黄昏が近づくとフクロウは飛び立つ準備を始めます。暗闇で木に激突。最近は夜目、遠目が効かなくなって来ました。
黄昏れたフクロウ
熊の右手
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合理的であろうと無かろうとルールを作ると人はそれを守ろうとする。合理的でないほどより守ろうとする傾向がある。もともと合理性がないので検証不可能であるからである。これをすると幸せになります、などというのが一番いい。規則に従っていれば何も考えなくて良いから楽だということ。
今年は一の酉が休日。久しぶりに昼間からおとりさま、浅草の鷲神社へ行ってきた。賽銭箱にたどり着くまでに1時間かかったのは最近では新記録である。帰りに杉田でとんかつを食べて帰ってきたが、そこの親父さんが言うには、昔は田原町から鷲神社までずーっと人並みが途絶えなかったそうだ。
減ったとはいえ、まだこれだけの集客能力があるのは驚異である。熊手は神様からいただくことになる。神様が右手で渡すので、左肩に担ぐのがお作法らしい。東洋の神秘主義が珍しいのか、何とかファイナンスの外国人が熊手を買っていく。一寸立ち話をする。「これは貴社に富をもたらすや?」「ウーム、我に幸福をもたらす」優等生でした。
去年の熊手をお返しして、今年も700円の熊手を買ってきた。肩に担ぐ大きさは無い。ご利益を信じているか、ですか?「うーん、お祭りが好きなので」劣等生の答えである。ひときわ目立つ場所に石原慎太郎以下ファミリーのお買い上げ熊手が飾ってある。濡れ手の粟を熊手でかき集めることはやめてくださいね。
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