Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(245)

2017-11-15 00:10:00 | コラム
地元、群馬は館林のすぐそばにあたる大泉町は、ブラジル人街としてとっても有名。(トップ画像は、いわゆるご当地アイドル? 左から2番目と、右から2番目の子がいいね~)

ならば幼少のころから外国人とコミュニケーションを取っていたのでは―? といわれたりもするのだが、外国人が急激に増えたのは自分が地元を離れて以降のことであり、
だからサッカーW杯の開催時、全国ネットの地上波テレビで大泉が中継されていたりすると、なんだかとっても違和感を抱くのであった。

また、ウチのねーちゃんは高校生のころに米留学を果たしている。
姉弟なんだから、同じように言語センスがあるのでは―? といわれたりもするのだが、ぜんぜんそんなことはない。

高校生のころ、第二次絶頂期を迎えたマドンナのCDを飽きることなく聴いていたにも関わらず、また、沢山のハリウッド映画を字幕版で鑑賞していたにも関わらず、覚える英語といったら・・・

fuck

やら、

asshole

やら、

son of a bitch

のような、日常で使用されるのが憚られるもの、、、ばかりだったのである。
(性悪な高校生なんて、そんなもんだろ?)


そして、19歳の夏―。

このころ新聞奨学生として働いていた自分は、朝刊配達時、酔っぱらいにからまれてどつかれた挙句、沢山の新聞を積んだ自転車を蹴り倒された。
正直、怖くてなにも出来なかったんだ。
その一部始終を、自分が好いていたマクドナルドの店員さんに目撃されてしまった。

恥ずかしくって、悔しくて、とにかく強くなりたいと思った。

そうして自分は、本気で格闘技を覚える決心をしたのだった。

中学時代、柔道部「には」在籍していた。
「には」を強調するのは、とりあえずなんらかの部活に入らねばならなかったし、肥満児だったからね、太ったヤツは柔道だろうと。

そんな気持ちで入部したものだから、いっこうに強くならない。
3年やって、やっと茶帯だよ。
やる気さえあれば、大抵の男子は初段までいけるのに。

それはともかく。
19歳の自分は、本気だった。

やっぱり本気になるには、恋をするって大事だね。
恋情がはたらけば、つらいことも耐えられるってものです。


まだMMAということばも生まれていない、
総合格闘技のイベント『PRIDE』が始まる少し前の話。

ただ東京にはすでに、総合を教えるジムがいくつかあって、
柔道はハンパな茶帯、柔術も知らない、打撃の経験もゼロの自分・・・それでも、勇気を持ってジムに入会したのである。

そこに、柔術を教えるブラジルのおにいさんが居た。

おにいさんは、日本にやってきたばかり。
生活費を稼ぐために、このジムでコーチをやっているというわけ。

ほかのアルバイトも考えたけれど、日本語がほとんど分からないのであきらめた。柔術なら身体を交えて教えられるから無問題、、、といっていた。

おにいさん―申し訳ないが、名前を忘れてしまった―は、ポルトガル語と英語を話すことが出来る。

覚えたての日本語で「エイゴ、ワカリマスカ」と問われたとき、

「ア、リトル…」

としか答えられなかったが、笑ってくれた。

いいひとだなぁ。


個人的に・・・
世界のサッカーに興味を持っていくのは、もう少し先のこと。

映画でいっても、現在なら俊英フェルナンド・メイレレスなどが出現したので話題を振り易いが、その当時の自分は、ブラジルのおにいさんを楽しませるネタをひとつも持っていなかった。

それでも、それなりの関係性を築くことが出来た、、、と思う。

おにいさんは自分に柔術を「文字どおり」身体で教え、自分は、あてにならない? 英語を駆使して基本的な日本語を教える。


あいつら、ゲイ同士なんじゃ? とジムで疑われるほど仲良くなったのである。

そんな関係であったにも関わらず、名前を忘れてしまうとは、ひどいな自分。。。


ブラジルのおにいさん、元気してますか―?

これが、自分が生まれて初めて外国人とコミュニケーションを取ったエピソードである。


おわり。


※映画『ネル』より、ジョディの「ネル語」




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明日のコラムは・・・

『駄作と失敗作は、ぜんぜーんちがう!!』
コメント (1)
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