長崎県の軍艦島は、ユネスコの世界遺産の登録に名乗りを挙げて以来、日韓における歴史認識論争の一角を占めるようになりました。2015年に一先ずは世界遺産に登録されたものの、今般、ユネスコの世界遺産委員会にあって朝鮮人労働者に関する表示が不十分とする’移管決議案’が採択される見通しとなり、再度、政治問題化する兆しを見せています。
軍艦島は、産業革命遺産として登録されています。明治以降、日本国の産業をエネルギー資源の供給面から支えたのは、石炭の採掘事業でした。今日では石油にその座を譲ったものの、戦前にあって石炭は重要な戦略物資でもあり、全国各地で炭鉱が開発されると共に石炭の採掘事業が行われています。天然資源に乏しいとされた日本国にあっても石炭は比較的豊富に埋蔵されており、最盛期には、日本国のエネルギー自給率をも押し上げていたのです。
もっとも、露天掘りの技術やロボットが存在しない時代にあっては、石炭の採掘は人手に頼るしかありませんでした。そして、その労働の過酷さは、今日にあっても様々な資料によって確認することができます。トロッコによって地下深い暗い坑道へと運ばれ、蒸し暑い狭い空間でつるはしを手に長時間石炭を掘り出し続けるのですから、想像するだけでも息が苦しくなりそうです。細い鉱脈は身体の小さな子供しか掘ることができないため、炭坑の様子を写した当時の映像には、煤で真っ黒になった子供達の姿も映し出されています。また、岩盤の崩落事故も日常茶飯事であり、若くして命を落とす炭鉱夫も少なくなかったのです。
炭鉱での過酷な労働は、イギリスをはじめ、全世界の鉱山において共通しています。日本国の軍艦島も例外ではなく、炭坑での労働は何れにおいても今日の標準的な労働条件からは想像もできない程の酷いものであったことは疑いようもありません。そして、それは、炭鉱夫であれば、国籍や民族的出自とは関係なく、誰もが経験したことなのでしょう。産業革命の発祥地であるイギリスに至っては、成人男性の6割が炭鉱夫であった時代もあったそうですが、アイルランド出身の炭鉱夫も少なくなかったようです。そして、近代という時代が植民地主義の時代であったことを考慮しますと、イギリス国内のみならず、西欧列強の植民地における炭鉱にあっても、採掘方法はどこも同じなのですから炭鉱夫の境遇には変わりはなかったはずです。
もっとも、劣悪な労働条件は、必ずしも低賃金を意味するわけではありません。イギリスでは、都市の一般的な工場労働者と比較しますと、炭鉱夫の所得の方が高い傾向にありました。日本国でも、軍艦島にはあらゆる娯楽施設が整えられていたように、生活水準は決して低いものではなかったのです。日本国側に残る当時の記録によりますと、朝鮮半島出身の炭鉱夫に対しても賃金は支払われており、韓国側が主張する’強制労働’は事実に基づくものではありません。
以上の諸点からしますと、今般の軍艦島をめぐるユネスコの世界遺産委員会での決議は、日本国に対する’嫌がらせ’以外の何ものでもないように思えます。炭鉱夫の労働の過酷さは軍艦島に限ったことではありませんし、外国人炭鉱夫の存在も日本固有のものでもないからです。’強制労働’という側面からしますと、西欧列強(その背景には東インド会社)による植民地における現地住民の使役の方が、余程、’強制労働’の名に相応しかったのではないでしょうか。敢えて、日本国政府が、軍艦島の説明文において敢えて朝鮮人半島出身者について言及する必要性は見当たらないのです。ユネスコの世界遺産の登録が政治利用されている今日の状況を考えますと、世界遺産の登録は、オリンピックと同様に巧妙に仕掛けられた’罠’なのではないかと疑ってしまうのです。