万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

核兵器使用禁止条約における核使用の未然防止について

2022年12月09日 11時00分32秒 | 国際政治
 核兵器使用禁止条約は、ある特定の他害行為を全てのメンバーに禁じるための仕組みとはどのようなものなのか、という人類社会の基本的な問題を問いかけています。国内レベルであればこの答えは比較的簡単であり、大多数の人々が、先ずもって同行為を禁じる禁止法を根拠として活動する警察並びに司法機関の必要性を指摘することでしょう。しかしながら、国際レベルとなりますと、この国家モデルを採用することは極めて困難となります。

治安維持機能のための制度設計という側面からしましても、今日の国際組織には、同機能を任せ得る機関は存在していません。国家モデルでは、中立的であり、かつ、独立的な警察機関がそれに付与された物理的な強制力をもって違反者の取り締まりを担いますが、国際社会にあっては、国連という組織はあっても、必ずしもそれが警察機能を提供しているわけではないからです。警察組織が全ての人々の安全を保障するためには、個々からの超越性ともいえる中立・公平性の保障が必須条件となるのですが(国家レベルでもこの条件が満たされず、政治介入や警察腐敗が生じ、国民が苦しむ国も少なくない・・・)、現行の国連には同条件が欠けています。

国連の事務局は、何れの国の国益からも離れた中立的な行政機関ではあっても、決定権は付与されていません。もっとも、仮に、現行の制度のままに事務局に国際の平和に関する決定権を与えたとしても、‘官僚支配’の批判は免れ得ないことでしょう。それでは、国連の安保理ではどうでしょうか。国際の平和維持に責任を有する国連の安保理には常任理事国制度も設けられており、その決定は、特定の大国や国際勢力の政治的影響下にあります。国連安保理は、中立的でも公平でもないのです。因みに、国連の平和維持部隊の指揮権は国連事務総長にありますが、同部隊の派遣は、国連安保理の決議を要しますし、その活動範囲も安保理によって委任された範囲に限定されています(なお、近年ではPKO自体の腐敗や不祥事も問題化・・・)。

制度的な問題の次に立ちはだかる高い‘壁’は、核兵器を上回る物理的強制力を誰もが持ち得ないという否定しがたい事実です。国内レベルでは、警察には犯罪組織を制圧し得る物理的強制力の使用が認められており、通常、警察力が犯罪組織のそれを物理的に凌駕しています(警察力によって犯罪組織を制することができない場合、軍隊が投入されることに・・・)。ところが、国際社会では、核兵器国が‘絶対兵器’として核を保有していますので、国際社会は、この‘壁’にブロックされてしまうのです。警察力を上回る暴力組織が存在する場合には、これに対する警察力は無力となります。メキシコの事例が示すように、警察力が相対的に脆弱であれば、武装したマフィア組織が国家の警察力を凌駕し、良好な治安を維持することができなくなるのです。なお、この問題、戦争利権や麻薬利権等とも繋がる世界権力の横暴問題とも共通しており、制御不能なマネー・パワーの脅威と動勢力による諸国に対する侵害性を考える上でも重要です。
 
それでは、執行機関としての国際警察の設立を経ずして、核兵器使用禁止条約を執行する仕組みを造ることはできるのでしょうか。事後的な下罰機能については司法部門として別に考えるとして、物理的力による禁止行為の取り締まりを意味する警察機能とは、凡そ犯罪の未然阻止並びに現行犯の対処の二つに分けることができます。国際社会において警察機能を分散的・分権的に働かせようとすれば、これらの両機能について効果的な仕組みを考案する必要があります。

核使用の未然防止につきましては、核兵器の主要な運搬手段がミサイルである点を考慮しますと、核を使用させないためには、ミサイル発射を未然に阻止する必要があることは言うまでもありません。ところが、未然防止には、それ固有の問題があります。以前に難題であると申しましたように、核兵器使用の未然防止のための措置が核による先制攻撃となりかねないからです。目下、日本国内において議論されている敵地攻撃能力については、政府もマスメディアも‘反撃力の保持’として説明してはいますが、実のところ、核ミサイル発射をもって開戦となるケースでは、敵地攻撃能力とは、攻撃を受けた後の反撃ではなく、これを未然阻止するための先制とならざるを得ないのです。

この点に関しては、ロシアが公表した「核抑止の分野におけるロシア連邦国家政策の基礎について」によれば、核使用の条件の一つとして「ロシア及びその同盟国の領域を攻撃対象とする大陸弾道弾ミサイル発射に関する信頼し得る情報を得たとき(武装解除打撃)」というものがあります。ミサイル発射を阻止するための敵地攻撃という点に関しては、ロシアのみならず、「核兵器使用禁止条約」の下で核を保有することになる全ての諸国も、他国による自国に対する核ミサイル発射の準備を‘存立危機事態’と見なすことでしょう。犯罪の未然防止という警察機能に照らせば、核使用の実力阻止は、合理的かつ正当な行為として認めざるを得ないのです。ただし、ロシアでさえ敢えて‘信頼し得る情報’という条件を付したのも、誤情報によって核のボタンを押してしまう事態を回避したかったからなのでしょう。

