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我が九里家古文書より(12)正徳三年から享保十六年 政方登場! 九里家由緒書【5】

2016-03-12 | 我が九里家と古文書
九里八郎右衛門政方の登場です。

柏原(かいばら)織田家臣系譜には、政方は「用人物頭・命越後流兵学師範」とあり、
越後に兵学を習いに行って、師範になって帰って来たのでは(私流解釈)と思います。
「流」は越後流の意味と思ったのですが、いかがでしょうか?
それとも、命令で行ったのに、放浪してきたとか??

きっと、【片山良庵】の塾?に行っていたのだと思います。
年代的にはもう良庵先生が亡くなられていたのではと思います。


片山良庵(江戸前期の軍学者・医師)越前福井藩士後越前松岡藩士 (wikipedia)
さらに、弟子の系譜もあり、

片山良庵 ― 真柄安勝 ― 小倉実重 ― 秋原正族 ― 木村正敬 ― 九里成照 ― 名児耶根麻 ― 秋原政勝 ― 秋原政甫 ― 九里成誉 ― 高野常道(『日本兵法史』424頁〔長岡市個人蔵『伝統之巻』による〕)。とwikipedeiaに書かれております。

☆二人の九里(成照に成誉)

長岡藩・加賀藩にも九里の親戚が多数おりますので、その中の人かもしれません。
政方が入っていると面白いのですが、まだ調べているところです。

また、加賀藩の【加賀藩 鉄砲所文書】の中にも九里が登場してきます。
兵学に強い家系なのでしょうか。

さて、片山良庵の一番弟子?【真柄氏】の事ですが、水野良顕・良朴の家系にもいた苗字です。
たしか、水野九郎右衛門の祖だったような。。。

真柄直隆のこと(弟子の当人ではなく、その祖か?)ですが、面白いので書いておきます。

戦国武将で、朝倉氏に仕え、武勇に優れた人物…とあり、身長2メートル・体重250キロ。(wikipediaより)


同じく朝倉氏に仕えていた九里甚左衛門正貞も【九里系図并旧記】に「容貌長大 勢力有」と書かれております。

ちなみに、初期の藤原氏も体格が良かったそうです。

それでは、古文書参ります!

九里八郎右衛門政方の部分です。

                        当 九里八郎右衛門
徳雲院様御代、天和二年(1682年)三月、亡父跡式相違無く仰せ付けられ、御馬廻り相勤め、
       当御代、
       正徳三年(1713年)正月、御目附役仰せ付けられ候、以上

       正徳三年三月

                        九里清左衛門由緒書
       正徳三年(1713年)   差し出し候由緒書以後 
                        曽祖父 九里八郎右衛門
                       (これは修政が政方のことを書いたため曽祖父となっている思われる)
 
長徳院様御代、正徳五年 (1715年)正月十一日、御郡寺社奉行仰せ付けられ候、
       同 六年(1716年)二月五日、此の度の御領内百姓御仕送り仕り候に付き、
                       御元締め役仰せ付けられ、是迄の御役儀兼ねて相勤め候様
                       仰せ付けられ候、
      
       享保二年(1717年)四月二十一日、実子御座無く候に付き、〇〇〇〇以って
                         御眼鏡養子仰せ付けられ候、
       同 七年(1722年)二月九日、 御物頭役仰せ付けられ、御用人役是迄の御役儀兼ねて
                          相勤め候仰せ付けられ候、

水月院様御代、享保九年(1724年)三月十日、 倅○○儀だんだん結構に仰せ付けられ相勤め罷りあり候処、
                          不縁に付き、願い奉り離縁仕り候、
      
      享保十一年(1726年)四月十七日 御前において三十石加増成し下され、都合百八十石頂戴仕り候、
       同          九月十三日  願い奉り水野左右衛門弟 水野杢之養子に仰せ付けられ候、
       同          九月十八日  御賄御元締仰せ付けられ候、
      同十六年(1731年)六月二十四日  病死仕り候

                                       
以上が九里八郎右衛門政方でした。

とても密度の濃い一生だったように思えます。

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。 では、また次回!                                                              
      




        


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Unknown (木方)
2021-07-12 10:11:27
ランキングで覗きましたが、面白い一文見つけちゃいました。
初期の藤原氏は体格はよかったようですって。

