山内政綱の息である就綱は、明応2年(1493年)4月の明応の政変時に足利義澄により六角氏惣領に任じられている[1]。新谷和之『シリーズ・中世西国武士の研究 第三巻 近江六角氏』p.13
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山内政綱が歿する以前のこと、「九里は豊浦庄代官を所望」していた。(延徳三年1491年7月)
この山内氏のもとにいた時代が、九里氏が大きく発展した時代だったのかもしれない。
もっと詳しく山内氏のことを調べてみようと思う。
佐々木哲氏のメルマガより、気になる部分をコピーさせていただこうと思う。(私が付け加えた部分は青色)
沙沙貴神社所蔵佐々木系図によれば、近江守護佐々木六角時信に始まる六角氏庶流に、次子四郎左衛門尉直綱から始まる愛智・鳥羽氏(愛智直綱―鳥羽五郎左衛門尉高信―五郎左衛門尉高頼)、三子五郎左衛門尉信詮(定詮)から始まる山内氏(信詮―二郎左衛門尉義重―三郎左衛門尉義綱)、末子六郎左衛門尉光綱から始まる森氏がある。
六角氏頼の次弟四郎直綱は、足利尊氏・義詮父子と足利直義・直冬父子が対立した観応の擾乱で、足利直義派の近江守護に補任されたが没落した。
それに対して三弟五郎信詮(定詮)が兄氏頼を補佐して又守護となり、さらに氏頼の嫡子義信を後見して守護を預かり、六角氏一門として惣領六角氏を支えた。信詮の跡は二郎左衛門尉義重―三郎左衛門尉義綱と続き、義綱は相国寺供養で六角満高(氏頼養子)とともに列している。(山内義綱となる)
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しかし義綱以後の山内氏の系譜は未詳であり、尊卑文脈では義綱の弟に備中守詮綱を記し、沙沙貴神社本では義綱の子に左馬助教重を記す。また『応仁記』では新左衛門尉入道勝綱を記しており、記録にあらわれる宮内大輔政綱―小三郎就綱と続くと推定される。そうであれば、信詮―義重―義綱―左馬助教重(備中守詮綱)―勝綱―政綱―就綱と考えられる。
記録であらわれる山内政綱(宮内大輔)は、康正二年(一四五六)十月の六角久頼の没後に、その嫡子亀寿の後見となり、応仁・文明の乱でも六角氏をよく支えた。六角氏が公家寺社の荘園や幕府奉公衆の所領を押領して足利義尚の六角征伐をうけても、政綱は守護代伊庭貞隆とともに六角軍を率いて、六角氏をまもった。しかし延徳三年(一四九一)の将軍足利義材の第二次六角征伐では、大津に誘い出され、将軍の命をうけた尾張守護代織田氏と播磨守護代浦上氏に討たれた。
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資料では政綱は「六角宮内大輔」と記されており、「山内宮内大輔」とは記さない。政綱を六角氏と見なすのが、当時の人びとの認識であったのだろう。足利義材は高島頼高の子八郎を近江守護にして六角氏征伐を終えた。
上の資料では「山内宮内大輔」となっている。
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しかし明応二年(一四九三)の管領細川政元が明応の変で将軍義材を廃して足利義澄を擁立すると、六角八郎に替わり山内就綱(政綱の子)が近江守護に補任された。足利氏の血筋である満高以来の六角氏惣領に対して、佐々木氏の血筋である山内氏を対抗させる構図ができた。明応三年(一四九四)に山内就綱は延暦寺の支援を得て近江に侵攻するが、美濃守護代斎藤利国(持是院妙純)の援軍を得た高頼によって近江を追われた。こうして山内氏本宗は滅亡する。
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佐々木小三郎であった「山内就綱」は京に逼塞したようである。(生きている)
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この先が、永原氏のことと関係がある! 鳥羽氏・江辺庄が出てくる。
また山内信詮の長子五郎左衛門尉詮直の子孫は鳥羽氏を称した。五郎左衛門尉詮直は山内氏の所領のうち近江富波(鳥羽)・江辺(江部)庄を継承した。詮直の子五郎左衛門尉高信は『尊卑分脈』では愛智直綱(氏頼の次弟)の子にも記しており、直綱の養子となった可能性が高い。鳥羽氏は高信―信清と続き、さらに山内義重の子高頼(五郎左衛門尉)が養子に入った。この江辺庄は永原氏の本拠であり、地頭源信清のほか正公文源正満丸が見える。この源正満丸が永原氏の祖永原新左衛門入道正光であろう。
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山内信詮(五郎右衛門入道・備中判官入道崇誉)の孫佐々木備中四郎高信(前田家文書)が、山内氏所領のうち近江国富波(鳥羽)・江辺庄を継承した。
戦国期の山内就綱が「小三郎」と呼ばれていたことから、三郎が山内氏家督の仮名となったと考えられる。
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上記の直綱のことは、系図に「上野国 片岡」との関係が書かれていた記憶がある。(真偽のほどは?)
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/52d2b5128486e7893ceb7359afbe32d8
伊庭氏被官の前は、九里は山内氏被官であったのだろうか?
それともその頃は九里一族の人数も多く、六角氏・京極氏・山内氏などと いくつかのグループに分かれていたかもしれない。
ココで突然片岡氏が関係してくるのだろうか?
深尾氏の祖母か母が「永原氏」であることと、九里が山内氏被官であったことは、何等かつながりがあるのではないだろうか?
山内氏と九里氏、掘り下げるべし!