以前書いた記事からだが、
そして今まで知らなかった「新庄氏」坂田郡新庄! ↓ web情報
藤原秀郷は一説に近江国栗太郡田原郷から出たというように近江と縁があり、近江北部には秀郷の後裔を称する武士が多い。 蒲生氏、今井氏、堀氏、泉氏、井戸村氏、小堀氏、そして新庄氏らは、すべて藤原秀郷の後裔季俊の末となっている。季俊 の兄にあたる行俊は内藤氏の祖で、その子孫からは丹波、周防、三河の内藤氏が出て、 三河内藤氏は近世大名として続いている。
さて、季俊の後裔俊綱は今井氏を名乗り、曾孫の遠俊は足利尊氏に従って功があった。その子俊名は足利二代将軍義詮に仕え 近江国坂田郡新庄に居住して新庄を称したのだという。以後、新庄氏の代々は足利幕府に仕えるが、本家筋にあたる今井氏 と比べるとその動向は詳らかではない。
秀郷の子孫であり、代々内舎人であったようだ。という事は、京都暮らし。
坊門信清の娘が嫁ぐ際に、随ってきた者であろうと思われる。
蛇足だが、坊門信清の娘は後に
西八条禅尼(坊門信清の娘) |
となり、82歳まで生きていた。実朝亡きあとすぐに出家し、京に戻っていた。
夫であった実朝が殺されたのは26歳の時の出来事。そこから56年間…どんな思いで生きていたのだろう。