私の妄想もそうなんですよね。
で体格よいの加えて発想とかも豪快で山とかでも生きていけるような感じだったんじゃないかな?当然自然や環境による経験上の知恵もあったからだとも思います。
けど歴史の各分岐点であれ?って思うように変化しちゃっておまけに誰かの権威にすがるか血筋に頼るようになってしまっているようにも思うんですよね。公家に憧れちゃったような?それじゃあきっとせっかくの体格も武器とかお金と権威とかで劣化しちゃうんじゃないか?と。今男の子が同じ年齢で比べると女の子と同じ土俵に入れられないのと一緒でむしろ実務出来る素材なのにやれる所に居ないようにも思います。全体で考えるともったいないように思うんですよね。むしろ武器お金権力なくても自然にやっている事で凄いんじゃないかな?って思う方を歴史からも現在からも見つけ出す事が出来たら犯罪を未然に睨みが怖いんでやめる方向になるように思います。鉾の関係者だとちょっと面白いですよね。まだお金も武器もない時代でも統率力あり、下々の為にも実務を考えて滞りなく出来る。ただ出来ちゃうと気付かないし、出来ない方が目立つんですよね。現世では特に。超能力者と一緒かな?当たれば感謝程度で、当たらないと抹殺されちゃう。当たらなかった理由はもしかしたら周りの環境の変化により阻止したかも?なのに。
そんな考えで歴史の登場人物を見ていくとなぜか?抹殺された方が魅力が出て来ちゃう。
名字も参考になりますが、長い年月で入り組んでいるので多かれ少なかれ現代の方にも関わるはずですしより安全にみんなが暮らすための働きならば阻止される事も阻止する方が権威やお金があってもおかしいわけです。

そういう意味でも秩序維持していた方々、どんな方法でやっていたのか?どの地域に適性があるのか?など興味ありますね。
よく出てくる人物がいたのか?明確でもない各地域や仏閣等でも藤原さんは必ず出てくるんですよね。山とかでも。本来中枢でのほほんのイメージもありますので手柄権威付けでと疑っていましたが、初期は体格がよいならばもしや?と思ってしまいました。養子等も多いだけに疑っていまう歴史の登場人物もいます。本来ありのままで出てくるべきだし、それをありのままと出来ないならばそっちの方が犯罪だとも思うので訴える対象も間違ってはいけない気がします。
何事ももありのままだと一番分かりやすいんですけどね。日本の歴史はとにかく怪しい所の多いので逆に伸び代がありそうですよね。
皇子の争いとかでもドロドロですけど、ありのまま知りたいですし居なくたった事での弊害があるが問題です。死んだ事にしてとすると動きやすい人もいるでしょうが、亡くなる前に気付かないといけない事もある。争いで居なくなる前に居なくなった事を想像して理解することって大事ですよね。それが出来なくなる争いっておかしいわけです。合議制だった時代もあるでしょうから誰が言ってもおんなじ、天皇でも政府でも言った事の背景想像するだけで見えない事も見えてきます。少なくても恥ずかしい事を言ってたら気付かないといけないし、周りも止めるはずです。そう思うと古代以上に大変な時代なのかも?誰の言葉でも同じように、大事な言葉として扱ったら少し変化起こりそうに思います。
私も初期のと付けたいのは尾張氏なんですけどね、こっちは荒くなってそうにも思うんですよね。もしかしたら本人たちは全く変わらないのに周りの対応が忖度が悪化したとした可能性もありますよね。
そう思うならば対処法は、誰の言葉であっても間違っているならば伝えないといけない時があるという事。
そう思って危機に立ち上がっている方々も今いっぱいいます。少なくてもその方には応援したいですよね。
藤原さんも好き嫌いっていうのも同じ藤原だからではなく遠慮なくこの方はーだからって実害や感謝で言えるといいですね。多分一人が思う事は日本の場合大多数が思っている事だとも思います。
今回はおんな時ように思った者として入れておきますね。LINEなどの違い流れや発言の順番などのタイミングでも左右されないそれぞれの意見は同じように大事だと思えるようになるといいですね。言いにくい事は大抵一番後になりますが、それこそが自分実は問題解決には一番我慢していておまけに最後自分はダメージを負っても被害が少なくなるような発言だったと思ってくれる方が増えると聞く耳も育つんですけどね。早く言えないのも配慮なんだと理解して欲しいけど無理ならば今が一番早いというのも素直で真面目で正義感ある子供たちにも伝えたいですよね。そうしないと歴史を繰り返しちゃうという事もあるんだと思いますね。
藤原さんという方との出会いが楽しみです、体格見ちゃいそうですね。
返信する
この九里正貞さん (kunorikunori)
2021-07-12 19:00:18
木方様

この正貞は、たぶん永田氏で、信長の前で相撲をとった人物と同一人物と思います。

という事は、やはり九里は永田氏と同じ氏族?なのかもしれません。

称九里の永田氏もおりましたので、、、
何方か、永田氏の中の九里のことをご存知の方いらっしゃらないかなぁ…と待っているところです。
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