九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

藤原秀郷流の系図の一部 (1) 

2021-05-18 | 藤原氏

 

 

 

 

 

 

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780477

コマ19から

 

 


コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 緑で目を休めよう~! | トップ | 我が家のスズランが咲きまし... »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (木方)
2021-05-19 11:14:09
凄く興味ある分野で自分とは違う人が介した情報ですね。今後も体験に参考にさせて頂きます。
カミムスビさんが出てきたのでそれもまた嬉しいのですがそこが櫛の付く方に繋がるのですがそのお隣のツハヤさんとは違う系列になるん所がとても興味深かったです。兄弟で一方が後不比等に繋がる。
それともう一個ぱっと見ただけで気になった所がありましたけど忘れましたね、じっくり見たら寝れなくなりそうな文書です。多? ?能だったかな?
藤太の相模との接点もお子さんの名前も見えてどんどん興味が広がります。
後藤太の明治の年号と8/6の日付のあたりもどういう社会情勢だったのか?も気になりますね。明治も時代により違いそうに思うので。
色んな方が色んな環境の元色んなことを考える材料になりそうですし、それが考える自分たちの今に役立つ情報になるといいですね。
返信する
藤成の時代に鎌倉 (kunorikunori)
2021-05-19 16:23:15
木方様

いろんな示唆に富んでおり、読んでいてヒントがやって来ます。
正しいかどうかは私にはわからないのですが、面白いです。
返信する
Unknown (木方)
2021-05-21 17:15:00
藤太の子供って全く調べていなかったんですけど、相模との縁を継承していそうですね。で昔隠岐に一度予約してキャンセルした後結局佐野行ったような事思い出しました。千晴さんは隠岐に流されているようです。山の中で一番好きになった所がその地に縁があった方々が祀られている場所でそこの神事が5/15だったようです、もっと早く調べてら良かったのになあと。
タケミナカタという神様のお子さんも調べたかったけど止まっていますが、藤太の子供のその後を調べる方が資料も色々とありそうで進みそうです。千が付くのも気になりますね。大小橋命さんもこちらの系図にありそうなので大阪と藤太って縁ないのか?気になりました。
隠岐にもコロナ落ち着いたら行きたいなあと思っています。
返信する
鎌倉 (kunorikunori)
2021-05-21 21:34:10
木方様

藤成の時代に鎌倉…と題に書いてあったのに、書き忘れておりました。

藤成の註「鎌倉葬 長沼村」とあり、村雄の註にもそのように書かれております。

つまり、鎌倉って、その当時はどの範囲をさしていたのだろう?と気になりました。
八王子の長沼なのか? 千葉の長沼なのか?
他にもあるのだろうか?

何故、そこに葬ることとなったのか。。。。

関係のない処には葬らないと思うので、そこも領地だったのだろうと思っています。
返信する
Unknown (木方)
2021-05-28 17:46:26
鎌倉の長沼は栄区の本郷って地名もある辺りっぽいですね。こっちは境川。御霊神社も結構ありそうですし、地図では一度橘って場所も出て来たんですけど見つからずです。
稲城長沼は沼なさそうですけど多摩川渡ったら多磨霊園や府中ですから私の気になるエリアですから鎌倉の海からこの辺りまで気になっています。

なんか最近書いた事が消えちゃうんですよね。
さっき小学校で立て籠りの事件の場所がまた、ちょっと進み過ぎているんで一回祓って逃げておきます。

そう消えているのが第6代孝安天皇と後漢に出てくる最初のに人物のあたり書いたのに。もっと先なのでしょうね。玉手と秋津に行きたいんですよね。
ゆっくりゆっくり自分のワークやります。
掘立柱の建物遺跡も関係してきたら凄いですね、橘繋がりは近畿に繋がりますかね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

藤原氏」カテゴリの最新記事