以上に述べたことから、国際社会における警察機能に照らしますと、「核兵器使用禁止条約」においても、核ミサイルの攻撃対象となった国が、実力をもって敵地のミサイルを破壊する行為は、核使用の未然防止のための合法的な行為として許容されると言うことになりましょう。もっとも、ロシアは、核ミサイル発射の確実なる情報という条件付きで、‘核による敵地先制攻撃’を是認していますが、ロシアの条件では、過剰防衛、即ち、破壊的な核攻撃となる可能性が指摘されます。そこで、「核兵器使用禁止条約」にあっては、核使用の未然防止の手段としての実力行使は、核兵器ではなく、通常兵器に限定する必要がありましょう。そして、その対象も、多数の民間人の犠牲が予測される都市部ではなく、敵地ミサイル基地であれ(固定・移動の如何に拘わらず・・・)、SLBMを搭載した潜水艦であれ、発射体となる軍事施設や兵器に限るべきではないかと思うのです。

 加えて、今日の技術レベルでは難しいのですが、核使用の未然防止のもう一つの方法は、核兵器が着弾する、あるいは、爆発する前に、それらを確実に打ち落とすことです。ミサイル防衛を含む核兵器の無力化も、「核兵器使用禁止条約」を執行する手段の一つと言えましょう(つづく)。

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核兵器使用禁止条約の多重抑止体制

2022年12月08日 13時28分59秒 | 国際政治
 核兵器の抑止力を最大化する一方で、攻撃力を最小化するには、核兵器については全諸国に対して保有を認める一方で、その使用を禁じる必要があります。この方向転換により、諸国間に相互抑止作用が働き、核使用の可能性、即ち核戦争に至る可能性は格段に低下することでしょう。しかしながら、核戦争の予防をより確実にするために、現行のNPTに代わる一般国際法としての新たな条約―核使用禁止条約―を制定し、国際的な核制御システムを導入するとすれば、その基礎となるのは、核兵器の保有禁止ではなく、使用の禁止、しかも、罰則規定付きの条約に基づくシステムということになりましょう。

 それでは、何故、罰則規定を設ける必要があるのでしょうか。NPTにおいては、「核兵器国」及び「非核兵器国」の何れに対しても、同条約に違反した国に対する罰則はありません(なお、核兵器はテロ集団と言った非国家組織が使用する可能性もあるので、同条約は適用対象を国家に限定せず、私的組織にまで広げる必要があるのでは・・・)。この欠落が、NPTの一般的な行動規範を定める法としての効果を著しく低下させる要因ともなるのですが、刑法における罰と同様に、罰則規定の存在自体が、強い抑止力として働きます。人には想像力がありますので、行動規範に反する行為を行なった場合、事後的に厳しい罰を受けること、重い制裁を科せられることが予測される場合、その行為を思い留まろうとする心理が強く働くのです。核の使用についても、保有による軍事的相互抑止作用に加えて、下罰や制裁によっても抑止作用が働くことが期待されますので、同条約に基づく体制は、いわば、二重抑止体制となるのです。

因みに、全面禁止型の条約である「生物兵器禁止条約」においても、問題が発生した際の協議や安保理理事会への苦情申し立て等については規定があるものの、明確な罰則規定は見当たりません。中国や北朝鮮等の諸国にあって同兵器の保有が疑われているように、罰則規定の欠落は、ここでも法的効果を損なう要因となっているのです。また、NPTと併存状態にある「核兵器禁止条約」では、その第5条において同条約の違反行為を防ぐための国内措置として罰則規定(the imposition of penal sanctions)について触れていますが、国内法である限り、自国の法域を越えた罰則を科すことはできないのです。

 罰則規定の必要性は、その抑止力によって説明されるのですが、ここで一つ、考えるべき点があります。それは、先の記事において既に指摘したように、国際社会では、国家モデルを適用することが極めて困難な点です。このため、執行から司法に至るまでの仕組みにおいて、警察機関や裁判所のように一つの機関に一つの機能を集約させるよりも、より分散的な方法を採用する必要がありましょう。また、未然防止の仕組みをどのように設計するのか、という難題もあります。難題である理由は、ロシアの「核抑止の分野におけるロシア連邦国家政策の基礎について」において示唆されているように、核兵器使用の未然防止のための措置が核による先制攻撃となりかねないからです。加えて、各国が備えるべき効果的な核の抑止力に関する計算作業も必要とされるかもしれません(抑止力を名目とした際限のない核軍拡競争の防止・・・)。これらの諸問題については慎重に考えてゆくべきなのですが、本日の記事では、核兵器が使用された場合について、以下の主要な論点のみを提起しておきたいと思います。

