秘書にゃんこ*神楽坂

2015-09-27 | おでかけ
 町や通りの名前からルーツを辿ることは、私にとって街歩きの楽しみのひとつです。

夏の終わりに秘書にゃんこが訪ねたのは、東京都 新宿区にある 神楽坂(かぐらざか)。

今でこそ 「新宿区」 ですが、かつて 「東京市」 が15区・35区だった時代から、

やがて 「四谷区」 や 「淀橋区」 と合わせて 「東京都 新宿区」 となるまで、

神楽坂は 「牛込区(うしごめく)」 であり、「牛込神楽町」 という町名でした。

ではなぜ 「牛込」 かと言いますと、人込み(人混み) が人の混雑を表すのと同様に、

昔この辺りには牧場があり、牛がたくさん居たのが地名の由来とのこと

今でも 「牛込」 を冠する駅 や 学校 、警察署 などの施設が数多く在ります。


     
     重いお神輿を担いでいても、神楽を演奏すると容易に上れたとか、
     「若宮八幡宮」 で奏でられる神楽がここまで聞こえたとか、諸説ありますが、
     午前中は下り、午後は上りのみ通行可能となる 「逆転式一方通行」


     
     坂の入り口で出迎えてくれるのは、この笑顔 & 40周年を迎える名物 「ペコちゃん焼」


     
     隅田川から神田川を上ってくる舟の積み荷を、軽子(かるこ) と呼ばれる人たちが引き揚げ、
     神楽河岸からこの坂を上って運んだことから、「軽子坂」 と呼ばれているそうです。
     

     
     軽子坂の途中にある まかないこすめ でひと休み。
     金沢から拠点を移したこちらのお店でいただく、塩味のサイダーと米粉のドーナッツ。
     ゆっくり味わう秘書にゃんこの横で、パクパク食べては一気に飲み干す友人


 江戸時代、坂道ではなく階段だった神楽坂は、その沿道が武家屋敷として町割りされました。

明治に入って階段が坂道になり、武家屋敷が撤去されても、その区画はほとんど変わらず、

平成の世にあっても、江戸時代の切絵図で歩ける町と言われています。

 尾崎紅葉や泉鏡花が居を構え、明治の文豪 夏目漱石の作品にもたびたび登場する神楽坂は、

大正12年の関東大震災では火災による被害を免れ、昭和にかけて花街として隆盛を極めたものの、

昭和20年には、空襲で焼け野原となってしまいます。

 戦後、昭和30年代に再び最盛期を迎え、政治家などが料亭を利用した神楽坂界隈を歩きますと、

「横丁」 「通り」 といった情緒あふれる道標を目にします。

 
     
     「見番(けんばん)」 とは、芸者衆のお座敷の手配や花代の支払いを行なう事務所。
     芸者さんの数は、最盛期の数百人から、今では30人ほどに減ってしまったそうです。
     
     
     
     近代的な建物の庭先にある石灯籠と手水鉢(ちょうずばち)
     震災も戦災もくぐり抜けた、昔のお屋敷の面影を垣間見る思いがします。


     
     こちらは 「かくれんぼ横丁」
     石畳と黒塀が続く路地裏には、和服姿が似合います。


     
     上の写真と同じ場所を反対側から撮影  
     夜になって灯がともると、花街の風情が色濃く映し出されます。
         

     
     「本多横丁」 から路地に入ったところで夕食
     雰囲気を楽しむ秘書にゃんこの横で、次々と平らげる友人      
 

 粋な江戸情緒を今に残す神楽坂は、フランスの方が多く住む町としても有名で、

その石畳や美味しい のお店などが、パリの街角を彷彿とさせるとか。

おしゃれな街として 番組に取り上げられ、デートスポットとしても注目を集めています


 今宵は中秋の名月

坂道を闊歩する気ままな一人旅もよし    お忍びが似合う路地裏に迷い込むもよし

パリジェンヌ気分に浸るもよし    食いしん坊の友人と過ごすなら、なお楽し

秋風に誘われて、お次はどこに出かけようかしら


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