中原久経・橘朝臣経久と同時代に「秦忌寸経久」がいる。(治承四年正月)
この秦忌寸経久は大隈掾とあるのだが、大隈とは現在相当領域が鹿児島県東部・奄美群島なのだそうだ。
一見すると近江国とは関係が遠いようなのであるが、その経久がどこから出てきたのかを調べていくと「朴市秦」に行き着く。
この朴市秦氏はイコール依智秦公で、実は近江国愛智郡の秦氏なので、関係おおあり!で、
しかも中原成行が愛智郡の領を持つが、それ以前から住み着いていた人々と思われるのである。
近江愛智郡志. 巻1 コマ107- 166-
この愛智郡の江州中原氏に養子に入っていたこともあるかもしれない。中原経久の系は伊香郡の中原氏なので、その可能性はあると思う。
更に愛智郡の中原も、其の土地に住んでいて力を持っていた秦氏とは養子などの縁組もあったかもしれないと思うのだが、文書を探し出さない限りは証明のしようがない。
経久の件は、いったん中断しまた機が熟すのを待とう!と思う。
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