ヨソサマのブログにお邪魔していると、けっこうな頻度で、
「投稿フォームに文字を打ち込んでいるときに、なんらかのキーを押してしまい、あるいは押していないにも関わらず、本文がぜんぶ消えてしまった」
という内容に出くわす。
あぁ分かる分かる。
そういうことって、あるよね。
だから自分はメモ帳機能を開いてそこに下書きをし、全文コピーから投稿フォームにペーストするようにしている。
いちどコピーしておけば、消えるという「事故」が起こったとしても繰り返しペースト可能だからね。
さて。
毎日毎日、よく飽きずに長文をアップ出来るよねぇ―と、友人にいわれることがある。
そういやブログは(引越し以前を含めると)10年を越えていて、帰省しないかぎり「ほぼ日刊」で更新を続けているのだった。
基本的な内容は10年前と変わらないが、昔はもっと短かった。
脱線も、敢えての遠回りもせず、直球で映画愛を綴っていた。
少し格好つけているところもあって、自慰やキチガイなんていうことばは現在ほど、、、というか、一切使用していなかったのだよねー。
友人に「日課だよ、自慰と同じ」と返すと、
「文章は、書く前から出来上がっている?」と聞かれた。
「ある程度はね。起承転結くらいは。でも、シナリオほどじゃない。シナリオは書く前にいろんな準備をする必要があるけれど、コラムは、格好よくいえば直感を大事にしたいというか」
「モニターとにらめっこする感じ?」
「でもねぇ、これまた格好よくいっちゃうと、モニターと対峙した時点で、勝手に指が動く感じがある」
「へー! よっぽど、なんだねぇ」
どう「よっぽど」かは気になるが、まぁ実際そんな風にしてモノを書いている。
で、冒頭の話に戻る。
基本は「メモ帳で下書き」だが、酔っているときはそれを忘れて投稿フォームに直接入力することがある。
するときまって(酔っているから)なにかのキーを押してしまい、本文が消える。
きぃーーー! みたいな。
ある程度は頭のなかで出来上がっていた文章+直感があれば、消えてしまった文章と同じものが再現出来る?
否。
それはゼッタイに、否。
ここで天才の台詞を引用するのは気が引けるが、『アマデウス』(84)のなかでモーツァルトもいっているじゃない、
「完璧なものを再現することは出来ない」って。
内容は同じでも、たぶん、ことばのチョイスまで同じというわけにはいかない。
リズム感にも変化を生じさせてしまうだろうし、句読点もちがってくる。
ただ消えてしまった文章のほうが優れているとはかぎらず、
さらにいえば、それでも消えてしまった文章は「消えてしまった」わけであり、比較することは出来ないため、ほんとうの優劣はつけられなかったりする。
もっといえば、「消えてしまった」がゆえに完成度が高かった「ように思えて」しまい、
可能なかぎり再現した文章でも「消えてしまったもののほうが、きっとよかったにちがいない」なんて捉えてしまうのだった。
メンドクセーなお前、、、と思いつつ、
人生だけじゃないんだな、一期一会というものは・・・なんて、大きなことを考えてみちゃったりもする。
そういうことも含めて、モノを書くって面白い。
だからきっと、10年後も20年後も同じようにモノを書いているのだと思う。
現在より、もっとアケスケな文章になっているのだろうか。
一周して、清廉潔白なスタイルになっていたりして。
・・・いやいや、それはないだろうし、自分にとっては、そっちのほうがはるかに恥ずかしいことだから!!
※『アマデウス』、貴重な字幕つきの予告編。アップ主さん、どうもサンクス!!
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(199)高嶋政宏』
「投稿フォームに文字を打ち込んでいるときに、なんらかのキーを押してしまい、あるいは押していないにも関わらず、本文がぜんぶ消えてしまった」
という内容に出くわす。
あぁ分かる分かる。
そういうことって、あるよね。
だから自分はメモ帳機能を開いてそこに下書きをし、全文コピーから投稿フォームにペーストするようにしている。
いちどコピーしておけば、消えるという「事故」が起こったとしても繰り返しペースト可能だからね。
さて。
毎日毎日、よく飽きずに長文をアップ出来るよねぇ―と、友人にいわれることがある。
そういやブログは(引越し以前を含めると)10年を越えていて、帰省しないかぎり「ほぼ日刊」で更新を続けているのだった。
基本的な内容は10年前と変わらないが、昔はもっと短かった。
脱線も、敢えての遠回りもせず、直球で映画愛を綴っていた。
少し格好つけているところもあって、自慰やキチガイなんていうことばは現在ほど、、、というか、一切使用していなかったのだよねー。
友人に「日課だよ、自慰と同じ」と返すと、
「文章は、書く前から出来上がっている?」と聞かれた。
「ある程度はね。起承転結くらいは。でも、シナリオほどじゃない。シナリオは書く前にいろんな準備をする必要があるけれど、コラムは、格好よくいえば直感を大事にしたいというか」
「モニターとにらめっこする感じ?」
「でもねぇ、これまた格好よくいっちゃうと、モニターと対峙した時点で、勝手に指が動く感じがある」
「へー! よっぽど、なんだねぇ」
どう「よっぽど」かは気になるが、まぁ実際そんな風にしてモノを書いている。
で、冒頭の話に戻る。
基本は「メモ帳で下書き」だが、酔っているときはそれを忘れて投稿フォームに直接入力することがある。
するときまって(酔っているから)なにかのキーを押してしまい、本文が消える。
きぃーーー! みたいな。
ある程度は頭のなかで出来上がっていた文章+直感があれば、消えてしまった文章と同じものが再現出来る?
否。
それはゼッタイに、否。
ここで天才の台詞を引用するのは気が引けるが、『アマデウス』(84)のなかでモーツァルトもいっているじゃない、
「完璧なものを再現することは出来ない」って。
内容は同じでも、たぶん、ことばのチョイスまで同じというわけにはいかない。
リズム感にも変化を生じさせてしまうだろうし、句読点もちがってくる。
ただ消えてしまった文章のほうが優れているとはかぎらず、
さらにいえば、それでも消えてしまった文章は「消えてしまった」わけであり、比較することは出来ないため、ほんとうの優劣はつけられなかったりする。
もっといえば、「消えてしまった」がゆえに完成度が高かった「ように思えて」しまい、
可能なかぎり再現した文章でも「消えてしまったもののほうが、きっとよかったにちがいない」なんて捉えてしまうのだった。
メンドクセーなお前、、、と思いつつ、
人生だけじゃないんだな、一期一会というものは・・・なんて、大きなことを考えてみちゃったりもする。
そういうことも含めて、モノを書くって面白い。
だからきっと、10年後も20年後も同じようにモノを書いているのだと思う。
現在より、もっとアケスケな文章になっているのだろうか。
一周して、清廉潔白なスタイルになっていたりして。
・・・いやいや、それはないだろうし、自分にとっては、そっちのほうがはるかに恥ずかしいことだから!!
※『アマデウス』、貴重な字幕つきの予告編。アップ主さん、どうもサンクス!!
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明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(199)高嶋政宏』