 先ず、罰則に先んじて確認しておくべきことは、核攻撃を受けた国による核使用国に対する個別的な下罰は許されるという点です。下罰と表現はしましたが、これは、核攻撃を受けた側の正当防衛権の行使であり(個別的自衛権・・・)、より直裁的な言い方をすれば、核による報復ということになりましょう。この反撃行為に合法性を与えませんと、相互抑止力が働かなくなるのです。実際に、「核兵器国」であるイギリスは、SLBMを搭載した潜水艦を配備することで、自らの核抑止力を維持する戦略を採用しています。

 もっとも、核兵器とは、多くの無辜の民間の人々が犠牲となる非人道的な兵器ですので、たとえ報復であったとしても使うべきではない、とする反対意見もありましょう。しかしながら、敵国国民のみならず、核兵器の使用が延いては報復による自国民の犠牲を意味するならば、兵器としての非人道性は第三の抑止力として働く可能性があります。核兵器を使用すれば、間接的には自国民をも大量虐殺する残虐で愚かな為政者にして人類に対する大罪人として歴史に名を残すこととなるからです(政府の基本的な役割の一つは国民の命を護ることにある・・・)。

 また、一国による核の使用が人類を滅亡させかねない全面的な核戦争に拡大しないための、連鎖性遮断措置も必要となりましょう。例えば、軍事同盟条約における集団的自衛権の発動要件において、核攻撃を受けた被害国以外の諸国は、通常兵器の使用は認めつつも核による反撃は控える、といった一定の制限を課すという方法も考えられます(ただし、核の抑止力を考慮すれば、同盟国による報復を認める方が効果があるかもしれないし、反撃に伴う核兵器の必要数や保有形態については緻密な戦略と計算を要する・・・)。なお、「核兵器使用禁止条約」の下では、核兵器の保有は全ての国に認められていますので、軍事同盟に基づいて「核兵器国」から‘核の傘’の提供を受ける必要はありません。

 そして次に考えるべきは、罰則や制裁の具体的な内容や仕組みです。執行の困難性については後日の記事に譲りますが、核攻撃を受けた被害国を含む全ての締約国は、分権かつ分散的な仕組みとして、条約に違反した核使用国に対して共同して下罰並びに制裁を行なう責任と義務を負うこととなりましょう。例えば、政治的には核兵器使用国を孤立化するための国交断絶が、そして、経済面では‘兵糧攻め’としての官民を含めた徹底した経済制裁や経済関係の停止などが挙げられましょう(つづく)。

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NPT体制に代わる核戦争回避システムとは?

2022年12月07日 13時07分35秒 | 国際政治
 核兵器の廃絶は、一国でも核兵器を保有する国が出現した時点で、殆ど不可能な目的となります。言い換えますと、核兵器の保有を禁止したいならば、誰もがそれを手にしていない段階、即ち、全ての諸国の立場や条件が同一である状態で行なうべきであったと言えましょう。しかしながら、核兵器は、戦時下にあって双方による勝利を決定づけるための‘絶対兵器’の開発競争の過程で登場していますので、全面的な核兵器の禁止が可能な状態まで時計の針を逆回りに戻すことはできないのです。

 核兵器の廃絶が絶望的であるとしますと、核戦争を回避するには、どのようなシステムを造ればよいのでしょうか。先ずもって、NPTは、適用の一般性に欠けた不平等条約であるために一般国際法の要件を欠いています。NPT、否、核に関する行動規範を定める国際法を定めるならば、その選択は、全ての諸国に対して核兵器を禁止するか、それを認めるか、の二つに一つとなるのですが、上述したように核廃絶が非現実的であるならば、その選択は後者とならざるを得ません。

この結論は、極めて現実的でロジカルなものですので、全諸国に対する核保有の解禁については、危険極まりない兵器の拡散として、倫理性を強調した批判的な見解もあるはずです。加えて、NPT体制において特権を保障されてきた「核兵器国」の強い反対も予測されます。暴力主義の国家が核を保有すれ事態ともなれば、核の脅威は格段に高まるという理由で。

しかしながら、北朝鮮やイランといった世界最悪とも言える狂信国家が核を保有したのは、あろうことかNPT体制の下でした。また、ロシアや中国と言った「核兵器国」が核の効果的利用を目指して核戦略を練り、それには‘存続危機事態’や‘国家統一’などを口実とした核の先制攻撃というオプションも含まれています。これらの諸点を考慮しますと、これらの反論には説得力がありません。今日の国際社会の現状は、NPTが無力どころか、同体制の危機増幅作用を人類に見せつけているのです。

