九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

前野氏 と 原氏は 兄弟からの分かれであった。(5)尾治佐迷連 と 栗原連 栗原神社 … 津嶋神社近く memo

2020-09-24 | 佐々氏 バラバラ情報

昨夜いただいた情報 訓原神社(くにはら) ダイ新の右横
http://www.md.ccnw.ne.jp/rekishi_tajimi/kodai%20owari%20sikinai%20jinja.html








http://www.md.ccnw.ne.jp/rekishi_tajimi/%E6%9C%80%E6%96%B0%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%82%92%E5%90%AB%E3%82%80%E6%98%A5%E6%97%A5%E4%BA%95%E3%83%BB%E5%B0%8F%E7%89%A7%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%B7%A8%E3%80%80%E3%80%80%EF%BC%92.html


http://www.md.ccnw.ne.jp/rekishi_tajimi/%E5%B0%BE%E5%BC%B5%E5%9B%BD%E3%80%80%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E7%A4%BE%EF%BC%88%E5%A4%A7%E7%B8%A3%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%89%E9%A0%98%E3%80%80%E9%A0%98%E6%9C%89%E8%80%85%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.html

http://furutashigakutokai.g2.xrea.com/kaihou/t187.pdf


memo
藤原憲朝(八条院判官代、駿河守、初代千秋氏(三河国設楽郡千秋))→藤原範俊(左馬助、大学助、源実朝近習)

藤原南家熱田大宮司家の一流。11世紀末,藤原季範(すえのり)が外祖父尾張員職より熱田大宮司職を譲与されて以後,同職は尾張氏より藤原氏の世襲へと移行,季範の子範忠,範信,範雅の子孫がこれを継承した。

このうち千秋氏は範信の子憲朝(本名有範,のち信綱と改名)が千秋を号したのに始まる。その号は三河国設楽郡の地名より発したと言われている。憲朝は八条院判官代であったほか鎌倉にも奉公したと伝えられ,将軍家知行国たる駿河の国守にも任ぜられた。

===*===

親鸞の父も有範だったような気がする。(日野氏で、皇太后宮大進)


桓武天皇の息良峯安世から 尾張「良峯・原氏」が始まり、桓武天皇の裔「長田氏」は致政が大矢を名乗り、致房が賀茂次郎を名乗り、長田氏へと続く。




此の安世の母親に注目すると「百済 永継(くだら の ながつぐ)」であり、藤原内麻呂の最初の妻で、後に桓武天皇の後宮で女官となり寵愛を得た事になっている。

藤原真夏(774年 - 830年)・ 藤原冬嗣(775年 - 826年)・良岑安世(785年 - 830年)は同母異父の兄弟であったことになる。

安世の妻は丹治氏であった。四男の宗貞(遍昭)が前野氏へと続く。

以下wikipediaによる
妻 丹治氏
三男:良岑清風(820-863)

生母不明の子女

長男:良岑木蓮(806-849)
次男:良岑良松(長松)(814-879)
四男:良岑宗貞(816-890) - 法名遍昭
男子:良岑高行
男子:良岑遠視
男子:良岑晨直(農直)
男子:良岑晨省(農省)
男子:良岑晨茂(農茂)
男子:良岑行振

遍昭は「花山僧正とも号す。六歌仙および三十六歌仙の一人。」とある。

私でさえも知っている歌があった。
「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」
我が家の百人一首では「乙女」と大きく書かれていた。(北海道では木の札!)

出家して天台宗の僧侶となり僧正の職にまで昇った。

息は素性。俗名は玄利
弟に玄理 改姓椋橋始住尾州 と柏原織田家臣系譜にある。

【 「良峰氏系図」(『続群書類従』巻174 所収)による。子孫を尾張国丹羽郡の良峰氏とするが、この氏は丹羽郡領家である椋橋宿禰であり、素性の俗名である玄利との名の相似から、桓武天皇裔の良峰氏を仮冒したものと考えられる(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年 による)。 】という意見もある。

素性は「仁明天皇の皇子常康親王が出家して雲林院を御所とした際、遍照・素性親子は出入りを許可されていた。親王薨去後は、遍照が雲林院の管理を任され、遍照入寂後も素性は雲林院に住まい、同院は和歌・漢詩の会の催しの場として知られた。後に、大和の良因院に移った。宇多天皇の歌合にしばしば招かれ歌を詠んでいる。」


雲林院(うんりんいん[1]、うりんいん)は、京都市北区紫野にある臨済宗の寺院。臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭である。かつて天台宗の大寺院として知られた、平安時代の史跡でもある

大和国石上(現在の奈良県天理市)の良因院
http://sakuwa.com/p6.html

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17 コメント

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Unknown (木方)
2020-09-24 17:56:57
藤原というとややこしくなるので内麻呂さんの実体が興味あります。内の付く方も探っていまして葛城に繋がらないかな?と思ってます。多治比さんとも関係ありそうに思うんですよね。奥様百済が付くんで武寧王とも接点があった日本の一族の娘って可能性もありそうに思いますね、古墳の出土品などで関係は見えてくるのではないかな?と。個人的には百済はおそらく配偶者関係からそうなっているようにも思うんですよね。娘のルーツは円墳だと思うんで。百済が関わるには前方後円墳寄りから方墳だとイメージしているんですよね。

