梅雨らしい日が続きますね ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0003.gif)
気分だけでも晴れやかに、帝国ホテル 今月のロビー装花です(~ 6月30日)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/bd/c91626d8dbcfe8a14f389513c4921830.jpg)
アルストロメリア・デンファレ・アンスリューム・モンステラ・ドラセナ他
ここに立ち寄ったのはお食事でも、もちろん宿泊でもなく、化粧室を拝借するだけというパターン![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0181.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/girl_compact_m.gif)
それでは、玄関を出て隣に行ってみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/49/6568b7a90b6832db5048ca116c60c4b2.jpg)
長い塀の向こう左側が帝国ホテルです。
塀に埋め込まれた碑を拡大してみます![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0156.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/e0/db3b908a40a2d2f0948f4dae61d3db97.jpg)
「鹿鳴館跡 ここはもと薩摩の装束屋敷の跡であって その黒門は戦前まで国宝であった
その中に明治十六年鹿鳴館が建てられ いわゆる鹿鳴館時代の発祥地となった 千代田区」
井上馨による欧化政策の一環として築かれた、建築家 ジョサイア・コンドル30歳前後の作品。
井上外務卿の辞職により、わずか数年で幕を下ろした鹿鳴館時代。
鹿鳴館の正門として使われた旧 薩摩藩の門は東京大空襲(昭和20年)で焼失したため、
仮に鹿鳴館が昭和15年に取り壊されなくても、果たして現存していたかは不明ですが、
もしも今の時代に残っていたらと思いますと、なんとも惜しい気がします。
お色直しをした秘書にゃんこ、場所を移して丸の内へ。
駅にしてひとつ、歩くには距離も眺めもよい街並みです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/15/2be815752c4f34deab43c566c71efeb6.jpg)
三菱地所所有のビルと三菱一号館(復元)
この新旧を対比させた景色が好きで、季節ごとに撮っています![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0068.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/9f/d190205a93399096e2bfb180c5b54334.jpg)
三菱一号館の裏手にある中庭でコンドルの世界に浸ります![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/89/8a2b3d85992ed032cafe938533d8362c.jpg)
三菱一号館にある cafe 1894(1894年 コンドル42歳の作品)
『半沢直樹』などのロケ地にもなった建物は、かつて銀行の営業室でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/3b/dfb374e906f5f34f76430672bd9969cc.jpg)
隣接する美術館帰りの方が多く、いつも満席で並びます。
20代の若さで来日して、時代に翻弄されながらも日本で生き抜き、
67歳でその生涯を閉じるまで、多くの作品を遺したジョサイア・コンドル。
折しもコロナ禍が少しだけ落ち着いてきたため、秘書にゃんことの外出が叶い、
以前訪れた旧 岩崎邸やニコライ堂も含めて、都内にあるコンドル建築はほぼ鑑賞しました。
さて、お次はどこに参りましょうか。
お読みくださいまして、ありがとうございます。
コンドル56歳の作品 旧岩崎邸の前で眩しそうな秘書にゃんこ に、
お手数ですがクリックをよろしくお願いいたします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0003.gif)
気分だけでも晴れやかに、帝国ホテル 今月のロビー装花です(~ 6月30日)
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アルストロメリア・デンファレ・アンスリューム・モンステラ・ドラセナ他
ここに立ち寄ったのはお食事でも、もちろん宿泊でもなく、化粧室を拝借するだけというパターン
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0181.gif)
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それでは、玄関を出て隣に行ってみましょう。
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長い塀の向こう左側が帝国ホテルです。
塀に埋め込まれた碑を拡大してみます
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「鹿鳴館跡 ここはもと薩摩の装束屋敷の跡であって その黒門は戦前まで国宝であった
その中に明治十六年鹿鳴館が建てられ いわゆる鹿鳴館時代の発祥地となった 千代田区」
井上馨による欧化政策の一環として築かれた、建築家 ジョサイア・コンドル30歳前後の作品。
井上外務卿の辞職により、わずか数年で幕を下ろした鹿鳴館時代。
鹿鳴館の正門として使われた旧 薩摩藩の門は東京大空襲(昭和20年)で焼失したため、
仮に鹿鳴館が昭和15年に取り壊されなくても、果たして現存していたかは不明ですが、
もしも今の時代に残っていたらと思いますと、なんとも惜しい気がします。
お色直しをした秘書にゃんこ、場所を移して丸の内へ。
駅にしてひとつ、歩くには距離も眺めもよい街並みです。
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三菱地所所有のビルと三菱一号館(復元)
この新旧を対比させた景色が好きで、季節ごとに撮っています
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三菱一号館の裏手にある中庭でコンドルの世界に浸ります
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三菱一号館にある cafe 1894(1894年 コンドル42歳の作品)
『半沢直樹』などのロケ地にもなった建物は、かつて銀行の営業室でした。
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隣接する美術館帰りの方が多く、いつも満席で並びます。
20代の若さで来日して、時代に翻弄されながらも日本で生き抜き、
67歳でその生涯を閉じるまで、多くの作品を遺したジョサイア・コンドル。
折しもコロナ禍が少しだけ落ち着いてきたため、秘書にゃんことの外出が叶い、
以前訪れた旧 岩崎邸やニコライ堂も含めて、都内にあるコンドル建築はほぼ鑑賞しました。
さて、お次はどこに参りましょうか。
お読みくださいまして、ありがとうございます。
コンドル56歳の作品 旧岩崎邸の前で眩しそうな秘書にゃんこ に、
お手数ですがクリックをよろしくお願いいたします。