九里 【九里】を探して三千里

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栗見大宮天神社(滋賀県東近江市新宮町)

2016-08-04 | 中原氏バラバラ情報

栗見大宮天神社 (クリミオオミヤテン)
御祭神
大国主命 応神天皇 菅原道真公
御神紋
梅鉢
御由緒
社伝によれば奈良後期の神亀年間比良山の比良明神がきらめく金光に乗って湖上を渡り、後に本社地となった「牧の浜」に下りたヽれた。此の時夜の内に松樹繁茂する奇瑞を現はした。当時の祖先氏子中が本庄村(現彦根市本庄町)に御神霊を祀り、後に栗見12郷の氏神産土神となった。菅原道真公と応神天皇は後世合祀する。平安後期の長徳2年愛知川村の東部で愛知川南堤が決潰し、濁流は南に奔流概ね現在の川筋に変った。この出水により本社は流れて現在地に漂着、当時12郷の氏子たちは神慮を恐れて社伝の復興をしなかった。故に一般に本社の創建を長徳2年としているが、創建の実際は神亀年間である。往昔の当社の規模は壮大なものであったものの如く明暦年間、神学者亀有雪斎の社歴には「栗見大宮は国家を鎮護する聖廟である、梅馬場、桜馬場、神殿、鐘楼、楼門立並び、貴人・文人・墨客参詣者踵を接して参詣・・・祭礼は毎年4月寅の翌朝6社の神輿が鈴を鳴し、榊の幣、鉄棒に花を飾り、○(注:○=「金」偏+「豐」)の警固武者等威儀凛然云々」とあり、又淡海温故録には「昔は大宮の御祭りは式にのっとり大そうなものであり、太鼓や鉦を打ちはやし、湖岸まで御旅をするなど7日7夜もかかった・・・」とも書かれていて、此れ等により当時の地域尊崇を偲ぶことができる。併し戦国時代を経て幾多の兵乱により社殿悉く焼失し現在の本殿は延享年間江戸中期の造営と推定される。幣殿鳥居は昭和11年に建設した。境外に宮城神社あり、祭礼の時は大宮の御神霊がお遷りになり、終って御還御になる。祭神は栗見大宮天神社と同一。

境内社(摂社・末社)
(境外)宮城神社

昔は、このあたりも愛智領だったのかもしれない、と思って新宮で検索していたら、この神社が出てきた。




そして、中原氏はこの菅原氏と関係があるのでは…と思う。崇峻天皇の関係している系図の方に「清公」の名前があり、菅原姓ではないかと思う。
菅原氏の系図には、毛受宿禰とあり、この末裔は伊香郡にある「毛受兄弟の墓」(戦国時代)につながっているのではないだろうか?

また、毛受氏は水野氏の事でもあり、その水野氏はきっと江戸時代の丹波国柏原藩時代に二度も九里に養子に入ってくれている「水野良朴・良顕」とつながってくるのではないだろうか?

今まで、水野氏に関連しそうなことは、一切出てこなかったのでとてもうれしい!!








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4 コメント

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栗の付く神社 (りひと)
2018-12-10 22:08:46
知りませんでした東近江!
やば、ここじゃん私探していた栗の地って。

比良さんが亀の年号の頃、金光に乗って移動したって?それだけで凄い!

でね、市辺さんのお墓と近いのか?太郎坊と近いのか?色々と気になってきますね。

しらひげさんの鳥居の意味とか間の島とか色々妄想してます。

こちらもありがたい事にやたら回転が早く進むようになってきましたよ。ありがとうございます。
万人受けではなく、レアなターゲットに響けばいいだけですし、また自分にどう響くかが大事。

今体裁とか一生懸命にやっているうちに動機や衝動ってなくなってしまう方いっぱいいますよね。それじゃもったいない。感じた人にだけピンとくる情報のが 今後意味を持ってくるのでしょうね。
2402
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この辺りひょっとすると? (りひと)
2018-12-11 12:05:36
奈良時代から何かありそうな地ですね。愛知川渡らないといけないですもん。山方向に行くためにも。

稲目さんの息子の馬子の弟の境部摩理勢さんその息子さんが毛が付きますね。そして娘さんが阿が付くんですよ。境部毛津(さかいべのけつ)さんと境部阿椰(さかいべのあや)さんここ子孫残していて欲しいですね。

この地はかなり面白い事に宇佐神社や久留美神社などもありますね。この川は大昔からあったのか?は疑問ですけど神社寺がいっぱいある所には何かありますね。

この地少し掘ってみます。大阪や奈良と接点出てこないかな?地蔵閻魔関係の信仰もないか?東近江は気になりますね。栗の地ですからね。7799
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Unknown (木方)
2021-09-03 15:44:05
毛受氏ってのが水野氏と関係あるって凄い嬉しい情報です。家康絡みでも気になっているし、なんかお墓でも出てきたような。
で毛ってのも岐阜の方の身毛津氏も気になっていたんでそこが今とても気になりました。おまけに毛受と身毛津ってのもなんか似ているし。
で今こちらにやってきた理由が麻績王(オミ)に関する記事あるかなぁ?って。この字は読みにくいんですけど音だとオミ。で小見はこちらでは記事にありましたけど今話題の尾身さんが面白い事始めたようでこちらのプログでヒントないかな?と。尾と小、身と三も同じイメージのは思わないんですけど音では同じなのでちょっと頭柔くしてみようと思います。
毛受とっても気になってきましたよ。今後のヒントになりそうです。
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Unknown (Unknown)
2021-09-05 16:25:30
木方様

以前の記事ですが
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/%E9%BA%BB%E7%B8%BE

「息長氏と米原
日本書紀に、「オキナガ」の名で登場する人は7名しかいない。
気長宿禰王、気長足姫尊、息長真手王、息長足日廣額天皇、息長山田王、息長真人老である。
気長宿禰王と気長足姫尊は父娘の関係である。
息長真手王は継体帝に麻績郎女、敏達帝に広姫、娘二人を天皇に嫁がせていることになっている。継体帝と敏達帝は半世紀以上離れていると思われるので、どこかで伝の乱れがあると言われている。敏達帝に嫁いだ広姫は押坂彦人大兄皇子を生んでいる。押坂彦人大兄皇子は後に「皇祖大兄」と呼ばれて息長天皇家の祖と言われる存在である。」

と麻績の名が入っております。
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