全ての諸国が核を保有すれば、少なくとも「核兵器国」は「非核兵器国」に対して絶対的な有利性を誇示できなくなります。そして、このことは、抑止力の側面からすれば、国際社会において相互抑止体制が成立することを意味します。NPT体制では、「核兵器国」の間でしか作用していなかった核の抑止力は、ようやく「核兵器国」と現時点においては「非核兵器国」である諸国との間でも働くこととなるのです。これまでのNPT体制では、「非核兵器国」は、軍事同盟によって核の傘の提供を受けることはできても、自立的な抑止力を備える機会を奪われた形でしたので(常に自国の安全保障を「核兵器国」に依存せざるを得ない・・・)、全諸国による相互抑止体制の成立は、倫理的な観点に照らしても、必ずしも反平和主義者として批判を受けるとは限らないように思えます。核戦争回避が人類共通の目的である以上、倫理性には叶っていますし、合目的性も備えているとも言えましょう。

 もっとも、単に核兵器の保有を解禁したのでは、それを安易に使用する国が現れるリスクはゼロではありません。諸国家間の相互抑止力によって、核の使用は強力に制御されるものの、自滅、あるいは、差し違える刺し違えることを覚悟で核戦争に及ぶ狂信的な国家が出現しないとも限らないからです。自由意思を有するために、人の行動については100%の予測は不可能ですので、この点は、上記の批判の通りなのですが、国際社会全体において核兵器制御システムを構築するならば、全ての諸国が従うべき行動規範を設ける必要はありましょう。そして、この行動規範こそ、核兵器の使用の禁止と言うことになるのではないでしょうか。つまり、‘保有は許すけれども、使用は許さない’という一般原則です。この原則の下であれば、論理的には核の抑止力を最大限に生かしつつ、攻撃面における核の破壊力は極小まで抑えることができるのです。

力には、攻撃力と抑止力の二面性がありますが、核戦争の防止には、如何なる国であれ、勢力であれ、攻撃力として核を使用させない必要があります。この点、核兵器の保有禁止をもって核戦争を防止しようとする核兵器禁止条約は方向性が逆であり、無駄な努力となりかねません。法の支配の原則の下で新たな国際法を制定しようとするならば、全ての諸国に核の抑止力を認めた上での罰則規定付きの核兵器使用禁止条約であるべきであったと言えましょう(つづく)。

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NPT体制の不条理ー核廃絶は不可能では?

2022年12月06日 12時32分55秒 | 国際政治
考えてもみますと、「非核兵器国」にとりましてNPT体制ほど不条理なものはないかもしれません。何故ならば、大航海時代来、軍事大国が競うように勢力圏を広げる傍ら、金融財閥を中心とした世界権力によるコントロールが浸透した結果こそ、今日の国際社会におけるNPT体制であるからです。核兵器を生み出したのはこれらの勢力であるにも拘わらず、その危険性を理由に中小国が核を保有することを‘国際犯罪化’し、自らはそれを寡占してしまったのです。

これは、いわゆる自ら仕掛けて自らを利する‘マッチポンプ’であり、大多数の中小諸国は、核の抑止力を得ることも、核兵器国に対して正当防衛権を発動することも、事実上、封じられてしまいました。しかも、核技術は、原子力発電にも利用されますので、NPTは、「非核兵器国」のエネルギー供給手段をもコントロールしているのです。かくして「核兵器国」の横暴に対して「非核兵器国」はなすすべもなく、「核兵器国」との間で戦争ともなれば、その結果は決まっています。

法の主要な役割の一つが、属性の相違にも拘わらず等しく権利を保障すること、即ち、弱者の保護であるならば、NPTは、法としての存在意義に重大な疑義があるのです。‘力に勝る国が劣る国を支配しても良い’となりますと、この発想は、野蛮な時代への回帰であり、他者の自由や自己決定の権利を認めない奴隷制を認めたにも等しくなります。アーサー・デスモンドの唱えた反道徳主義とも言える「力は正義なり」にも通じましょう。

 ところが、大多数の「非核兵器国」は、NPT体制の不条理に気がついていません。不平等条約であることを認識していても、「非核兵器国」の多くは、核廃絶の美名をもって自らのNPT遵守の姿勢を堅持することで平和に貢献していると信じ込んできたのです。唯一の被爆国である日本国はとりわけこの傾向が著しく、核武装やNPT体制の見直しを言い出そうものなら、核兵器廃絶の方針に反するとして激しいバッシングを受けかねません。しかしながら、NPT体制の構造的な欠陥からしますと、「非核保有国」=平和国家という自己陶酔的な評価は疑わしくなります。

果たして、全ての国家の安全を保障しない国際制度を、今後とも維持すべきなのでしょうか。NPTは一般国際法としての要件を欠いており、かつ、意図的に杜撰な制度設計で済ませたことで、戦争利権と深く関わる故に「核兵器国」並びにその背後にあって隠然たる影響力を及ぼす世界権力が、全世界をコントロールし得る体制を構築しています。言い換えますと、NPT体制を抜本的に見直さない限り、人類は、繰り返されてきた戦争の歴史に終止符を打つことができず、近い将来、第三次世界大戦並びに核戦争を再び経験することとなりかねないのです。そして、NPT改革において最大の抵抗勢力となるのは、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮と言った不法並びに違法に核兵器を保有する諸国を含めた「核兵器国」となることは疑い得ません。

