九里 【九里】を探して三千里

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良峯姓前野氏 山内氏とつながりか?  山内一豊の弟康豊 深尾氏 乾氏 (1)

2020-09-17 | 浅小井深尾氏

大和宇陀松山藩の九里の祖は…どこにあるのか。

柏原織田家臣系譜には、良峯姓の前野氏(=佐々氏)から二度ほど大和宇陀松山藩の九里氏に養子に入ってもらっている。
(大和宇陀松山藩は後に丹波柏原藩に移封)
また、水野氏からも二度。
岡田氏とは、一度岡田氏に養子に入り、一度は九里に養子に入っていただいている。

大和宇陀松山藩の九里氏は以上のように養子だらけなのだ。

そこはお家大事!で、九里氏の血脈から離れていかぬように細心の注意の許であったと仮定する。

===*===

良峯姓の前野氏から話を始めよう。
此の良峯姓は東国の源頼朝のもとに赴いた「原高春」と同じ氏である。
詳しくは
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/bd935e99c1e3f50fbae745bf4c7e4e8b

【貞能を尾張で扶助していた原の太夫高春は、千葉上総介広常の外甥で、薩摩守平忠度の外舅である。」
千葉上総介広常の妹が妻となった原高成。その息(広常の外甥)高春
平忠盛の妻となった原高春の姉。
薩摩守平忠度の母となる。
高春の姉が平忠盛の妻となり、忠度の舅となる。(忠度の外舅)】

この高春の弟「高長(従五位下)から九里氏と関係のある佐々氏(前野氏)へと続く。

ここにきれいな系図がある。
http://www.maeno3.com/m-ichizoku/m-yosimine.htm

高長ー宗長―宗安ー時綱ー時基ー宗氏ー宗義ー高康ー綱宗ー時正ー長義ー忠勝-その息に九里に入った十助がいたのである。


忠勝は又五郎である。
九里に入った十助の息六左衛門ー六蔵…となる。 十助ー六左衛門ー六蔵 である。

今回注目したのはその忠勝の息に山内盛豊の弟が養子として入ってきていることであった。
山内には前野氏から妻を迎えていたり、とご縁があるのだが、其の山内の名を見ると…「十郎」がいる。
十五歳で没しているので、九里十助とは」別人と思うのだが、気になる。十助から十郎はありそうである。

しかも、この山内氏は深尾氏と乾氏とを繋げ何度も婚姻関係を結び、山内一族の中に組み込んでいくような感じなのである。
http://www.eonet.ne.jp/~academy-web/keifu/keifu-yos-maeno1.html

http://www.eonet.ne.jp/~academy-web/keifu/keifu-yos-maeno2.html

山内・深尾・乾氏が繋がっていたとすると、このグループの特徴は近江国にも美濃国にも関係がある三氏であるということではないだろうか?

さらに三氏ともにその後、土佐国に渡っている点も共通である。

===*===

しかし、九里氏は土佐国とは関係が薄い、と思う。
中原秋家氏が土佐へ渡った事はあったが、、、身近に土佐国へ…の形跡がある人物はいないようなのだ。

http://www.eonet.ne.jp/~academy-web/keifu/keifu-yamanouchi.html

http://www.eonet.ne.jp/~academy-web/keifu/keifu-toki-inui.html

さらに、奇妙な点は我が九里の家紋は、乾氏の榧之内十文字なのである。乾退助=板垣退助家と同じ家紋である。

山内氏…と言えば、佐々木流の佐々木氏頼の弟が山内氏であったはずである。
そこと一豊の山内氏が繋がるのかどうかは?であるが、、、、可能性はあるのではないだろうか。



やはりこの辺りと関係がありそう。和歌山九里系図には【六角家】と系図の註にもあった。


しかも深尾氏は九里が六角に攻められていた際に、九里の幼子を匿い、逐電した。
たぶん幼子を逃がし育てるために共に脱出したのだと思う。

===*===

近江・美濃国では山内・深尾・乾氏のグループと前野氏が関係し、

尾張国では前野氏・原氏・長田氏が繋がっており、
さらに前野氏の婚姻関係から坪内氏・蜂須賀氏も、
更に突っ込むと生駒氏・津田氏・岡田氏・水野氏も連なってくる。

前野系図1によると
「【始祖】前野右馬二郎時綱  【本貫】尾張國丹羽郡前野邑

【世系】前野氏は、良峯姓なり。其先は桓武天皇の皇子、大納言良峯安世に出づ。 後裔瀧口右馬入道宗安の嫡子右馬二郎時綱が尾張國丹羽郡前野邑を領して氏と為す。あるひは良峯姓といふ。

【家紋】洲濱、丸之内花菱、立浪」

…とすると、原氏も良峯姓なんで桓武平氏となる。

つまり、前野・原・長田氏の三氏は桓武平氏を先祖に持っていることになる。

坪内氏は富樫氏と関係があり、藤原利仁が始祖のようである。
蜂須賀氏は蜂須賀系図によると「尾張國海東郡蜂須賀村 蜂須賀氏は源姓なり。斯波尾張守家氏の後裔に出づ。」とある。
尾張の岡田氏は源満政

水野氏は「水野氏 (尾張国) : 丹姓平氏良兼流の致兼の子の長田致頼を祖とする長田氏(尾張平氏)流の浦野氏の葦敷氏一門の小河氏(三河小川氏)の庶家である。尾張国山田郡(春日井郡)水野郷を拠点とした。
庶家に毛受氏、同族に尾張木田氏・尾張山田氏(庶家に尾張岡田氏・足助氏(三河平氏))・平野氏や三河平氏の大浜氏・三河永井氏などがある。後世に美濃源氏流八島氏(羽島氏)の系統と仮冒(偽称)した。ちなみに徳川家康の母方の家系であり、江戸時代には譜代大名として優遇された。」

水野氏も大きく、九里氏養子に入ってきてくださった「光信」の系がどこに位置するのかがさっぱりわからずにいる。
此の水野氏が長田氏と同じ祖であり、驚きであった。何かしらこの辺りに突破口がありそうである。

ヘロン様のページより
https://blog.goo.ne.jp/heron_goo







蒲生氏郷にも仕えていたという。





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