当時まだ幼稚園だった子供を連れて行くととても喜んだ。
でも、店主も僕より年下とはいえ今ではいいトシなので、普通に考えれば引退しているに違いない。

などと考えながら、一万歩を目指して那珂川を歩く。



マガモ



ホオジロハクセキレイ



ハクセキレイ (ホオジロと目のラインが違う)



ダイサギ (小魚ゲット)



カワセミ









コメント
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