手強い‘抵抗’が予測されるものの、NPT改革は、現下のウクライナ紛争や懸念される台湾有事のみならず、そして日本国を含む各国の防衛政策にも関連しますので、緊急の課題です。そして、この問題に取りかかるに際して原点に返って考えるべきは、核兵器を保有する国が一国でも出現した場合、最早、核廃絶は不可能なのではないのか、という根本的な問いかけです。何故ならば、核保有国に核兵器を強制的に放棄させようとすれば、それを上回る物理的な強制力を有するからです。歴史を振り返りましても、マンハッタン計画にもって他国に先駆けて核兵器の開発に成功したアメリカは、それが人類滅亡を招きかねないほど危険であることに気付いても、自ら核兵器を捨てようとはつゆとも思わなかったことでしょう。戦争の勝敗を決定づける威力があったからこそ、そして、それが自国への攻撃を思いとどまらせる絶対的な抑止力となり得ることを熟知していたからこそ、これを使用したのであり、ソ連邦も他の核保有国も、非合法的手段を用いてまでこれを手に入れようとしたのです。

どの国も、同時、唯一の核保有国であるアメリカに対して力をもって核を放棄させることは不可能であることを十分すぎるぐらいに理解していたはずです。仮に、これを試みたとしても、核による報復を受けて無残な結果に終わったことでしょう。そして、核保有国が増加した後は、核保有国でさえ、他国に核兵器を放棄させようとすれば、自滅ともなりかねない核戦争を覚悟しなければならなくなったのです。核兵器を上回る破壊力を有する兵器が存在しない以上、あるいは、核兵器を確実に無力化する技術が確立していない状況下では(もっとも、これが実現すれば、通常兵器による戦争となり、また、結局は‘いたちごっこ’となる可能性も・・・)、一国でも核保有国が存在する場合、最早手遅れなのです(核禁止条約も、夢のまた夢では・・・)。

この側面に注目しますと、たとえ、NPT体制を抜本的に改革し、国家の統治機構レベルと同様に執行機能を整備し、中立・公平な執行機関を設けたとしても、核を放棄させることが極めて困難であることが分かります。NPTの執行機関は、国家の警察機関のように違反国を取り締まるだけの物理的強制力、即ち、核兵器を上回る武力を持ち得ないからです。となりますと、核戦争を回避するためには、立法、執行、司法機能の何れにあっても、国家の統治機構とは、根本的に異なる制度設計が必要と言うことになりましょう(つづく)。

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脆弱にして強固というNPT体制のパラドックス

2022年12月05日 12時54分53秒 | 国際政治
 NPT体制が内包する構造的欠陥は、今や誰の目にも明らかです。否、‘核なき世界’という理想郷へ誘う幻想が隠してきた実像が、核兵器国による核使用の可能性の高まりと共に、明確に姿を見せてきたと言っても過言ではありません。

 核戦争を未然に防止することを目的として成立したNPT体制は、制御システムとしてはあまりにも強度も耐性も不足しており、制度設計における決定的な誤りがあります。国内における法制度に照らしますと、先ずもって制度設計に際して必要となるのは、最低でも中立公平な立場が保障されている立法、執行、司法の三つの機能が必要とされます。そして、各々の機能を担う中立・公平な機関、あるいは、仕組みを設けなければ、法の実効性は殆ど期待できないのです。

 ところが、NPT体制を見ますと、立法段階である条約制定過程を見ますと、核兵器国を既に保有していた米ソ等の軍事大国、あるいは、世界権力の意向が強く働いています。核戦争の脅威を背景に大多数の国が締約国となったことから、多数決の原則からしますと手続き上の正当性を有するように思われがちです(そもそも、国際社会における立法機能は弱い・・・)。しかしながら、その内容は、‘不平等条約’とも称されるように、必ずしも全ての締約国に対して公平ではありません。法の前の平等原則に反しており、このため、一般国際法としての要件を欠いているのです。おそらく、同条約の‘立案者’は、核を独占する超大国による同盟国に対する‘核の傘’の提供により、同条約が冷戦構造をさらに強固にすることを十分に理解していたのでしょう。そして、NPTへの加盟圧力そのものが、核保有国による武力、あるいは、核による威嚇であった可能性をも示唆しているのです。

 加えて、NPT体制には、執行並びに司法の仕組みも欠落しており、査察を担うIAEAを除いて中立・公平な立場が保障されている国際機関はありません。否、IAEAの監視の下で厳しいチェックを受けるのは「非核保有国」のみであり、核使用のリスクが最も高い「核兵器国」に対しては殆ど野放し状態なのです。このため、現在、中国は核兵器の更なる増強に向けてひた走っています。

