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太田氏を考える(2)昌明と乗明

2018-05-31 | 太田・大田氏

太田昌明は、はじめ比叡山の荒法師で「法橋昌明」として、進美寺に寄進状案を差し出している文書が残っている。
但馬守護法橋昌明である。



寄進先の「進美寺」は源氏にとっては大事なお寺だそうだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E7%BE%8E%E5%AF%BA

「正治元年(1199年)にも「関東御祈祷所但馬進美寺」へ文書が発給され、承久の兵乱の後、但馬守護が太田昌明(常陸房)に交替してもこれらの権能は引き継がれた。」とあるように、この太田昌明は常陸房昌明でもあった。

コトバンクによると、以下のようにかかれている。
?-? 平安後期-鎌倉時代の僧。
はじめ延暦(えんりゃく)寺の僧。武芸にすぐれ,平家滅亡後は北条時政にしたがい京都の警備にあたる。のち,源行家追討,奥州藤原氏攻め,承久(じょうきゅう)の乱に活躍。法橋(ほっきょう)を称し,承久3年(1221)但馬(たじま)守護に任じられた。通称は常陸房(ひたちぼう)。

そこで、名前だけ見るとこの昌明と「乗明」が似ているので、気になっている。

それだけではない、あちらこちらで顔を出す神出鬼没の人なのである。そして手腕はあるのに悪だったり、威張りたがり屋だったりとその行動から判断できてしまうような…変なお坊さんなのである。(欲張り。全然欲を捨てていない!)

但馬守護
鎌倉幕府

1185年~? - 小野時広
1197年~1221年 - 安達親長
1221年~1223年 - 太田昌明(常陸房)
1323年~1285年 - 太田氏
1285年~1321年 - 太田政頼
1321年~1331年 - 太田氏
1331年~1332年 - 太田守延
1332年~1336年 - 太田氏

乗明との関係は、わからなかった。残念。

文書の中に昌明と並んであった名前「一品房昌寛
?-? 平安後期-鎌倉時代の僧。
京都成勝(じょうしょう)寺執行(しぎょう)。源頼朝の右筆(ゆうひつ)的存在。元暦(げんりゃく)元年(1184)源範頼(のりより)にしたがい平氏追討のため西海におもむく。文治(ぶんじ)5年頼朝の命で藤原泰衡(やすひら)追討の宣旨をえるための使者として京都にいった。通称は一品房(いっぽんぼう)。
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2 コメント

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太田昌明について (大島克幸)
2021-02-18 07:57:04
太田昌明についての記述の中に「常陸房」がありますがこれは「常陸房海尊」とは別人でしょうか?常陸房海尊は弁慶とともに、義経を守護した僧兵です。時代も同一ですし、比叡の僧兵も同一ですし別人とは考えにくいのですが?
返信する
常陸房海尊 (kunorikunori )
2021-02-18 09:47:37
大島克幸様

コメントありがとうございます。
もしや兄弟とか、親子とか、何かあるかもしれません。
今調べたところ、
東大の史料編纂所DBに一件出てきました。
記事にしますので、ご覧いただけますと幸いです。
返信する

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