江州中原氏のもう一つの【近江国御家人井口中原系図】が天武天皇からになっていることを解く鍵が見つかったような気がしている。
一つは、崇峻天皇が暗殺されてしまい、定世親王が長谷王と名を変えていた可能性を感じる事。
もう一つは、聖徳太子の兄【田目皇子】の息が高向王であること。
田目皇子のwikipediaによると、「男子一人(一説では高向王(宝女王の最初の夫、漢皇子の父))と佐富女王がいる。」そうである。
聖徳太子の異母兄となる。
この高向王が田目皇子の息という。
高向王は定世親王の従兄弟ともなる場所にいる人物である。
さらに、高向王の息=漢皇子が天武天皇であるとの説がある。
秦氏が衰え始め、此の天武天皇の中に組み込まれたのかもしれない。
高向利男の娘であった人が弘宗王の妻となり、息【長谷】の母となっている。
長谷‥‥此の長谷の兄弟時正の息【正基】から【中原】という註が見えてくる。
すでに中原を称していたのか、改中原賜清原真人姓とある。
長谷と中原…ここに何かありそうである。
wikipediaには
- 仁寿元年(851年)弘宗王の子息8名が臣籍降下し中原真人姓を与えられた。
- 貞観16年(874年)上記の弘宗王子息の子孫と想定される中原正基が清原真人姓(舎人親王の子孫に与えられる氏姓)に改姓した。