 また、「核兵器国」は、過去にあってはイラクやリビア、そして、今日では北朝鮮やイランといった核開発を試みた「非核兵器国」に対しては一先ずは拳を振り上げる一方で(もっとも、NPTは、「非核兵器国」が核兵器を保有した場合、核兵器の強制排除を「核保有国」が行なうとは規定していない・・・)、「核兵器国」自身が核軍縮を怠ったとしても罰則がありません。つまり、「核兵器国」は、自らを安全地帯に置きつつ、「非核兵器国」の核保有の動きに対しては厳罰を以て臨んでいるのです。

 加えて、核軍縮については、「核兵器国」による一方的な単独核放棄を促すのではなく、あくまでもライバル国、あるいは、相手国の存在を前提としています。これは、「核保有国」間における‘核の均衡’を強く意識した結果と推測されるのですが、裏を返しますと、核を独占する「核兵器国」間の‘談合’によって国際社会全体がコントロールされる可能性を示唆しています。また、NPTは、核の平和利用、すなわち、原子力活動に対して字数を割いており、このことは、「非核保有国」は、核兵器のみならず原子力発電についても「核保有国」のコントロール下に置かれることを意味しています。NPT体制は、軍事のみならず、締約国のエネルギー政策の権限を縛っており、重要な経済問題でもあるのです。

 なお、同条約が‘不平等条約’であることから、NPTは全ての国家に等しく適用される行動規範を定めた一般国際法ではなく、「核兵器国」と「非核兵器国」との間の合意を記した任意の協定に過ぎないという見方もありましょう。NPT合意文書説に基づけば、核を放棄した「非核兵器国」に対する「核兵器国」側からの条約上の反対給付は、第6条の核軍縮ということになります(核の不拡散については、「非核兵器国」には「核兵器国」に対して譲渡や移転等を要求する権利はないので、反対給付とは言えない・・・)。ここで注意を要することは、同条約は、「核兵器国」による反対給付を‘核兵器の不使用’とは明記していない点です。同条約の目的は核戦争の回避ですので、核の有する絶対的な攻撃力並びに抑止力を考慮すれば、核軍縮交渉という反対給付は、あまりにも「核兵器国」に有利な条件です。もっとも、仮に単なる合意であるならば、一国でも同合意に反する行動をとる義務不履行の国が出現すれば、即、同合意は解消できますので、現時点にあってNPTは既に空文化していることとなりますが、NPTは、第10条において脱退要件を定めていますので、あくまでも一般国際法として自己規定しているのでしょう。

 以上に述べてきましたように、NPT体制の構造的欠陥は疑いようなく、このため、「核兵器国」と「非核兵器国」とが戦争に至った場合には後者には全く勝ち目はありません。今日では、「核兵器国」による‘核の傘’も怪しくなっています。「非核兵器国」の敗戦は、NPTによって予め運命付けられているのです。核の不保持が「核兵器国」に対する「非核兵器国」の戦争における必敗を意味するならば、これは、後者による抑止力並びに正当防衛権の放棄と同義ともなりましょう。もっとも、たとえ「非核兵器国」が「核兵器国」から侵略を受け、通常兵器戦の末であれ、後者の核使用によって国家が滅亡しても、核による報復がない、即ち、核戦争には至らなかったとして同体制を擁護する意見もあるかもしれません。しかしながら、NPTへの加盟が国家滅亡のリスクを高めるのならば、「非核兵器国」に対してこうした過酷で非情な選択を迫る体制こそ間違っているように思えます。

 物事には、ポジとネガのように見方によって評価が正反対となる場合があります。NPT体制には、「非核兵器国」にとりましては極めて‘脆弱’でありながら、「核兵器国」にとりましては不動の核独占の体制固める、即ち、‘強固’となるというパラドックスがあるのです(つづく)。

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NPT体制の致命的欠陥-何故ロシアの核使用問題が発生したのか

2022年12月02日 17時29分51秒 | 国際政治
 NPT体制とは、人類史上にあって最も破壊的で非人道的兵器とされる核兵器による戦争、即ち、核戦争を未然に防ぐための国際システムとして一般的には理解されています。同目的を実現するために、NPTでは、核兵器の保有のみならず、使用の前段階となるテクノロジーの開発並びに核ミサイルの運搬手段(ミサイル等・・・)をも規制の対象としております。核戦争の回避という目的は正しいのですが、今日の状況は理想からほど遠いばかりか、逆に安全保障上のリスクを高める方向に作用しているかのようです。それでは、同体制の逆機能の原因は、一体、どこにあるのでしょうか。

第一に、NPTには、違反国を取り締まる仕組みが設けられていない点を挙げることができます。刑法がそうあるように、法律だけが存在していても、違反者がいなくなるわけではありません。警察という物理的な強制力を有する法の執行機関があってこそ、違法行為や犯罪を取り締まることができるのです。法に基づいてある特定の有害行為を封じようとすれば、執行機関は不可欠となるのですが、NPTは、執行レベルにあっては極めて不十分な仕組みしか設けていません。締約国の条約遵守状況を査察する国際機関としてIAEAが設立されてはいるものの、その役割は査察等の作業に限定されており、違反国が出現してもそれを確実に取り締まることができないのです。また、制裁や下罰等に関する罰則規定や訴訟手続き関する条項もありませんので、司法機能も欠落しています。

