Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(179)

2016-06-25 00:10:00 | コラム
「映画のなかの友達」という視点でいくつか挙げてみようと思ったが、笑ってしまうくらいに暗い作品ばかり出てくる。

これもまた、自分の嗜好というわけか。

たとえば『真夜中のカーボーイ』(69…トップ画像)。

主人公のジョーは、スラム街で生ゴミのように生きるラッツォを軽蔑しつつも、なