先週よりアメリカの東部、南部を襲っている大寒波はついに世界3大瀑布のひとつまでも
凍らせてしまった。
北海道や東北の者なら経験済みかも知れないがマイナス14度の南部にいる身内からの情報によれば
寒いというより痛いと表現するのが正しいような寒さらしい。
南極の氷がここ数十年に年々厚くなって大陸に上陸するのもままならないなんて事実も
何故かあまり報道されてはいない。
いつのまにかどこかのお偉いさん達が提唱しだした地球温暖化の真偽も再び論じられるように
なるのではないだろうか?
数年前にオゾン層の破壊が二酸化炭素によるものとした論文のデータが改竄された物だった
なんてのも左程話題に上がらないままいつの間にか消えてしまった。
そろそろ関係者の皆さん、正直に告白する時期が来てるんじゃないの?
というような話題を書きたかったのではないのはいつもの通り。
昨年末12月30日にまた俺のお気に入りの人物が早逝してしまった。
その人の名は「大瀧 詠一(おおたき えいいち)」である。
解離性動脈瘤という何だかよく判らないけどとても危険な感じのする響きの病気が
死因らしいのだ。
享年65歳、まだまだ若い年なのに・・・。
世間一般には1981年発売のアルバム「A LONG VACATION」の大ヒットによって、
「君は天然色」、「恋するカレン」、「さらばシベリア鉄道」などが知られているだろう。
俺にとってはもう少し前の70年代に妙に惚けて冗談みたいな雰囲気でいて
その実リズムや作曲能力が当時の業界にはない新鮮さで
却って凄く最先端の音楽という気がして好きだった。
いわゆるナイアガラミュージックの大ファンなのだ。
おそらくそのころは知っている者は知っている的なものだったろう。
現在のカーライフでもそうであるが若いころから偏執狂なのである。
1974年に自らが作詞、作曲、プロデュースするプライベートレーベル「ナイアガラレコード」を設立。
※至極当然に彼の名前「大瀧」に由来するレーベル名である
それ以降の彼の音楽を総称してナイアガラミュージックと呼んでいた訳だが、
彼の音楽に対する造詣や知識、それはロック、R&B,ポップスなど洋楽だけでなく、
昔の国民歌謡、軍歌、演歌、歌謡曲など邦楽全般にまで及び、
またそういった中から生まれる交友関係を見ると一部のコアなファンに支持された存在ではなく、
ポップスを中心とする日本の音楽業界の案外中心にいた人物ではなかったかとさえ思える。
1970年の「はっぴえんど」では(後のYMOの)細野晴臣、
80年代の歌謡曲の作詞で有名な松本隆がいたし、
ナイアガラでプロデュースした「シュガーベイブ」では山下達郎、大貫妙子なんてのもいたのだ。
お友達でもあるギタリスト竹田和夫氏によると「はっぴいえんど」以前に
一緒につるんで遊んだ仲だったらしく初めての出会いは竹田氏16歳、大瀧氏20歳の頃の話と聞けば
音楽性からの接点としては俺には全く意外なのであった。
その頃から既に豊富な音楽知識から演奏者としてよりプロデューサー的な立場、
またはこれから何かを目指す若者の兄貴的存在で竹田氏に色々と指導(?)してくれていたらしい。
その後にクリエイションとはっぴいえんど、山下洋輔のバンドと
一緒にツアーをしていたなんて嘘みたいな垂涎の話を聞けば
日本の音楽業界の創世~黎明期だったのだろうね。
また大瀧氏は多くのCMソングのヒットメーカーでもあり、
三ツ矢サイダーのシリーズなんかは50代以上の者にとってはきっと耳馴染みあるはずだ。
作曲家名の多羅尾伴内なんてご隠居あたりにはウケるのでは?
ある時は片目の運転手・・・のヤツですな。
このペンネームを取ってみても彼自身色々な顔を持つ男と自負していたのではないのか。
決して大衆迎合しない彼独自のポリシーを貫いた結果が後のブレイクに繋がったと
書いたとしても言い過ぎることはないだろう。
初期の代表作「趣味趣味音楽(しゅみしゅみミュージック)」の歌詞には
その一端が伺える。
人の好みは十人十色
あのこ、ああ云う このこ、こう云う
他人と意見が違っても
めくじら立てず潮吹かず
我が道行けドンドン
大瀧詠一に対しては作詞、作曲、歌手、ギタリスト、プロデューサー等マルチな活動家の為、
とてもじゃないが俺ごときが簡単に評するのは不可能なのだが、
ナイアガラファンの一人として最後に以下を紹介し謹んで哀悼の意を表したい。
合掌(合唱)!!
実際にどのような人物かは知りませんでした。
奇しくも、私の友人が亡くなった時の病名と同じです。
友人は64歳でした。
われわれ年代は、解離性大動脈瘤の可能性が
高いのかな?
つい先日、同期のやしきたかじん氏が亡くなり、
団塊世代の死が目につきます。
気をつけようのない疾病に罹患してしまうリスクもありますが、
お互い、体調管理には気をつけましょう。
名前より彼の作ったCMソングや松田聖子、小泉今日子、稲垣潤一の楽曲を聞けば
あああれもそうだったかと思うはずです。
私にとってはある意味天才的なアーティストの一人ですね。
それが売れるかどうかは別問題ですけど。
しかしオヤジさんは音楽に詳しいですね。
同じ世代のたかじんさんもお亡くなりになり、そろそろ順番が回ってくる世代になってきたのかな・・
いずれ合掌です。
特に詳しいというのでもありません。
ここ最近のなんて全くと言って良いほど知りませんしね。
たまたま青春時代に好きだった曲やアーティストだったというだけですが、
たまに名前を目にする時がこんな悲しい知らせではね・・・。
聞いたことのある曲でした、あの曲をつくられた方だったんですね、ご冥福をお祈りします。
それにしてもナイヤガラの滝が凄い事になってますね、実物を見てみたいものです。
日本の雪国でさえ尻込みしちゃいますから自分の場合は写真か映像で十分です。
大瀑布は表面的には凍結状態ですけど南極の氷の下が海水なように
実際にはその下では水はまだ流れているようです。
もう健康で元気に過ごすのは人生最大の課題になりますわ。
アントニオ猪木も「元気があれば何でも出来る」と言うてましたし(笑)!
日曜日にFMで放送している山下達郎さんの番組に定期的にゲスト出演してたのを思い出します。
妻はカラオケで森進一の「冬のリヴィエラ」を熱唱しますが、この曲に限らず演歌歌手・アイドル等ジャンルを超えたいろんなアーティストへヒット曲を提供したすばらしい方だと思います。国民的な歌番組で「口パク」がまかり通る様な現代の中で、「本当の音楽界」からまた一人アーティストが去ってしまいとても残念です。合唱。たかじんさんも関西に行った時にしかお目にかかれませんでしたが、とても残念ですね。合唱。
サンデーソングブックの新春放談は達郎と大瀧の定番でした。
敬愛をこめて達郎は大瀧詠一を「師匠」と呼んでましたね。
日曜日は仕事なので車でよく聴いてましたが、
この企画ももう消滅かと思えば非常に残念です。
やしきたかじんはもうかなり昔(10数年前か)に一度新地のクラブで
客として来ているのを見かけたことがありました。
連日キタに繰り出してるという噂はホンマやったんやと思いましたね。
プライベートでの飲み会に来ている彼には
流石にミーちゃんハーちゃんにはなれませんでした。