第二の問題点は、「核兵器国」という存在が、あまりにも曖昧な点です。言わずもがな、NPTは、核兵器国の存在を認めています。同条約の名称が‘不拡散’と表現されているのも、「核兵器国」の存在を前提としているからに他なりません。それでは、合法的に核を保有できる国、即ち、「核兵器国」はどのような国かと申しますと、NPT第9条3項によれば、「核兵器国」は「1967年1月1日以前に核兵器を爆発させた国」と定義されています。多くの人々が、NPT体制の維持について国連安保理の常任理事国が責任を負っているものと信じがちですが、NPTでは、国連安保理常任理事国の五カ国=「核兵器国」ではないのです。つまり、条文をよく読みますと、国連が同体制の維持に必要となる執行機能を担い、それを保障するわけではないことが分かります。NPTは、「核兵器国」のみに同兵器の保有を許されるのか、その理由を明確には語っていないどころか、これらの‘特権国’に対して責任さえ負わせてはいないのです。

第三に、「核兵器国」の攻撃力が問題となります。核戦争をなくすためには、核兵器の不使用が不可欠となるのですが、NPTは、核軍縮交渉の実施を「核兵器国」に誓わせつつも、核使用の禁止については全く言及していません。条約の主たる内容は、あくまでも、核兵器並びに運搬手段等の非核兵器国への‘拡散防止’であって、「核兵器国」の核兵器の不行使ではないのです。NPTが掲げる目的は核戦争の防止ですので、この‘沈黙’は、同体制が抱えている致命的な矛盾と言っても過言ではありません。核戦争の制御を訴えながら、核兵器を独占し、その当事国となる可能性が最も高い「核兵器国」に対しては全く制御装置を設けていないのですから。これでは、NPT体制が健全な制御システムとして機能しないのは当然のことです。

このため、実際に、ロシアは、その使用の可能性を織り込んだ上で、既に戦略核並びに戦術核を自国の防衛・安全保障政策に組み込んでいます。このことが、ウクライナ紛争におけるロシアによる核兵器使用の可能性を高めており、核戦争の危機を招いていると言えましょう。ロシアのみならず、NPTに加盟していない、あるいは非合法的に核を保有しているイスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮などを含めた全ての「核兵器国」も、公表の如何に拘わらず、核戦略の自国の軍事政策の基盤となっているものと推測されます。結局、NPT体制下では、「核兵器国」のみが抜きん出た攻撃力を有することで、特権的地位を自国のために利用しているのです。

そして、第4に挙げるべき欠点は、抑止面に見られます。先ずもって指摘されるのが、「核兵器国」相互おける奇妙な核の抑止力です。NPTは「核兵器国」の存在を認めているために、これらの諸国間で核戦争が起きる可能性を残しているのですが、現実あって核戦争が起きていない理由は、「核兵器国」相互に抑止力が働いているからです。核兵器は危険として「非核兵器国」からは核の抑止力を取り上げる一方で、「核兵器国」自身は、その抑止力を積極的に肯定しているのです。なお、相互確証破壊の論理は、「核兵器国」間の‘核の均衡’をもって説明されますが、同論理に従えば、「核兵器国」にあって一方的に核を放棄する国が現れた場合、同均衡が崩壊することを意味します。このため、一国でも核兵器国が存在していれば、均衡の維持を正当な根拠として「核兵器国」は核放棄を拒否できるのです。そして、この均衡論の主張は、本来、「核兵器国」と「非核兵器国」との間にあっても正当性をもつはずです。

 また、抑止力の面に関しては、‘核の傘’も問題点となりましょう。何故ならば、NPT体制にあっては、‘核の傘’という抑止力は、「核兵器国」の軍事同盟国のみにしか提供されないからです。言い換えますと、NPT体制は、全ての「非核兵器国」の安全を守ってはいないのです。2度の世界大戦が諸国を2分化するような2大陣営が築かれたことにも原因があるにもかかわらず、“核の傘”の理論は、再び諸国の陣営化を促しているとも言えましょう(世界の大多数となる「非核兵器国」は、「核兵器国」の何れかと同盟を結ばなければ、核の抑止力を得られない)。

その一方で、「核兵器国」は、NPTを根拠として「非核兵器国」の核保有を核兵器をもって阻止しようとするかもしれません。実際に、ロシアが2020年6月2日に公表した核抑止の分野におけるロシア連邦国家政策の基礎について」では、核使用の基準が示されると共に、同国の核の抑止戦略の対象をも明らかにしています。その中には、NPTの内容と重なる要件も多く、この場合には、たとえNPTから合法的に脱退したとしても、「核兵器国」は、「核兵器国」の侵略を未然に防ぐために核武装を試みた国に対して核攻撃を加えるという本末転倒の事態も想定されるのです(つづく)。

