http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/monobekz/monobek2.htm
「物部」は職掌(軍事警察・司法及び手工業諸物品の管掌)から生じた氏の名・・・・とある。
文中の気になるワードを書き出しておく。
鏡、田原本町、刀槍、大和国十市郡穂積里、十市根は石上神宮、和邇氏族の物部首
イナバ(稲葉、因幡、印旛、印葉、稲羽)の固有名詞は、山陰道の因幡国造、同国法美郡の稲羽郷・稲葉山のほか、美濃国厚見郡の稲葉山(三野後国造の中心領域で、式内社物部神社も鎮座)、や「天孫本紀」の印葉という者(武諸隅の孫とされる)、「国造本紀」の久努国造の祖・印播足尼(伊香色男命の孫とされる)などに見え、これらは皆、物部氏の同一系統に関係すると考えられる。それが、みな大矢口宿祢の系統だとみられるということである。
美濃の稲葉山の別称が金華山
鉄鍛冶の伊福部(伊吹部=息吹部)に通じるものか。伊奈波の神を「製鉄の神」と位置づける論考もある(今津隆弘「古代美濃考-神の系譜と伝承を中心にして-」『神社本庁・教学研究所紀要』第十号)。
伊福部君〔牟義都君同族か〕美濃国の武儀郡と関係がありそうである。
鍛冶・造船や武器・土器(布留式土器)などの物品の生産・管理を行い、こうした手工業技術者も配下にあった。神祇・祭祀に関係することも多く、早くも崇神紀には伊香色雄が神への供物(多くの平らな土瓶)の担当者とされたことが見える。次代の十市根が垂仁朝に朝廷の武器庫でもあった石上神宮の神宝を管掌したのもその延長であり、これらが「物部」の氏の名の起源であろう。
鏡作連は物部と同祖ではあるが、早くに分かれた別族である。
屋形連という「天孫本紀」に見える姓氏である。これまで、同書 以外にはこの氏の存在を端的に示すものがなかった。それが、本稿検討過程で、『三代実録』貞観二年五月条に「尾張国人従六位上笛吹部高継を本姓物部屋形に 復す」とある記事に関係すると思われるようになった。この「物部屋形」こそ屋形連と同族とみられるということである。笛吹部が起った笛吹村は、葛城山東麓 の忍海郡の笛吹神社(式内の葛木坐火雷神社にあたるか) の鎮座地で、現在の葛城市南端部の笛吹である。伴造の笛吹連は『姓氏録』河内神別にあげられて「火明命の後なり」と記され、尾張氏族とされるから、不思議 な記事だと感じていた。こうした改姓の多くの例に鑑みて考えてみると、おそらく母姓に因り「笛吹連」を名乗って尾張国に住んだものであろうが、本姓(父姓)の物部屋形に戻したものとみられる。物部屋形から改姓したのが屋形連であろう。
笛吹の地は、葛上郡今木庄のわずか三キロほど西に位置するにすぎないし、榎葉井のある鴨神の旧桜井村地域からも北に七キロという近距離であ る。旧桜井村は金剛山東麓であって、この地に式内・高鴨神社が鎮座しており、その「前西方に小字の氷室・氷室道ノ下があるが、氷室跡であろうか。当地は凍 豆腐を産する寒冷地である」という『奈良県の地名』の記事も留意される。氷室の管理が物部氏の職掌のなかにあったことを考えると、この氷室が「屋形」なの かもしれない。
いずれにせよ、鴨神-三室-今城の三点を結ぶ地域(葛木川の中・上流域)あたりに物部屋形氏が住んで、笛吹部と通婚したと推される。そうすると、屋形連が特に榎井連との近縁性を示唆する「天孫本紀」の記事は信頼して良いことになる。
以上、「天孫本紀」物部氏系譜の検討 宝賀 寿男氏の記事 よりであった。(太字や気になるワードは私が付した)