てぃーんうる「ふ」→「ふ」るめたるじゃけっと
奇人変人スタンリー・キューブリックの個人的5傑を挙げてみましょうか。
(1)『フルメタル・ジャケット』(87)
(2)『バリー・リンドン』(75)
映像美を堪能。
大作だがじつは「わりとチマチマした?」物語で、映画の規模との落差が激しいところが面白い。
(3)『2001年宇宙の旅』(68)
理解なんかする必要ないです、映像に身を委ねましょう。
(4)『現金に体を張れ』(56)
スーパークールな犯罪劇。
これ観ちゃうと、初期のQTは単なるガキだと思えてくる。
(5)『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(64)
シニカルさという点ではこれがベスト、そのスタンスは、ひとを喰った冒頭のクレジットから徹底している。
…こんな感じ。
そう、『時計じかけのオレンジ』(71)も『シャイニング』(80)も圏外なのだった!!
次に、ベトナム戦争をテーマとした映画の個人的3傑を。
(1)『ディア・ハンター』(78)
(2)『地獄の黙示録』(79)
そして、
(3)『フルメタル・ジャケット』!
両方に入った、『フルメタル・ジャケット』の優勝!^^
キューブリックの映画のなかでいちばん好きな理由はふたつあって・・・
1、初めてリアルタイムで触れたキューブリックの映画だから。
これ、大きいと思うのよ。
たとえばもう少し早く生まれて「ソレ」が『シャイニング』であったとするならば、1位は変わっていた可能性が高い。
2、『時計じかけのオレンジ』で最後に皮肉った「洗脳と、その限界」をさらに考察したテーマに感動したから。
『ディア・ハンター』と『地獄の黙示録』を「大局的な視点で捉えたベトナム戦争映画の総決算」だとするならば、『フルメタル・ジャケット』は、そこから抜け落ちた視点でヒトを見つめた哲学映画といった趣き。
ヒトを殺人マシーンへと洗脳していく過程を丹念に描いた前半と、
殺人マシーンであるにも関わらず、少女狙撃兵に苦戦するところを皮肉っぽく描く後半と。
キューブリックの意図は極めて明快、
洗脳も、育った環境には太刀打ち出来ない、、、そういうことでしょう。
更生したかのように見えて「ぜんぜん」変わっていなかったアレックス(=『時計じかけのオレンジ』)を描くことで、キューブリックは「洗脳と、その限界」を説いてみせた。
16年後に発表した『フルメタル・ジャケット』でもその考えは変わらない、、、いやむしろさらに強固になったというか、
「生まれついての」狙撃兵に、仲間を次々と殺されていく主人公の姿を通して、それを証明したかったのではないか―自分は、この映画をそのように解釈しています。
あすのしりとりは・・・
ふるめたるじゃけっ「と」→「と」ーましんまっけんじー。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(444)』
奇人変人スタンリー・キューブリックの個人的5傑を挙げてみましょうか。
(1)『フルメタル・ジャケット』(87)
(2)『バリー・リンドン』(75)
映像美を堪能。
大作だがじつは「わりとチマチマした?」物語で、映画の規模との落差が激しいところが面白い。
(3)『2001年宇宙の旅』(68)
理解なんかする必要ないです、映像に身を委ねましょう。
(4)『現金に体を張れ』(56)
スーパークールな犯罪劇。
これ観ちゃうと、初期のQTは単なるガキだと思えてくる。
(5)『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(64)
シニカルさという点ではこれがベスト、そのスタンスは、ひとを喰った冒頭のクレジットから徹底している。
…こんな感じ。
そう、『時計じかけのオレンジ』(71)も『シャイニング』(80)も圏外なのだった!!
次に、ベトナム戦争をテーマとした映画の個人的3傑を。
(1)『ディア・ハンター』(78)
(2)『地獄の黙示録』(79)
そして、
(3)『フルメタル・ジャケット』!
両方に入った、『フルメタル・ジャケット』の優勝!^^
キューブリックの映画のなかでいちばん好きな理由はふたつあって・・・
1、初めてリアルタイムで触れたキューブリックの映画だから。
これ、大きいと思うのよ。
たとえばもう少し早く生まれて「ソレ」が『シャイニング』であったとするならば、1位は変わっていた可能性が高い。
2、『時計じかけのオレンジ』で最後に皮肉った「洗脳と、その限界」をさらに考察したテーマに感動したから。
『ディア・ハンター』と『地獄の黙示録』を「大局的な視点で捉えたベトナム戦争映画の総決算」だとするならば、『フルメタル・ジャケット』は、そこから抜け落ちた視点でヒトを見つめた哲学映画といった趣き。
ヒトを殺人マシーンへと洗脳していく過程を丹念に描いた前半と、
殺人マシーンであるにも関わらず、少女狙撃兵に苦戦するところを皮肉っぽく描く後半と。
キューブリックの意図は極めて明快、
洗脳も、育った環境には太刀打ち出来ない、、、そういうことでしょう。
更生したかのように見えて「ぜんぜん」変わっていなかったアレックス(=『時計じかけのオレンジ』)を描くことで、キューブリックは「洗脳と、その限界」を説いてみせた。
16年後に発表した『フルメタル・ジャケット』でもその考えは変わらない、、、いやむしろさらに強固になったというか、
「生まれついての」狙撃兵に、仲間を次々と殺されていく主人公の姿を通して、それを証明したかったのではないか―自分は、この映画をそのように解釈しています。
あすのしりとりは・・・
ふるめたるじゃけっ「と」→「と」ーましんまっけんじー。
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(444)』