九里 【九里】を探して三千里

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今津 日置の山から湖に浮かぶ島が見える。 日置部氏との関係は?

2020-08-05 | 雑記

びわこ箱館山 というようである。
https://www.hakodateyama.com/green/

手前は竹生島
遠くに横長に見えるのが「沖島」ではないかと思う。

ご地元の方、情報をお待ちしております。

今津町日置前遺跡からの眺めともいえるのではないだろうか???
日置神社の前、とも読める地名でもあり、また、大きな集落があった前とも読めるだろうか?


日置というワードは、今までも調べている中に出てきていた。
『中原氏と紀氏、富来氏と紀氏(1)』
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/cfa3984aeb5b43ca51e00be1da7316d3
日置、河俣、北郷、息水-薩摩国日置郡人。


『日置と日奉氏は関係があるのだろうか?』
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/8a3b984a46c1d0ada0883d579f9aab87


https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/1f0d352263c7aeed94e66b185e95ee07
島根県の図書館レファレンスに寄せられた【日御碕神社の神職に「日置」姓があるか】の答えが、以下である。

「資料1:p279-280「日置風水(ひおき・ふうすい)」の項目があるが、日御碕上官となっていた。文人として記載が中心で、神官としての記述はなし。

p108「小野有忠」の項に記述あり。小野有忠は日御碕神社検校・小野政通の子で、小野政近家を継ぎ、松田氏と称して松江市大野町の地頭職となる。有忠の子に有基がおり、大野庄の安堵状には「日置有基」の名前が見られ、「松田を称せるに今又日置を称する所以は日置は基本氏なるを以てなり」とされている。よって、日置氏はもともと小野氏から出た家であることがわかった。

資料2:p467に「日置清政」「日置風水」「日置政高」の項目あり。「日置清政」は「御崎社検校」と、「日置政高」は「日御碕神社検校の一族」となっている(2人とも南北朝期の人)。

「日置風水」は江戸時代中期の人で、「日御碕神社・社家の日置氏に養子に入り」と書かれていたので、江戸時代では日置氏は日御碕神社の上官社家と位置づけられていたようである。なお、同じくp150-151「小野尊俊」(江戸時代前期)は「日御碕検校」とされている。


http://www.hiki-genkiup.jp/rekishi/index.htm

 比企は埼玉県の中央部に位置し、山地から丘陵、そして沖積地へと変化に富んだ地形が特徴です。平安時代に編纂された『延喜式』には武蔵国の郡名として比企が登場しますが、「ひき」は日置が語源で、日置部(ひおきべ)という太陽祭祀集団と関係するという説が有力です。ちなみに、鹿児島県には薩摩半島西部に日置郡があります。

===*===

この太陽祭祀集団と関係がありそうと思う。



コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (刮目天 一(はじめ))
2020-08-08 23:34:11
またいい情報を有り難うございます!
卑弥呼の日食の痕跡調査で、長門や佐波の日置が皆既日食帯にかかったようです(*⌒▽⌒*)古い神社に何か残っていないかと探していましたが、近江の日置氏が小野氏の流れだとするとムナカタ族の和邇氏ですね!何か出てきそうな気配です!和邇氏は卑弥呼の日食に拘っていますから期待したいと思いますo(^o^)o
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宜しくお願いいたします (kunorikunori)
2020-08-09 15:48:06
刮目天 様

解りました際には教えていただけますと、うれしいデス。
私もまさか「日撫神社」と「日牟禮八幡宮」が関係するとは思ってもいませんでした。

面白いですね。
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