万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

コロナ・ワクチン接種同調圧力の無責任-ワクチン・ハラスメント

2021年07月19日 12時59分32秒 | 社会

 コロナ・ワクチン接種の対象が拡大して以来、職場などにおける同調圧力が問題視されています。厚労省は任意性を強調しつつも、接種を希望しない人に対して、接種を促すための有形無形の圧力や嫌がらせが報告されているからです。ワクチン・ハラスメント、即ち、’ワクハラ’という新たなハラスメントの類型が登場したことにもなるのですが、ワクチン接種に関する他者に対する同調圧力は、あまりにも無責任なのではないかと思うのです。

 

 表向きは、ワクチン接種は強制ではありませんので、希望者に限定されています。言い換えますと、ワクチンを接種するのもしないのも、個人の自由な選択に任されているのです。もっとも、あらゆる自由には責任が伴うものです。個人の自由な選択の結果であれば、その選択から生じるあらゆる事象は当人の責任となり、自由と責任との関係は、本来であれば個人の内に完結するのです。例えば、ワクチンを打つ自由を選択した人は、発症や重症化の回避といったワクチン効果を得る一方で、仮にワクチン接種によって何らかの健康被害が発生した場合、自己責任とされてしまいます(もっとも、仮に、将来的に政府が因果関係を認め、死亡者や重篤者に対して補償金を支払ったとしても、命や健康な身体は戻ってこない…)。反対に、ワクチンを打たない自由を選択した人は、発症や重症化リスクを負う反面、ワクチン・リスクを回避することができます。両者とも、他者に影響を与えませんので、自由と責任との関係は一先ずはバランスしていると言うことができます。

 

 しかしながら、今般のコロナ禍にあっては、ワクチン接種は、上記の個人の問題の枠を越える側面があります。何故ならば、政府は、集団免疫理論を政策の基盤に置いており、それは、感染終息による早期の経済活動再開という目的とも一致しているからです。このため、政府は、表向きは個人の自由を謳いながら、裏ではあの手この手で接種率を上げるべく、様々な誘導策を試みています。時短要請に応じない飲食店に対して融資を見直すように金融機関に指示しようとするぐらいですから、政府は、職場接種に応じない企業に対しても何らかの不利益を与えようとしているのかもしれません。政府からの明示的な指示の如何に拘わらず、企業側が政府の意向を忖度し、職場にあって同調圧力を醸し出しているのかもしれないのです。企業にとりましても、経済活動の一日も早い正常化は望まれるところなのですから、職場とは同調圧力が生じやすい状況にあると言えましょう。

 

 ところが、ここで一つの重大な問題が発生します。同調圧力とは、他者に対して自らの意思を押し付ける行為なのですから、責任の範囲も他者にまで及んでしまうという点です。つまり、自由と責任の問題は、自己責任論では収まり切れなくなるのです。そして、ここで’スポット’が生じてしまうのは、ワクチン接種による健康被害に対する責任です。自らの自由意思でワクチンを接種した場合、ワクチン・リスクから生じる健康被害は基本的には自らの責任となります。その一方で、同調圧力に負けて接種に応じた人々については、これを自己責任と諭されても納得しないことでしょう。言い換えますと、同調圧力をかける側は、万が一にも接種に追い込んだ人々に健康被害が生じた場合、その責任を負う覚悟が必要と言えましょう。

 

 もっとも、同調圧力をかける側の人々は、ワクチン接種を受けない人々が存在することで集団免疫が成立せず、かつ、経済活動も再開できない、としてワクチン非接種者に対してその責任を求めるかもしれません。しかしながら、そもそも、効果の永続性が欠ける今般のコロナ・ワクチンでは集団免疫の成立は困難であることに加えて、ワクチン接種率の高いイギリスやイスラエルの事例は、打たない自由を選択した人々が、打つ自由を選択した人々に追加的なリスクを与えもしなければ、経済活動再開の妨げともなっていない現状を示しています。何故ならば、デルタ株等の変異株によって感染者数は増加に転じているものの、重症者数も死亡者数も低レベルで推移しており、新型コロナは、もはや怖い病気ではなくなっているからです。新規感染者の多くは若者であり、かつ、非接種者であるとされていますが(治療方法の進化も重症化率や死亡率の低下に寄与しているとも…)、感染しても重症化しないもとより免疫力の強い人々なのでしょう。そして、接種にも拘わらず新規に感染した人も、重症化しないのですからワクチンの恩恵を受けたことになります。つまり、集団免疫が成立しなくとも、接種者はワクチン接種のメリットを十分に享受しているのであり、非接種者に対して責任を問う立場にもないのです。

 

 また、今般のワクチンの主たる効果は重症化の防止ですので、ワクチン接種者であっても自らが感染することも、反対に他者に感染させることもあり得ます。この点からしますと、たとえ感染の機会が比較的多くなる接客業であったとしても、ワクチン接種者がお客様や取引相手の人々に感染させるリスクは残ります。言い換えますと、感染についてはお互いさまである一方で(ADEといった中長期的なリスクを考慮すれば、医療崩壊や経済崩壊のリスクについてもお互いさま…)、重症化や死亡のリスクだけは非接種者が負っているのです。そしてそれは、上述した打たない自由を選択した人の自己責任の範囲に収まっています。

 

 以上に’つべこべ’と述べてきてしまいましたが、要は、他者の自由意思を曲げる同調圧力には責任が伴うということです。そして、命や身体にかかわるケースには、とり切れない責任というものもあるのですから、ここは、慎重な判断が求められましょう。少なくとも、ワクチン・ハラスメントや無責任な同調圧力だけは、かけてはならないと思うのです。


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