‘過去には絶対誤りがない’と考える人はそう多くはないように思えます。自らの来し方を振り返りましても、反省や後悔がない人は殆どいないことでしょう。人類史を辿りましても、現在の人々の倫理観や道徳観からすれば、過去の人々の行動や行為はあまりにも利己的であったり、残酷である場合も少なくありません。過去が誤りや反省点に満ちているとすれば、現代を生きる人々は、歴史の教訓に学びつつ、可能な限りこれらを是正してゆくべきとも言えましょう。‘歴史にもしもはない’と言われますが、過去に起こってしまった由々しき事柄でも、損害や被害を修繕したり、現在の倫理・道徳観に沿って軌道を修正したりすることによって、それらが現在にも及ぼしている悪しき影響を断ち切ることはできるのです(前例踏襲主義にも同様の悪弊がある・・・)。
人類史において過去の検証を試みるに際しては、とりわけ現在に影響を与える事柄が対象となるのですが、国家間にあって任意に締結された条約等を含め、国際法は、良きにつけ、悪しきにつけ、それが未来に向けて法的拘束力を有する故に、慎重な扱いを要します。条約の内容が合理的かつ公平・公平であり、今日的な価値観に照らしても倫理・道徳に適っていれば、長期に亘って国際社会の平和と公正なる秩序を支えますが、その内容が不当であったり、反道徳的である場合には、悪しき状態を固定化したり、ディストピアに向けての既定路線を敷いてしまうからです。このため、今日では、「条約法条約(条約に関するウィーン条約)」も成立し、一般国際法によって条約の無効条件なども定められるようになりました。例えば、同条約の第64条では、「一般国際法の新たな強行規範が成立した場合には、当該強行規範に抵触する既存の条約は、効力を失い、終了する。」とあります。
前置きが長くなりましたが、中国による台湾併合の危機、即ち、第三次世界大戦にも発展しかねない台湾問題を考えるに際しても、過去の検証は重要な作業となりましょう。「カイロ宣言」や「ポツダム宣言」といった戦闘状態にあって作成された宣言文をはじめ、台湾に関する条約等については、関係各国の利害や思惑が入り交じった政治的文書である、即ち、今日の法的基準からすれば公平性や倫理性が欠如している可能性が高いからです。過去の検証の必要性という観点からしますと、日華平和条約の効力についても、考えてみるべきように思えます。
日本国内で出版されている条約集のページを開きますと、1952年4月28日に署名され、同年8月5日に発行した日華平和条約については、1972年9月29日を同条約が失効した日として記されています(扱いも‘参考’程度・・・)。因みに、署名日はサンフランシスコ講和条約の発効日であり、失効日は日中共同声明が発せられた日となります。失効日が明記されているために、日本人の多くは同条約は‘過去のもの’と見なしがちなのですが、国際法に照らしますと、未だに効力を失ってはいないのではないか、とする疑問が沸いてきます。
先ずもって、日華平和条約を失効したもの見なすようになったのは、日中共同声明の発表時に開かれた記者会見の席で、大平正芳外務大臣が同見解を述べたからです。それは、日中両国による同声明調印直後のことであり(1972年9月29日)、場所は、中国国内の北京プレスセンターでのことでした。大平外務大臣は、「日華平和条約」について「なお,最後に,共同声明の中には触れられておりませんが,日中関係正常化の結果として,日華平和条約は,存続の意義を失い,終了したものと認められる,というのが日本政府の見解でございます」と説明しています。今日的な視点からしますと重要問題でありながら、付け足しのように述べているのですが、同発言は、田中角栄政権における「日華平和条約」に関する政府見解が‘条約の終了’であっことを示しています。
それでは、田中政権時における日本国の政府解釈をもって、「日華平和条約」は完全に終了したと言い切れるのでしょうか。最初に指摘すべきは、条約の終了に際して当事国間の合意を欠いている点です。条約終了については、台湾側は合意しておらず、記者会見の席における日本国政府による一方的な終了宣言と言うことになります。当時の日本国政府は、日中共同声明の成立を急ぐばかりに、台湾政府との協議を怠り、その合意を得ることもなく、同条約を終了させているのです。このことは、台湾側からしますと、「日華平和条約」の法的効力は未だに失われていないこととを意味します。
また、先述した「条約法条約」では、条約の終了や無効の要件等についても詳述しています(「条約法条約」が発効したのは1980年であるものの、同条約は慣習国際法を基礎としている・・・)。例えば、相手国の条約違反や事情の根本的変化などを挙げていますが、台湾が「日華平和条約」に反する行為を行なったわけではありませんし、後者の事情の根本的変化につきましても、1952年の同条約締結時にあって既に中華民国は台湾に移転していますので、凡そ20年後となる1972年までの間には、条約失効の根拠となるような変化は見られません。日本国政府は、中華人民共和国との国交樹立を急ぐばかりに、正当な根拠なくして一方的に条約を終了させてしまったと考えられるのです。
「日華平和条約」の終了が、日中国交正常化時における田中政権の政府見解に過ぎないならば、政府見解の変更によって同条約の効力の完全性を回復するという選択肢もあり得ましょう。大平外相は、「存続の意義を失い・・・」と述べていますが、中国による武力併合の危機が迫る今日にあって、「日華平和条約」の存在意義が再認識されるからです。そして、同時期、即ち、1971年10月25日に国連総会にあってアルバニア決議が成立したことも、第三次世界大戦への布石であったのかもしれず、台湾の法的地位の確認作業の重要性も自ずと理解されるのです。(つづく)