創作は模倣から始まる―まったくそのとおりで、、、というより、「撮りたい!」という思いばかりがふくらみ「なにを」「どう」撮りたいかなんて考えていなかったりする。
だから映画小僧は、自分がこよなく愛する作品、映画史的に重要とされる作品などを「とりあえず」真似てみることにする。
ヒッチコックが編み出した、「めまい」ショットとか。
「映画監督になったら、試してみたいもの」のベストワンかもしれない―と思われるほど、多くの新人監督が試みる技術で、三谷幸喜でさえ(敢えていうが)恥ずかしげもなく試していたものねぇ。
『桐島、部活やめるってよ』の映画部・前田くんは、ホラーの巨匠ジョージ・A・ロメロが好きで、
だからゾンビ映画を撮っている。
顧問は「自分の身の回りのことを」といってホラーの制作を否定するが、これじゃあ伸びる見込みはない。
前田くんのいうとおり「撮りたいものを、撮るべき」で、たとえそこにオリジナリティはなくとも、
過去の名作を真似てみることによって、先人と自分との能力の差がはっきりと分かり、「じゃあ、どうすればいいのか」を考え、それがやがてオリジナリティへとつながっていくんじゃないか、、、なんて思う。
「めまい」ショットの次に人気がありそうなものは、旧ソ連による大作『戦艦ポチョムキン』(25)のハイライト、「オデッサの階段」シーンだろうか。
映画史を知らないで観たとしても「なんか、すごいシーン」と感じられると思うが、
監督エイゼンシュタインは「モンタージュ理論」を確立した偉大なひとで、
簡単にいえば「余分なものを削る」とされていた編集を、「必要なものを組み立てる」と解釈した。
軍人たち、逃げ惑う人々、踏みつけにされる子ども、乳母車・・・別々に撮影されたショットを組み合わせることによって、あるひとつのシーンを創りあげる―いまでは当然のこととされる「話法」を「発見」したのが、エイゼンシュタインだったというわけ。
そうか、削るのではなく組み立てるのか―と、映画小僧は驚いた。
じゃあ、真似してみようと。
この「オデッサの階段」シーンの模倣こそ、自分が初めて自主制作で撮った映画である。
クラスメイトに、性格は悪いが家が金持ちというヤツが居て、ソイツの家には8mmカメラや映写機など、いろんなものが揃っていた。
仕方なく(!)おべっかを使い、映画制作チームの仲間に引き入れる。
これで制作費は大幅にカット出来た。
もちろん部活ではないし、愛好会でさえなかったわけだから、金はかけられないのだ。
階段は、学校の正面入り口の「そこそこ」高い階段。
用意したのはモデルガンと乳母車、それから赤ちゃんの人形だけ。
『戦艦ポチョムキン』にオマージュを捧げた『アンタッチャブル』(87)がすでに発表されており、
感覚としては『ポチョムキン』ではなく、『アンタッチャブル』の模倣だったかもしれない。
模倣の模倣・・・というか、このシーンを模倣した映画は「それをまとめた動画」(=Youtubeで検索してみてね)が存在するくらい沢山あって、
自分たちが創った映画「もどき」は、模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣、、、であったと。
それのなにが悪い!? ってなもんだ。
で、実際に撮ってみた。
撮ってみて、思っていたよりはるかに大変だということを痛感する。
放課後の数時間で撮り終えられると思っていた。
のだが、結局は10日間、計30時間くらいを要してしまった。
出来上がった映像は、約2分。
しかし天候のことさえ考えずに撮影・編集したものだから、ショットが変わるごとに明るさや影の位置などが変わり、統一性のまるでないサイケデリック?? な珍品となっていた。
すげーなエイゼンシュタイン、どうやって計算して撮っていったんだろう? なんて。
その作品がどうなったのか、たぶん捨てられたのだろうが、
こんなしょーもない珍品でも、撮影中に意見の衝突などがあり、一丁前に「表現者していた」のだった。
そこが恥ずかしいじゃないか。
青春じゃないか。
それでいい、というか、それがいいのだ。
だが映画制作チームは、これ一本だけで解散してしまった。
「思ったよりたいへん」だったというのと、いちおうは進学校だったから、、、かなぁ。
それでも。
きのう記したように、この経験が無意味だったとは思わない。
自分は監督向きではない、やはり脚本だ―と、この程度の経験(笑)で悟ることが出来たし、
ナンダカンダいって、楽しかったし。
そう、以前、自分は「高校時代は灰色だった」と記したが、じつはそうでもなかったかもしれないなぁ・・・などと、いまになって思うのであった。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『錯、覚。』
