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藤原範兼の父「藤原能兼」とは?

2021-07-14 | 藤原氏

従四位下式部少輔藤原能兼1086年 - 1139年

能兼の妹は源頼政の母。 = 藤原友実の娘(下野守 源仲政室)

という事は、能兼の甥が 源頼政であったことになる。

範兼と範季と源頼政は従兄弟であったのだ!

 

源氏びいきの素は、この辺りにある様である。

藤原友実は何度か目にしている。藤原実範の息であった。

https://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B0%8F%EF%BC%88%E5%8D%97%E5%AE%B6%E8%B2%9E%E5%97%A3%E6%B5%81%EF%BC%89

 

この範季の兄範兼の系も貞嗣系で、範季はそこから分れて高倉家となっているようだ。

貞嗣の系(南家巨勢麻呂)と源頼政とも近い関係であることがココではっきりとした。

 

藤原南家巨勢麻呂の系は、黒麻呂が藻原の開拓領主でもあり、東国とは縁が深い。

ましてや、季兼(熱田神宮大宮司家へ)1044-1101年 とあり、

貞嗣系をもっと遡ると藤原保昌の妻が 和泉式部(父:越前守 大江雅致)であり大江氏とつながり、また藤原致忠の娘は源満仲の妻ともなっている。

 

***

さて、大江能範。

この藤原能範とは同時代を生きているのだろうと思うのだが、一人は熱田神宮大宮司であり、後藤基政の祖父の大江能範は江兵衛尉とあり、別人である、と自分なりに結論が出たのである。

 

この周辺を再び調べる良い機会となった!!と思う。

 

 

 

 

 

 

 


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