https://core.ac.uk/download/pdf/145768475.pdf
中川博夫 【後藤基綱・基政父子(一)その系譜と略伝について】
この論文の4ページ目に系図がある。
この系図によると 後藤基政の母は大江能範女だそうで、つまり基綱の妻が大江氏であったことになる。
基政の祖父は後藤基清となる。
後藤基清は、中原政経・小野義成とともに一条家に仕え、「三左衛門事件」のことで捕らえられてしまった人物である。
息の基綱の妻が「大江能範の娘」
能範とは、と以前にも記事にしたがその続きである。
今回は藤原能範として調べてみた。さて、同一人物だろうか?
藤原能範は藤原範光の息である。
更に範光は…藤原範兼の息であり、範兼は、弟「範季」が10歳の頃父が歿したために、父の代わりとして範季を育てている。
範季は、平治元年(1159年)の平治の乱で没落した源義朝の六男・範頼を引き取って自らの子・範資と一緒に養育している。
義経の応援隊でもあったようである。
範季と季範(熱田神宮の…由良御前の父)を間違えそうになるが、別人である!!
範兼の実弟であり、後に養子となる範季。(コトバンクには高倉範季ともある)
ところが、其の範兼も息を残して歿してしまったために今度は
「長寛3年(1165年)4月に範兼が死没すると、残された子の範子・兼子・範光らを引き取った(範光には実の娘である季子を嫁がせて婿にしている)。 」
藤原能範の母親は不明であるが、父の範光は、確かに範季に育てられていた。
範季に養育された範光、そしてその息が能範である。
さて、この人物が、大江能範と名乗り、その娘が後藤基綱の妻となり、基政を産んだのだろうか?
進展したような、していないような‥‥で、この線でもう少し調べてみようと思う。