web情報によると、
「国房の子 光国は、父の私領である厚見郡鶉郷を継ぎ、天治元(1124)年に東隣にあった東大寺領茜部(あかなべ)荘の田畑26町歩(一説には18町歩ともいう。)を押領したと境論争となり、美濃国衙の検注(面積の検査)を受けるがお構いなしにそのままにして、私領である鶉郷を隣接する故二条家領平田荘に寄進してしまうのである。
紀氏のルーツさんより
①998「茜部庄」
・郡名:厚見郡 岐阜市
・領家:東大寺領(法華堂料所・百口学侶衣服料所)
・庄司:武士 美濃源氏:源国房(源光国の父)
・鶉郷の領主
・地頭:長井(大江氏)時広は地頭職を東大寺に寄進
・史料村郷名:鶉郷・本郷・上村・下村
・明治村字名:茜部
②1053「平田庄」
・郡名:厚見郡 岐阜市
・領家:故二位家領・長講堂領・皇室領
・1192 源光国が故二位領平田庄の加納として長講堂に寄進
・美濃源氏源頼光の曾孫源光国の私領
・史料村郷名:市俣郷・草手郷(革手郷)・加納郷・六条郷
鶉郷・東庄・西庄・東庄
・明治村字:上加納・下加納・鶉
※出典:東大寺文書・東南院文書
その辺りと思われる神社
鶉田神社
住所
〒500-8281 岐阜県岐阜市東鶉5丁目63番地1
由緒由来
宝亀二年創祀。天武天皇の第三皇子一品舎人親王の孫権中納言式部卿秀重、宝亀二年鶉の森を拓き、鶉の郷と名付け、郷内天王森に鎮守の祠を建て(素盞鳴尊を祀れり。弘安四年蒙古来寇の時、御祈願の為勅使参向あり。平定の後、皇室より大床安坐の狛犬を下賜せらるる。永禄年中織田信長、斉藤龍興征討の際戦勝祈願あり。斉藤滅亡の後紋所を寄進し、且つ社殿改築寄進あり。後光明天皇正保年中社殿炎上したれども、御神体及び大床安坐の狛犬のみ難を逃れたり。其の後加納藩主松平丹波守光重に於いて再建し、且つ社田旧高十石を寄進せらる。社殿の彫刻は左甚五郎の作なりと云ひ伝へ。精巧を極む。延享五年里正より寛延二年笠松郡代吉田忠倶より寄進の石灯籠今に存す。維新前旧高十八石を有せしが、町村政実施の際村有地となるたるも、字名神田と称し存在せしも、農地改革実施に伴ひ現在は全部民有に帰したり。従前は社家社僧ありしを、維新の後之を改め、更に古昔の郷名を採り社号を鶉田神社と称し明治六年一月笠松縣より郷社と定めらる。