秘書にゃんこ*大さん橋 ~ 馬車道 ~ 山下町

2015-09-17 | おでかけ
 去りゆく夏空を惜しみつつ、久しぶりに横浜に出かけました。

最初に訪れたのは、横浜港 大さん橋(おおさんばし)

この辺り、明治の末頃から1970年頃までは 「メリケン波止場」 と呼ばれていました。

現在は構造的に 「桟橋(さんばし)」 ではなく 「岸壁」 で、「大さん橋」 と平仮名で表記されます。


     
     大さん橋から望む みなとみらい地区
     ウッドデッキの広場は、その広大な姿から 「くじらのせなか」 という公式の愛称があり、
     この下にある室内部分は 「くじらのおなか」 と呼ばれることもあるとか。。


     
     大さん橋の入り口にある、昭和のモダン建築 「ジャパン エキスプレス ビル」
     川崎鉄三という建築家の設計により、昭和5年に建てられたとのこと。
     渡航は船という時代、人々はこのビルでチケットを求めて、大さん橋から旅に出たのでしょうか。


     
     その隣りには、北欧ムードあふれるレストラン 「SCANDIA」
     こちらのお店で、結婚前にユーミンのご両親と松任谷氏が顔合わせをされたそうです。
     ちなみにお二人の結婚披露宴は、山下公園前の ホテル ニューグランドで執り行なわれました


     
     続いてやって来たのは 「馬車道」
     幕末、この辺りに外国人居留地が置かれ、外国人が馬車で往来していたのが名前の由来。
     明治になると、日本初となる東京行きの乗合馬車も出発。
     水飲み場は、 だけでなく もどうぞ。


 「日本初」 は、乗合馬車だけではありません。

横浜港から続く馬車道は、明治時代の日本にとって、外国文化の通り道でもあったのでしょう。

明治2年には、日本で初めてのアイスクリームが製造、販売されました。

「あいすくりん」 と、名前は可愛らしいのですが、今の貨幣価値に換算しますと 7000~8000円とか

庶民には手の届かない高嶺の花で、主に外国人が買い求めていたようです。


     
     
     秘書にゃんこがランチタイムにやって来たのは、昭和29年創業の 「グリル・エス」
     ジュリーこと沢田研二さんも訪れたというお店に、一度来てみたかったのです

     
     名物のオムライスは、卵4個を使った特大サイズ。
     もしもジュリーが来店していたら、「私、少食なんです」というところをお見せするつもりでしたが、
     幸か不幸かお会いできませんでしたので、とっても美味しく、たくさんいただきました。 



 いつしか日も暮れて、こちらは山下町

山下公園と中華街の間に位置する水町通りは、昼よりも夜が似合うように思います。


     
     「ジャパン エキスプレス ビル」 と同じ建築家が設計した 築85年の 「インペリアル ビル」
     外観は普通のビルのように見えるのですが、実は 「横浜市認定歴史的建造物」


     
     竣工当時のままという玄関から中をのぞいた途端、いきなり昭和初期にタイムスリップ。
     当時は外国人向けのアパートメントで、バーや食堂などもあったそうです。
     

     
     玄関を入ったところにあるカウンターは、売店の名残りでしょうか。


     
     横浜散策の終わりは、心地よい潮風に吹かれながら、今夏最後のビアガーデン
     歩いて来た大さん橋や、その向こうには みなとみらい地区が見渡せます

 
 歴史の日なたも日陰も合わせて、その妖しさと怪しさが、独特の雰囲気を醸し出している横浜。

さらに深い魅力を求めて、いつかまた訪れたいものです。


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