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ゼレンスキー大統領のロシア核不使用発言を考える

2022年12月01日 11時37分45秒 | 国際政治
今日の国際社会ではNPT体制が成立しております。このため、現在、核を保有している国は、国連安保理の常任理事国をはじめとしたごく少数に過ぎません。このNPT体制下における核兵器保有国と非保有国との間の非対称性が、今日、国際の平和と安全を脅かす様々なリスクをもたらしているのですが、核保有国による同兵器の使用はあり得るだけに事態は深刻です。ところが、昨日の11月30日、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアの核兵器使用について否定的な見解を示しています。同大統領の楽観的な発言は、一体、何を意味しているのでしょうか。
 
ロシアの核戦略を見ますと、2020年6月2日にプーチン大統領は「核抑止の分野におけるロシア連邦国家政策の基礎について」を公表し、核使用条件を明らかにしています。回使用の条件とは、(1)ロシア及びその同盟国の領域を攻撃対象とする大陸弾道弾ミサイル発射に関する信頼し得る情報を得たとき(武装解除打撃)、(2)ロシア及び同盟国の領域に対して核兵器その他大量破壊兵器を使用したとき(反撃報復)、(3)核による反撃報復を凡そ不可能とするような政府施設や軍事施設に対する干渉があったとき、そして、(4)通常兵器によるロシアへの侵略により存立危機に瀕したときの4者となります。

(4)の条件だけを取り上げましても、ロシアは既に自らが武力で占領した4州を国内法によって併合していますので、同国が核兵器を自国に対して使用する可能性は否定できないはずです。戦争当事国の大統領である以上、ゼレンスキー大統領もロシアの核兵器使用の条件については熟知しているはずですので、仮にロシアの核不使用を確信しているとすれば、同大統領の発言には、以下のような推測が成り立つように思えます。

第1の推測は、同大統領がウクライナ東・南部の4州の完全奪還は諦めたというものです。この推測が正しければ、ロシアがウクライナ軍による占領地奪還作戦を‘侵略’とみなし、かつ、存立危機事態と認定しない程度において紛争を収める準備があることを暗に示したことになります。いわば、停戦交渉、あるいは、領土交渉に向けたロシアへのメッセージということになりましょう(核兵器使用を決断するまでロシアを追い詰めるつもりはない・・・)。なお、ウクライナ紛争は局地的なものであり、ロシア全土を脅かす程ではないとの反論もありましょうが、敗戦が確実となれば、ウクライナ側から巨額の賠償金を請求される可能性が高く、比較的経済規模が小さいロシアにとりましては、死活的な存立危機となりましょう。

第2に推測されるゼレンスキー大統領の意図とは、ウクライナ紛争を通常兵器の使用に留めることで、敢えて紛争を長期化させようというものです。核兵器の使用は戦争の勝敗を決しますので、この推測に基づけば、同大統領の真の戦争目的は、戦時体制維持の必要性を国民に納得させつつ、ウクライナに長期的な‘ゼレンスキー体制’を敷くことにあるのかもしれません。

そして、第3の推測は、ゼレンスキー大統領がNATOを巻き込む方針を放棄した、というものです。これまで、同大統領は、ロシアの脅威を煽りつつ、事あるごとにNATO参戦の必要性を訴え、同方向に誘導しようとしてきました。しかしながら、上述した(1)から(3)までのロシアの核兵器使用の条件を知りながらロシアの核使用がないとみなしているとすれば、‘NATO参戦の可能性は最早ない’と判断したことになりましょう。

もっとも、NATOにつきましては、ゼレンスキー大統領は、ロシアの核不使用に言及することで同紛争へのNATO参戦のハードルを下げようとした、とする見方もありましょう。しかしながら、高度な情報分析能力を備えたNATOが同大統領の楽観的憶測とも言える発言を鵜呑みにするはずもなく、仮に、NATOの好意的な反応を期待していたとすれば、同大統領の戦時下の指導者としての資質が問われることにもなりましょう。

 以上に、ゼレンスキー大統領の発言について推測してみましたが、これとほぼ同時に、ロシアのラブロフ外相も、核保有国同士の間では、核兵器のみならず通常兵器による軍事衝突も回避すべきと述べています。同発言には、アメリカをはじめとするNATOによるウクライナ支援が紛争を長引かせているとの批判が込められているのですが、両者の発言は、偶然の一致でもないのかもしれません。同外相の抑制的な態度からしますと、既にロシアとアメリカ及びNATOとの間で何らかの‘手打ち’が済んでいるようにも思えるのです。あるいは、背後で世界権力がコントロールしているとすれば、今般のウクライナ紛争についてはこの程度で事態を収め、核保有国が絶対的に有利となるNPT体制の維持、即ち、安全保障理事会常任理事国の5カ国のみならず、イスラエル、インド、パキスタン並びに北朝鮮をも含めた核保有国の特権維持を優先したとも推測されましょう(つづく)。

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