だから映画小僧は、自分がこよなく愛する作品、映画史的に重要とされる作品などを「とりあえず」真似てみることにする。
ヒッチコックが編み出した、「めまい」ショットとか。
「映画監督になったら、試してみたいもの」のベストワンかもしれない―と思われるほど、多くの新人監督が試みる技術で、三谷幸喜でさえ(敢えていうが)恥ずかしげもなく試していたものねぇ。
『桐島、部活やめるってよ』の映画部・前田くんは、ホラーの巨匠ジョージ・A・ロメロが好きで、
だからゾンビ映画を撮っている。
顧問は「自分の身の回りのことを」といってホラーの制作を否定するが、これじゃあ伸びる見込みはない。
前田くんのいうとおり「撮りたいものを、撮るべき」で、たとえそこにオリジナリティはなくとも、
過去の名作を真似てみることによって、先人と自分との能力の差がはっきりと分かり、「じゃあ、どうすればいいのか」を考え、それがやがてオリジナリティへとつながっていくんじゃないか、、、なんて思う。
「めまい」ショットの次に人気がありそうなものは、旧ソ連による大作『戦艦ポチョムキン』(25)のハイライト、「オデッサの階段」シーンだろうか。
映画史を知らないで観たとしても「なんか、すごいシーン」と感じられると思うが、
監督エイゼンシュタインは「モンタージュ理論」を確立した偉大なひとで、
簡単にいえば「余分なものを削る」とされていた編集を、「必要なものを組み立てる」と解釈した。
軍人たち、逃げ惑う人々、踏みつけにされる子ども、乳母車・・・別々に撮影されたショットを組み合わせることによって、あるひとつのシーンを創りあげる―いまでは当然のこととされる「話法」を「発見」したのが、エイゼンシュタインだったというわけ。
そうか、削るのではなく組み立てるのか―と、映画小僧は驚いた。
じゃあ、真似してみようと。
この「オデッサの階段」シーンの模倣こそ、自分が初めて自主制作で撮った映画である。
クラスメイトに、性格は悪いが家が金持ちというヤツが居て、ソイツの家には8mmカメラや映写機など、いろんなものが揃っていた。
仕方なく(!)おべっかを使い、映画制作チームの仲間に引き入れる。
これで制作費は大幅にカット出来た。
もちろん部活ではないし、愛好会でさえなかったわけだから、金はかけられないのだ。
階段は、学校の正面入り口の「そこそこ」高い階段。
用意したのはモデルガンと乳母車、それから赤ちゃんの人形だけ。
『戦艦ポチョムキン』にオマージュを捧げた『アンタッチャブル』(87)がすでに発表されており、
感覚としては『ポチョムキン』ではなく、『アンタッチャブル』の模倣だったかもしれない。
模倣の模倣・・・というか、このシーンを模倣した映画は「それをまとめた動画」(=Youtubeで検索してみてね)が存在するくらい沢山あって、
自分たちが創った映画「もどき」は、模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣の模倣、、、であったと。
それのなにが悪い!? ってなもんだ。
で、実際に撮ってみた。
撮ってみて、思っていたよりはるかに大変だということを痛感する。
放課後の数時間で撮り終えられると思っていた。
のだが、結局は10日間、計30時間くらいを要してしまった。
出来上がった映像は、約2分。
しかし天候のことさえ考えずに撮影・編集したものだから、ショットが変わるごとに明るさや影の位置などが変わり、統一性のまるでないサイケデリック?? な珍品となっていた。
すげーなエイゼンシュタイン、どうやって計算して撮っていったんだろう? なんて。
その作品がどうなったのか、たぶん捨てられたのだろうが、
こんなしょーもない珍品でも、撮影中に意見の衝突などがあり、一丁前に「表現者していた」のだった。
そこが恥ずかしいじゃないか。
青春じゃないか。
それでいい、というか、それがいいのだ。
だが映画制作チームは、これ一本だけで解散してしまった。
「思ったよりたいへん」だったというのと、いちおうは進学校だったから、、、かなぁ。
それでも。
きのう記したように、この経験が無意味だったとは思わない。
自分は監督向きではない、やはり脚本だ―と、この程度の経験(笑)で悟ることが出来たし、
ナンダカンダいって、楽しかったし。
そう、以前、自分は「高校時代は灰色だった」と記したが、じつはそうでもなかったかもしれないなぁ・・・などと、いまになって思うのであった。
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『錯、覚。』