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我が九里家古文書より(14)寛永4年から 政直登場! 大和宇陀松山藩 九里家由緒書【7】

2016-03-13 | 我が九里家と古文書
江戸時代、この政直より以前は不詳です。残念!!

九里八郎右衛門の系はこの世から消えてしまったかのごとく、
足跡をたどることが難しくなります。

福島掃部頭に仕えていたことが、唯一の情報です。
この政直以前が、とても知りたい!のです。

他の九里の方々(源兵衛や市左衛門~十左衛門・孫左衛門等々)
のことから、何かがわかるかもしれません。
どのような情報でも、教えていただけますと嬉しいです。

さて、今日は九里八郎右衛門政直 です。

実は、この人はもともと【岡田清左衛門】を名乗っておりました。

柏原織田家臣系譜の政直の部分には、
「初仕宇陀領主 福島掃部頭正頼主家断絶後信雄公以
 政直之通民情命代官役賜 禄百石於 宇多(ママ)郡 藤井 日有 平尾 三村
 改冒 九里氏」

…とあります。

藤井・日有・平尾はどの地も荘園があったところのようです。

宇陀って、神秘的で素敵なところです~。
http://www.city.uda.nara.jp/sin-kankou/index.html

それでは、九里八郎右衛門政直 参ります!

政方が書いております。

由緒書  
                           九里八郎右衛門先祖書
                           祖父 九里清左衛門
徳源院様、和州宇陀御拝領遊ばされ候以後、召し出され御代官役仰せ付けられ、
     知行百石下し置かれ、御判物徳源院様御在世の内 寛永四年(1627年)、
     瑞泉院様より成し下され候、
同御代  正保元年(1644年)迄右の御役儀相勤め、病死仕り候、
     清左衛門儀、前方 福島掃部頭に相勤め罷りあり、
     宇陀郡の様子案内に付き召し出され、御代官仰せ付けられるの由承伝候

以上が政直の生涯でした。

福島正則の弟である高晴(正頼)にも仕え、その後の織田信雄にも仕えていた政直。
それ以前はどこにいたのか、九里家と岡田家の関係は?などが知りたいところです。

ここで古文書は終了。由緒書きとはいえ、なんだかあっさりとしたもので、
書いている当人たちも自分たちの出自はわかっていなかったと思われます。


今までの登場人物(明治から江戸へ遡る)

圭治→政得(益男・文之丞・敬三)→政忠(雅吉・彦輔)→政敬(乙蔵・嘉膳・実 岡田十左衛門重昌四男)→修政(繁治・実 佐々茂左衛門・法名実相院大誉義空居士)→良朴(亀之丞・実 水野九郎右衛門次男)→良顕(杢之丞 実 水野佐七右衛門 法名唯心院願誉祐慶居士)
→政方(八郎右衛門)→ 政道(九里八郎右衛門 法名壇誉道林信士)→政直(岡田清左衛門 九里ト名字改め 九里清左衛門 法名 性山道悦定門)


大井家に養子に入ったものもおりました。(私の曽祖父にも曾祖母にも九里の血が入っていたのですね。)



昨日「佐々介三郎宗淳」著者:但野 正弘 水戸史学選書を借りてきました。
「助さん」だけではなく「格さん」も本当にいらして、同僚だったそうです。

秘密がたくさん詰まっているような、そんな本です。
内容を少しお伝えできるといいな…と思って、メモしながら読んでおります~♪

今日の政直で、さかのぼりの歴史 明治から江戸の時代は終わります。
次回は、織豊時代に入ります。

ただ、ココからは八郎右衛門の系がわからず、混乱を極めております。

お付き合いいただけますと、幸いです!








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