布留川ってあるんですね!父が関係ありそうな岐阜や関係者の名字探索で古川・古河も私のキーワードになっているのでこの字は想像していなかったんですけど面白い展開になりそうです。それから石上はフツ好きなので行きたいんですけどまだ早いなあと行くに行けない場所。そろそろ行けそうにも。川の水神さん絡みと山の信仰とももう少し理解してからかなぁ?と思ってます。
奈良へ通じると高尾張という方々との接点もこの辺りと繋がってきそうですから楽しみです。奈良の田原本町あたりと古墳関連で連動してくると嬉しいんですけど。
奈良で利用した木材がどこからやって来ていたのか?という点でもこの辺りが中継地となると面白くなります。

そうそう雷と雀もどうもキーワードとして絡んでくるんですよね。あと馬の歯ってのもちょっと気になりました。
鈴付きの帯とか馬具とか、ジャグジャグ馬子みたいな金属も古墳から出ている所は日本でもあるから凄いですよね。水神さんと馬も縁ありそうですので馬の埴輪とか出ている場所での水神さんの信仰もヒントになりそうに思います。
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椋橋は「くらはし」と読むそうで、びっくり。 (kunorikunori)
2020-09-24 21:53:10
木方様
椋橋=くらはしとも読むそうです。
摂津(今の大阪)
椋橋神社があり、神功皇后が祀られています。
椋橋荘神前松原…ともいうそうです。

良峯姓の方はたぶん、ココと違い
尾州の「むくはし」なのでしょうが気になりました。

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Unknown (木方)
2020-09-25 13:28:29
椋って木の名前なのでちょっと検索してみたら多氏に繋がるような説ありそうですね。大昔多氏はいっぱい調べたんですよね。阿多古の多は好きなんですよ。かなり古代は範疇が広いんで当たりも中に含まれている可能性と逆もあるかなぁ?なのでずっとそれ以上は掘らないで放って置いてます。

多坐彌志理都比古神社って奈良の昔から気になる地域にある神社も関係するとしたらかなりこちらのヒントになりそうです。最寄り駅が笠縫ですって、それも文字では好みです。

意富臣・小子部連・坂合部連・火君・大分君・阿蘇君・筑紫三家連・雀部臣・雀部造・小長谷造・都祁直

多氏であるのか?分かりませんけど、個別に探究しているのが上記の一族でして連・臣・君・造・直など時代によっても実在しているか?木簡出てくると地域交流のぶっしも見えてくるんですよね。この文字だけ見てもワクワクです。
今のブームは、富付くのと小子部と筑紫三家(ミヤケ?高崎の三家との関係は?)と雀は大昔で小長谷(ヲバセ?大長谷は違うのか?)も昔。都祁も大昔からの好きな場所。それぞれ探究してきたのが纏まって来てびっくりですよ。

坐が付く神社名も多が居るっていう意味なのかな?

古代なので考古学で碑文なり何か出てくると実在も見えてくるんでそれを待ってからこちらの関係と繋がってくると凄いんですけどね。

みを退いた?なんてことも考える方もいるのかな?けどすべき事で出来る方がいない大変。治水とも関係してくるだろうし、肉体と智慧も含めて出来る方が出てこないと未来は怖いです。なので古代でも現代でもやった方を評価してその精神を繋ぐ事が出来たらみんなが安全に争うなく暮らせるんですよ。
早くそうなってくるといいですね。
その地ごとの昔からの関わりは縁でありお金じゃ買えない物。各地ちゃんと配置されてくるといいですね。
自然災害や地震の怖いですので出来る方愛情ある方がその地との縁に気付いてくると多分考古学以上に見えてくるものがあると思いますよね。

多坐彌志理都比古神社のお祭りの時期が春分だったならばそこにこだわる一族が関わってくる可能性もあるしこだわりが同じなら関係あったかもしれませんよね。
まだ今日も秋彼岸なんで各先祖から子孫がいっぱい吸収してそれぞれがアウトプットして欲しいですよね。
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多坐彌志理都比古神社 (kunorikunori)
2020-09-25 22:57:49
木方様

多坐彌志理都比古神社って、多氏とも関係がある、石上神社とも関係がある、場所も田原…すごいですね。

意富(おお)社とも云われている。
十市郡の十市は、中原とも縁が深そうです。

何かありそうな雰囲気です。
調べてみますね。
ヒントをありがとうございます。
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Unknown (木方)
2020-09-26 20:26:40
摂津も調べてみるとかなり興味出てますよ。
クラって言葉は神でもとても大事そうですし、クリってきたら縄文では大事っぽいですし、クロって言うと個人的に黒と名付けられた方が気になるわけです。

