「チャイナ・ナイン」
アマゾンから3月16日発売本の、先行予約受付のメールが入ったのは3月のはじめ、全人代の開幕前であった。遠藤 誉「チャイナ・ナイン-中国を動かす9人の男たち」、一瞬購入をクリックしようとしたが、待てよ、これは図書館で買ってもらって、大勢の方に読んでいただく方がいいのではと思い直した。
地元の図書館から入手・閲覧の案内がきたのは4月上旬、第一号の閲覧者である。
いつものクセで、まず、目次をにらむ。
どうもこのところの悪いならいだが、推理小説をのぞいてはじめから読むことが少なくなっている。
目次の終わりに近いところに「第五章 対日対外戦略」があり、<民主党政権の失態>の文字が目に飛び込んできた。
ページを開く。
09年12月、来日の習 近平副主席の「天皇拝謁」の問題である。
通常一ヶ月前の申し出を「特例による会見」に持ち込んだ事件、「日本国民」の神経を逆なでし、世論は硬化した(ようにメディアは騒ぎ立てた)。
<この「事件」により、本来ならば日本に好印象を持ったかもしれない習 近平を「日本」といえば、あの「バッシング」という連鎖反応へと導くきっかけの一つを作ったことだけはまちがいない>と筆者。
なるほど、わたしはすっかり忘れかけていたが、「日本国民」の多くは習 近平とこの「天皇拝謁」事件は覚えているのであろう。そして、本質を捉えないで、つまらぬことに尾ひれをつけて報道しがちな日本のメディアは、まるで“いじわる婆さん”のように、機会あるごとにこの“事件”を思い出させることであろう。
「天皇拝謁」には、悪しき前例がある。
江沢民前国家主席の“土足でひとの家に入り込み”悪態をついた事件。
さらに、その前の92年の「天皇訪中」のことである。
天安門事件のあと中国が世界各国から“経済封鎖”されているなかで、当時の海部政権や日中関係者が“時期尚早”の反対意見を抑えて実現したこの「天皇訪中」は、中国の関係者からも好感を持って迎えられ、これで“過去の日中関係”にピリオドを打ち、前向きの日中関係の到来かと期待したものであった。しかし、当時の外交部長・銭其琛の「回顧録」では、経済封鎖の“いちばん弱い環”である日本を打ち崩す手段のひとつとして、「天皇訪中」が利用されたことが述べられている。果たせるかな、日本の対中投資促進と同時に打ち出されたのは「愛国主義教育」であり、「愛国教育基地の建設」であった。
「天皇拝謁」には、複雑な歴史の積み重ねがある。
わたしは、民主党政権の対中政策の底の浅さを再認識したのであった。
遠藤 誉さんの本を最初に手にしたのは、数年前のこと。
「中国動漫新人類―日本のアニメと漫画が中国を動かす」(日経BP社)であった。一昨年の夏に急逝したわたしの竹馬の友は「虫プロ」創業者の一人で、テレビアニメ「鉄腕アトム」などを世に送り出した。わたしはかれに中国のアニメ動向を知らせるべくこの本を手にしたのであったが、裏扉のプロフィールを見るまで、著者は男性とばかり思い込んでいた。長春生まれの女性で、NHKの「大地の子」のあるシーンをめぐって、山崎豊子さんと裁判で争ったこともある由。わたしはアニメもさることながら、この「卡子(チャーズ)―出口なき大地」を図書館で借り出して読みふけった。以来、著者の本はほとんど目を通している。筑波大学名誉教授・理学博士、そして、中国の社会科学院や国務院関連組織の客員教授や顧問なども歴任、その中国情報には確固とした裏づけがあり、その分析には定評がある。
まえおきが長くなった。
いまあらためて、はじめからページをひもとく。
「序章 権力の構図」でこの本の表題にもなっている「チャイナ・ナイン」について、つぎのように語っている。
<実際上の「中共中央」はこの政治局常務委員会を構成している「9人の男たち」を指すと考えた方がいい。日本人が良く知っている「国家主席」あるいは「首相」も、この9人の中から選ばれる>
これは、いまのシステムである。
しかし、天安門事件直後の「中共中央」は、保守派の老幹部とそれに追随する北京閥で固められていた。これはわたしの憶測だが、小平は経済改革推進の切り札として送り込んだ胡耀邦や趙紫陽などが「6・4」で倒れ、老幹部たちの推挙する江沢民の総書記就任を阻むすべがなかったのではないかと思っている。
上海市長時代の江沢民はなにをしていたのか。
いまでも思い出すが、当時の上海市民の住宅難、交通難にたいしても江沢民は何の手も打っていない(毎週老幹部の夫人たちをお見舞いしていたと、スズメのおはなし)。のちに海峡両岸協会会長として台湾との交流推進を図った前任市長・汪道涵と江沢民の後任市長として上海の改造のために辣腕を振るった朱鎔基(のち国務院総理)の二人を称える上海市民は多いが、江沢民を良く言う人はいない。03年のサーズ発生のとき、すでに土地ころがしで疑獄事件が発生、のちの陳良宇事件や黄菊などの疑惑の黒幕は、すべて江沢民の息がかかっていると“シャンハイ・スズメ”は囀っている。
上海のひとたちは、いわゆる太子党=江沢民派閥という図式に疑問を呈している。ましてや、江沢民派閥が上海閥とひっくるめて話されることに、不快感を隠さない。
いまの広東省の汪洋書記は汪道涵の甥であるが、れっきとした“団派”であり、
胡錦涛の秘蔵子でもある。解放軍で汚職追放の先陣を切っている劉源上将は文革のとき毛沢東などに追い詰められ非業の死を遂げた劉少奇の子息である。かれも小平に可愛がられた“太子党”になるだろうが、だれもそうはとらない。
中国はいま、「先富」の時代から「共富」を目指して動きはじめている。
中国はアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になったが、ひとりあたりのGDPはまだ五千ドル程度(昨年)。一番の貧困地帯とされる青海省でも所得の向上は著しく、アフリカの貧困地帯とは異なる。しかし、“ひとはパンのみにて生くるにあらず”、所得格差の拡大は社会不安の因にもなる。いま中国の底辺でエイズ、買春、麻薬などが蔓延、妾や二号の存在が黙認されるいびつ(歪)な社会現象がみられる。これは「先富」が生み出した“負”の部分であり、汚職が蔓延する基因でもある。
胡錦涛政権がなしえなかった「共富」実現への道は、今秋確定する次の政権にゆだねられる。
遠藤さんはつぎの「チャイナ・ナイン」を本書で描き出している。
10年先の、次の、次の政権を担うであろうふたりの飛び級“ナイン”入りをも予告する。もろもろの「WHO‘S WHO」は本書を繙いて見てほしい。八千万人をこえる党員のなかから選びぬかれた幹部たちが、基層の地方組織から政治経験を積み、九人のトップを目指して奮闘している。
それに引き換えわが日本は・・・。
一年も持たない政権、何も決まらない政治、それをバラエティ番組でけなし続けるメディア。この政治不信の助長は、戦前の日本にもあった。そして大政翼賛体制から“軍国主義日本”が生まれた歴史がある。
遠藤さんのこの本を読みながら、こんなことを考えた。
図書館への返却期限が迫ってきた。閲覧希望の予約が大分たまってきているようである。多くの方に読んででいただきたい本書、このへんでジ・エンドとしよう。
(2012年4月17日 記)