16年12月9日生まれ・2020年2月5日死去、享年103歳!
アメリカ出身。
103歳の大往生だったカーク・ダグラスといえば、
クラシック好きにとっては「硬派」「大作」そして、キューブリックを悩ませた人物というイメージでしょうか。
自分の世代にとっては、マイケルの「よき」パパ。
※世代的にこのCMは、あとで知ったのだけれど…ジョン・バリー、そしてフランケンハイマーまで出ていたのね!!
<経歴>
少年時代を貧民街で暮らした苦労のひと。
新聞配達やボクシング(!)などで家計を助け、やがてアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入学。
このときの同級生がローレン・バコールで、彼女の薦めもあって46年の『呪いの血』で映画俳優デビューを果たす。
『暗黒街の復讐』(48)、『チャンピオン』(49)、『ガラスの動物園』(50)、『死の砂塵』(51)、『探偵物語』(51)、『ユリシーズ』(54)、『海底二万哩』(54)。
50年代真ん中あたりから製作業も兼務するようになり、このあたりは息子マイケルにきっちり受け継がれたようですね^^
『炎の人ゴッホ』(56)、ドク・ホリデイを好演した『OK牧場の決斗』(57)、
しつこい演技指導に辟易しつつ、その才能はきっちり認めていたらしいキューブリックの『突撃』(57)、
『ガンヒルの決斗』(59)、
再びキューブリックを起用、しかしコレをきっかけに「キューブリックのハリウッド・システム嫌い」が加速したとされるいわくつきの『スパルタカス』(60)。
この映画、たしかに見どころは多いのですが、観たあとになにも残らないというか、キューブリック印がほとんど感じられないのですよね。
自宅に引きこもるようになったのも、なんとなく分かるなぁ(^^;)
『脱獄』(62)、『五月の七日間』(63)。
このころ来日も果たしていて、「赤ひげ」三船にも会っている!
『パリは燃えているか』(66)、『暗殺』(68)。
75年、『明日なき追撃』で念願の監督デビューを果たす。
演者としても得意な西部劇でしたが、ニューシネマ直後で「このジャンルが求められていない」時代だったこともあり、評判は芳しくなかったようです。
観ましたがたしかに、印象に残るのはモーリス・ジャールの音楽だけだったかも。。。
デ・パルマの『フューリー』(78)は本国でスマッシュヒットを記録、
日本では「それほど…」でしたが、B級好きにはたまらない「妙なおかしみ」のある怪作でした。
『ファイナル・カウントダウン』(80)以降は「たまに映画に顔を出す」程度となり、その代わりマイケルが大活躍。
オスカーを取ったときのマイケルのことば「ボクを常に陽の当たる場所へと導いてくれた」は感動的だったなぁ!
2020年2月5日、自宅で死去。
(死因は非公表)
享年103歳、遺作は2003年の『グロムバーグ家の人々』。
そろそろ伝記映画が創られそうな気がしますね。
出来ればマイケルがプロデュースして、しかもキューブリックとの確執もきっちり描いたやつを希望!!
次回の列伝は、カート・ラッセルさんから。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『やっとカーテンを(^^;)』
アメリカ出身。
103歳の大往生だったカーク・ダグラスといえば、
クラシック好きにとっては「硬派」「大作」そして、キューブリックを悩ませた人物というイメージでしょうか。
自分の世代にとっては、マイケルの「よき」パパ。
※世代的にこのCMは、あとで知ったのだけれど…ジョン・バリー、そしてフランケンハイマーまで出ていたのね!!
<経歴>
少年時代を貧民街で暮らした苦労のひと。
新聞配達やボクシング(!)などで家計を助け、やがてアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入学。
このときの同級生がローレン・バコールで、彼女の薦めもあって46年の『呪いの血』で映画俳優デビューを果たす。
『暗黒街の復讐』(48)、『チャンピオン』(49)、『ガラスの動物園』(50)、『死の砂塵』(51)、『探偵物語』(51)、『ユリシーズ』(54)、『海底二万哩』(54)。
50年代真ん中あたりから製作業も兼務するようになり、このあたりは息子マイケルにきっちり受け継がれたようですね^^
『炎の人ゴッホ』(56)、ドク・ホリデイを好演した『OK牧場の決斗』(57)、
しつこい演技指導に辟易しつつ、その才能はきっちり認めていたらしいキューブリックの『突撃』(57)、
『ガンヒルの決斗』(59)、
再びキューブリックを起用、しかしコレをきっかけに「キューブリックのハリウッド・システム嫌い」が加速したとされるいわくつきの『スパルタカス』(60)。
この映画、たしかに見どころは多いのですが、観たあとになにも残らないというか、キューブリック印がほとんど感じられないのですよね。
自宅に引きこもるようになったのも、なんとなく分かるなぁ(^^;)
『脱獄』(62)、『五月の七日間』(63)。
このころ来日も果たしていて、「赤ひげ」三船にも会っている!
『パリは燃えているか』(66)、『暗殺』(68)。
75年、『明日なき追撃』で念願の監督デビューを果たす。
演者としても得意な西部劇でしたが、ニューシネマ直後で「このジャンルが求められていない」時代だったこともあり、評判は芳しくなかったようです。
観ましたがたしかに、印象に残るのはモーリス・ジャールの音楽だけだったかも。。。
デ・パルマの『フューリー』(78)は本国でスマッシュヒットを記録、
日本では「それほど…」でしたが、B級好きにはたまらない「妙なおかしみ」のある怪作でした。
『ファイナル・カウントダウン』(80)以降は「たまに映画に顔を出す」程度となり、その代わりマイケルが大活躍。
オスカーを取ったときのマイケルのことば「ボクを常に陽の当たる場所へと導いてくれた」は感動的だったなぁ!
2020年2月5日、自宅で死去。
(死因は非公表)
享年103歳、遺作は2003年の『グロムバーグ家の人々』。
そろそろ伝記映画が創られそうな気がしますね。
出来ればマイケルがプロデュースして、しかもキューブリックとの確執もきっちり描いたやつを希望!!
次回の列伝は、カート・ラッセルさんから。
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明日のコラムは・・・
『やっとカーテンを(^^;)』