大間違い!
九里の祖=蓮忍に関係する藤原実明の息とは、蓮乗なのですが、蓮乗の母方の祖父は、基仲帥となっております。
もしも公雅と仮定しますと、玄修が母方の祖父となりますので、間違っています。
他に母親の名が記述されていない息たちが藤原公綱・明暹・明辨(1174-1246)・公遍・公縁・公真と六名おりますので、その中の誰かと思われますが、ひょっとすると正式な息子ではなく、名前が載っていなかったり、宗教上の師弟関係であったり、そのあたりの事はいまだ何も確たる証拠が出てきておりません。
ただ、丹後国河守庄の地頭となった蓮忍入道が、1239年に室尾谷観音寺に山林を寄進していること。
その室尾谷観音寺の中興の祖というのが蓮乗であり、彼が観音寺を立て直してすぐにその寄進が決まっていることなどが、わかっているのみです。
そして、醍醐寺の文書に蓮乗は、前の僧名は慈信。祖父は基仲帥。少納言実明息。と記述がありました。
そのあたりは以前の記事を再掲したいと思います。
九里の祖=蓮忍に関係する藤原実明の息とは、蓮乗なのですが、蓮乗の母方の祖父は、基仲帥となっております。
もしも公雅と仮定しますと、玄修が母方の祖父となりますので、間違っています。
他に母親の名が記述されていない息たちが藤原公綱・明暹・明辨(1174-1246)・公遍・公縁・公真と六名おりますので、その中の誰かと思われますが、ひょっとすると正式な息子ではなく、名前が載っていなかったり、宗教上の師弟関係であったり、そのあたりの事はいまだ何も確たる証拠が出てきておりません。
ただ、丹後国河守庄の地頭となった蓮忍入道が、1239年に室尾谷観音寺に山林を寄進していること。
その室尾谷観音寺の中興の祖というのが蓮乗であり、彼が観音寺を立て直してすぐにその寄進が決まっていることなどが、わかっているのみです。
そして、醍醐寺の文書に蓮乗は、前の僧名は慈信。祖父は基仲帥。少納言実明息。と記述がありました。
そのあたりは以前の記事を再掲したいと思います。