摂津も絶対に関わるでしょうとはうちの方では思ってますのでありがたい情報でした。
尾張より尾治のが文字としては好きかな?とも多治比さんとも似てそうだし、高尾治ってしようかな?高尾山には父と5月5日あたりに行っていた場所なので高も付けておくとなんか安心。山とか地形的に高い所もあっての水神さんが絡むとも思うので。梶も鍛治って思ったし、治が付く神社も気になる所あるんですよね。こっちは亀さん絡みです。

治水もよく関わるキーワードですけど、水を治めるから治水。多治(多?田?太陽?)や鍛治(火?金属?)は尾治(犬?)は、治める方かそれとも抑えられる方かでも意味合い変わりそうですよね、まあ今で言う所の先祖代々の才能が継承されていて努力さえすれば出来る方々が居たんでしょう。現代でも天賦の才能が生かせる方向に人が進んでいくといいですね。全体として風の制御が必要な所には多分関係する水神さんも居そうに思います。
必要なところにちゃんと居てくれる事こそが安心に繋がりそうですよね。太田垣氏って今日出てきたんですけど、太田氏と違うのかなぁ?とも。高尾張と尾張も微妙に違うんで尾張はまだ先にして奈良から調べています。今年は愛知県には行きたいと思っているので進展するような情報は本当ありがたかったです。
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尾張宿禰久玖利の妻 (kunorikunori)
2020-09-26 22:33:03
木方様

話はこの妻の怪力から調べ始めたのですが、これは長田氏にも通じていきそうなので、、、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%A0%B4_(%E5%83%A7)

あまり関係がないかもしれませんが…
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Unknown (木方)
2020-09-28 19:32:52
凄い、500年代に後半が特に気になっているので(660年より前)敏達さんのあたりはかなり色々と新規の勢力が動き出しているのでしょう。そこで雷ですね、妥当だと思います。霊異記って面白いですし、残したい方の想いもあるでしょうね。愛知っぽい郡気になりますね。

最近愛知の地図見てますけど、かなり気になる地名が残ってますよね。雷は、東京と飛鳥と山梨と奈良で気になってますけど道真系だと水運ある所全国であるしそう多分羽衣ハタハタした天女が関わるんだと思います。
天から来たから天女だけど群馬栃木福島から来てたらかなり面白いですよね。織姫さんとの関わりも日光あたりでもかなり探したんですよね。
そう今日千手観音さんがいらっしゃるお寺にやって辿り付きましたよ、子年前で来年の為だったはずですが9月です。手がいっぱいって羽衣パタパタなんじゃないかな?とも。風で色々祓ってくれるかも?です。
そうそう、前野は良く分からないのですけど、前川はこちらの探索に少し絡んでくるかな?とは思います。川のそばの水神さんとの接点あるって名字ですからね。犬山の辺りの木曽川だけじゃなく古墳繋げると南北の水運も気になりますよね。そうそう桑って地図でも出てくるんで蚕と養蚕で織姫でそして雷さんも牽牛なのか?

般若心経の転読の風もご利益ありますが、天女さんがパタパタしてくれるのもなんとなくご利益ありそうに思える。舞いも関係してくると思うので袖を動かす男性の舞いがあればヒントにもなりそうに思います。剣の舞でもいいかなぁ?そうそう凧の後にブンブン鳴る仕掛けあるのがこの前継承されているとやっていました。
どうも風を感じ、風に感謝し、水だけでなく風で祓うという信仰も同居していそうに思います。
こちらは古代の埴輪とかを探ってみますね。
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ストップモーション! (kunorikunori)
2020-09-29 21:20:52
木方様

千手の像は、私もみたことがあります。そうですね!きっと「手の動き」をなぞってあのようになったと思うと納得がいきます。拍手!!

前野氏を中心に佐々氏・生駒氏・安井氏、等と関わって生き延びていきます。 
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Unknown (邇波 某)
2021-05-07 05:33:16
邇波 荒田(大荒田命。科野国造)―塩古(邇波 縣君)―角古―広高(秦 河勝)―良世(熊)―忠叙―忠貞―菅原 清貞(清公)―興善―是善―道善(道真)

邇波 広高(秦 川勝)―良世(熊)―忠叙―忠貞(太秦 嶋麿)―
)―惟頼―惟季―季光―惟光―恒季―季高―原 高成―高長―立木田 高義―高光―高重―林 高綱―忠高―通安―秀貞

林 高綱―丹羽 忠長―長政―長秀・・・
返信する
貴重な情報をありがとうございます! (kunorikunori)
2021-05-07 11:59:51
貴重な情報をありがとうございます!
邇波 某様

大変に貴重な情報をありがとうございます。

倭建命の東征の時の副将軍が「建稲種命(たけいなだねのみこと)」とあり、妹の宮簀姫が倭建命の妻となっているようですので、この辺りをこれから調べたいと思います。

大きなヒントをありがとうございます!!
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