年代が合わないので、調べていくと 江州中原の系図に載っている成俊と思われる人物は1000年代である。
が、木村佐々木成俊は1100年代であることがわかってきた。
はやり中原氏であったようである。
が、佐々木氏の中の系図で「木村」の記載のある系図も見つけたのである。ここが混乱のもととなっているようである。
佐々木氏の系図の中で「成」のついた名前は、この周辺には見当たらず、遡り、源成頼の息に成経(初名頼実:志賀の祖:母式部少輔菅野敦頼の娘)~成氏(美濃守 従五下)がいる。
「俊」で見ると、経方の弟に日野冠者と呼ばれる経俊がいる。経俊(母後冷泉院女房綾御方)-経貞(日野小太郎)
木村成俊は季定(為俊)の弟となるらしいが、この系は消されているか、中原の方を継いだために書かれていないかと思われる。
そうであれば「俊」が通し字となっていたのであろうと思われる。
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季定の弟の成俊
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定道の息の木村成俊