秘書にゃんこ*清泉女子大学(旧 島津公爵邸) ジョサイア・コンドル

2022-06-02 | 建築が好き
 24歳の若さで日本政府に招聘されたイギリス人建築家 ジョサイア・コンドルは、

その生涯のほとんどを日本で過ごしたため、東京を中心に多くの作品を遺しました。

しかし残念なことに関東大震災による焼失などで、現存する建物は限られています。

そんな中、コロナにより久しく中止となっていた「清泉女子大学」の見学ツアーが再開。



今か今かと待ち焦がれていた秘書にゃんこ、開催が決定すると同時に参加申し込みをしました。



清泉女子大学は1950年に横須賀で設立。
品川区東五反田の地に在った旧 島津公爵邸に移転してから今年で60年。
建学の精神は「キリスト教ヒューマニズム」



かつて島津忠重公の邸宅として使われていた本館のホールから見学ツアーがスタート。
参加者を3グループに分けて、文化史学科の学生さん3人がガイドしてくださいます。
廊下ですれ違うと会釈してくださる他の学生さんたちも含めて、歓迎されていると感じる時間でした。



旧 島津邸の玄関。
ロンドンでステンドグラスも学んだコンドル。
本館内にあるステンドグラスは全て左右対称のデザインで構成されたアールヌーボー様式で、
1915年(大正4年)の竣工当時から、変わらぬ美しさを今に伝えています。
ステンドグラスの一番上に青く見える「丸に十字」は島津家の家紋。



島津家でサロンとして使われていた「泉の間」のマントルピース。
秘書にゃんこの左手の横にも「丸に十字」の装飾が施されています。



コンドル建築で現存している貴重な階段は、同じく氏の作品である鹿鳴館の階段に似ているそうです。



奥庭から見る建物の外観。
関東大震災にも耐えた堅牢な建物は、国の重要文化財に指定されています。


 大正4年に島津家の邸宅として建てられた後、太平洋戦争による財政難で日銀に売却。

戦災を免れ、戦後は GHQ の管理下で駐留軍の将校の宿舎となり、

接収解除後に清泉女子大学が日銀から買い取って、昭和37年(1962年)にこの地で開校。

私が訪れたのは平日でしたので、今は教室となった由緒あるお部屋では学生さんが学んでいました。

また、広いお庭では楽しげに語り合う学生さんの姿もありました。

時代の波に翻弄された後、ようやく穏やかな時を取り戻してコンドルも喜んでいることでしょう。


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