大日本地名辞書 googlebooksより
片岡氏がもしも鹿島神宮の神主家兼地頭であったとし、大中臣氏の裔か、養子に入った者であったとすると、
中原有安の養子(中原景安・景康)が大中臣氏を称していたこともおかしなことではなく、
共に近江国伊香郡から関東に多数でやってきた中原氏であった可能性もあるのではないだろうか?
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片岡(大中臣・鹿島宮神主)は近江国伊香郡にいた人々ではなかったろうか?
此処二三日の豪雨により、高時川が氾濫し大変なことになっているのだが、
高時川・姉川・田川は暴れる川であり、古より幾度も被害があったようで、心よりお見舞い申し上げます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6992b85c5cb81eaf6be0547c9d9b449ee11a679/images/000
高時川
江姫の故郷・高時川に学ぶ先人達の水利用
~水への感謝と自然への畏れ~
登里 聡 著
https://www.kkr.mlit.go.jp/plan/happyou/thesises/2012/pdf01/23.pdf
近江国伊香郡 における式内社と氏族
佐野 静代 著
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/45/1/45_1_83/_pdf
比売陀 売比多神社 息長氏に淘汰された湖北の日子坐王後裔氏族「比売陀君氏」と賣比多神社 日子坐王ノートさんブログ 深堀されていて、面白いデス。
https://jp248.exblog.jp/28585976/
大中臣氏は多氏とも繋がっていると思っているので、こちらも留めて置きたい。
https://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/kikimanyo/route_kiki/k02/map_k02.pdf
http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/ujizoku/oonoomi/
摂津三島からの古代史探訪 さんのページも 面白く為になっています!
https://blog.goo.ne.jp/akuto508/e/fdf430d135e048b142f8af3cfb9dd5bd
常陸国の鹿島神宮が神八井耳の子孫仲国造が建てた古社で、いわゆる宮中祭祀の中臣氏は、その鹿島神宮の元神官・卜部家の分家だったと書いています。豊後の中津に移住しナカツオミと自称、仲哀(中津彦)大王の側近になり(注:雷大臣?)、神功皇后の時代から宮中祭祀を職業としたそうです。中臣氏と後の藤原氏の系譜は厳密には違うが、元は一緒で共に鹿島神宮の卜部だったという説明です。
https://blog.goo.ne.jp/akuto508/e/90ead5c9f4fa424b54861ce61c1ddcfb
近江国の伊香郡の中原氏が大中臣氏となっていて鹿島宮にいたのかどうか?
其の大中臣氏は多氏とどのような関係性であったのか。
また、息長氏が淘汰したといわれている「比売陀君氏」と近江の中原氏は関係があるのか?
それとも今まで思っていたように、息長氏の配下に近江国の中原氏がいたのか?
この辺りをすっきりとさせていきたい。