自分が、生まれて初めてキャバクラに行ったお話。
ちなみに初めてスナックに行ったのは、高校2年の冬のことだった。
アルバイトしていた映画館『清流』の隣りがスナックで、ある日、『清流』の支配人がバイト帰りに誘ってくれたのである。
あぁ呑みましたよビールを。
昔の話です、昔の。
ついでだから、スナックについて少し。
キャバクラには「まあまあ」行くし、ガールズバーには「出来れば、たくさん」行きたいと思っている。
けれどもスナックは「ちょっと…」かもしれない。
ほとんど行かないので半分はイメージだが、店員と客の関係性が近過ぎるため、一見さんにはハードルが高いのだよね~。
キャバクラに話を戻そう。
初めて行ったのが、18歳の秋だったと記憶している。
あぁ呑みましたよいろいろと。
昔の話です、昔の。
新聞奨学生をやっていたのだが、所属していた専売所の社員Aさんに連れていってもらった。
歳は、50代後半。
ときは90年代―ということで、この時代に中年男性がハマりにハマった、フィリピンパブだった。
厳密にいえば、キャバクラとパブには「それなりのちがい」があるのかもしれないが、「ほぼ同じ」と解釈してもらって問題ないと思う。
入店前、Aさんに「お前の好みは、小柄で色白だな」と聞かれた。
「まぁ、そうです」
「ちゃんと、そういう子をつけてやるから」
「(苦笑)いや自分はべつに、どういう子でも大丈夫―」
「みなまでいうな、みなまで。大丈夫。フィリピンにだってな、色白は居るんだよ」
「(苦笑)」
で実際に、色白のフィリピンパブ嬢が自分の横に座ってくれた。
覚えているのは、ここまでである。
なにを呑んだのか、どんな話をしたのか、盛り上がったのか、まったく覚えていない。
けれども21時ごろ入店し、帰りは朝刊配達直前だったので、楽しかったのだとは思う。
・・・あ、いや、話した内容を、少しだけ覚えている、、、かもしれない。
「しれない」というのは、このときの会話だったのか判然としないから。
(何遍も行っているんかい!)
「フィリピン、いいところ?」
「(頷く)でも日本のほうが、好き」
そう、このような会話をしたんだ、たしかにフィリピンパブ嬢と。
そして彼女は、皿に盛られたポテトチップスを小さく砕きそれを並べ、じつに精巧なフィリピンの地図を作り上げてくれた。
その子の名前は・・・さすがに、覚えてないや。
あの時代、駅から駅のあいだを歩けば、3~4店のフィリピンパブがあった。
(少なくとも、調布の周辺はそうだった)
映画『月はどっちに出ている』(93)のスマッシュヒット、
ルビー・モレノというチャーミングな女優の登場も影響したのだろうが、それにしてもちょっと異常だった気がする。
それが、どうしたことだろう。
いまフィリピンパブに行こうと思って外に出てみても、歩けども歩けども見つからない。
あるにはあるが、昔はコンビニと同じくらい探し易かったのに、いまはそうもいかなくなった。
なぜか。
2000年代前半―。
入国管理局による規制が強化され、ホステス目的で来日することが難しくなり人員不足に陥った、、、といわれている。
そりゃ、米国に「性的搾取による人身売買ではないのか」と批判されたらねぇ、反論することも難しいでしょう。
米国の批判はもっともかもしれない・・・けれども、
店で疑似恋愛を楽しみ、店外デートに連れ出し、小遣いをあげて楽しんでいるAさんと、それをもらって喜んでいるフィリピンパブ嬢を思い出すと、こういうのも悪くなかったんじゃないか、、、と思ったりもするのである。
おわり。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『休日ごちそう』
ちなみに初めてスナックに行ったのは、高校2年の冬のことだった。
アルバイトしていた映画館『清流』の隣りがスナックで、ある日、『清流』の支配人がバイト帰りに誘ってくれたのである。
あぁ呑みましたよビールを。
昔の話です、昔の。
ついでだから、スナックについて少し。
キャバクラには「まあまあ」行くし、ガールズバーには「出来れば、たくさん」行きたいと思っている。
けれどもスナックは「ちょっと…」かもしれない。
ほとんど行かないので半分はイメージだが、店員と客の関係性が近過ぎるため、一見さんにはハードルが高いのだよね~。
キャバクラに話を戻そう。
初めて行ったのが、18歳の秋だったと記憶している。
あぁ呑みましたよいろいろと。
昔の話です、昔の。
新聞奨学生をやっていたのだが、所属していた専売所の社員Aさんに連れていってもらった。
歳は、50代後半。
ときは90年代―ということで、この時代に中年男性がハマりにハマった、フィリピンパブだった。
厳密にいえば、キャバクラとパブには「それなりのちがい」があるのかもしれないが、「ほぼ同じ」と解釈してもらって問題ないと思う。
入店前、Aさんに「お前の好みは、小柄で色白だな」と聞かれた。
「まぁ、そうです」
「ちゃんと、そういう子をつけてやるから」
「(苦笑)いや自分はべつに、どういう子でも大丈夫―」
「みなまでいうな、みなまで。大丈夫。フィリピンにだってな、色白は居るんだよ」
「(苦笑)」
で実際に、色白のフィリピンパブ嬢が自分の横に座ってくれた。
覚えているのは、ここまでである。
なにを呑んだのか、どんな話をしたのか、盛り上がったのか、まったく覚えていない。
けれども21時ごろ入店し、帰りは朝刊配達直前だったので、楽しかったのだとは思う。
・・・あ、いや、話した内容を、少しだけ覚えている、、、かもしれない。
「しれない」というのは、このときの会話だったのか判然としないから。
(何遍も行っているんかい!)
「フィリピン、いいところ?」
「(頷く)でも日本のほうが、好き」
そう、このような会話をしたんだ、たしかにフィリピンパブ嬢と。
そして彼女は、皿に盛られたポテトチップスを小さく砕きそれを並べ、じつに精巧なフィリピンの地図を作り上げてくれた。
その子の名前は・・・さすがに、覚えてないや。
あの時代、駅から駅のあいだを歩けば、3~4店のフィリピンパブがあった。
(少なくとも、調布の周辺はそうだった)
映画『月はどっちに出ている』(93)のスマッシュヒット、
ルビー・モレノというチャーミングな女優の登場も影響したのだろうが、それにしてもちょっと異常だった気がする。
それが、どうしたことだろう。
いまフィリピンパブに行こうと思って外に出てみても、歩けども歩けども見つからない。
あるにはあるが、昔はコンビニと同じくらい探し易かったのに、いまはそうもいかなくなった。
なぜか。
2000年代前半―。
入国管理局による規制が強化され、ホステス目的で来日することが難しくなり人員不足に陥った、、、といわれている。
そりゃ、米国に「性的搾取による人身売買ではないのか」と批判されたらねぇ、反論することも難しいでしょう。
米国の批判はもっともかもしれない・・・けれども、
店で疑似恋愛を楽しみ、店外デートに連れ出し、小遣いをあげて楽しんでいるAさんと、それをもらって喜んでいるフィリピンパブ嬢を思い出すと、こういうのも悪くなかったんじゃないか、、、と思ったりもするのである。
おわり。
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明日のコラムは・・・
『休日ごちそう』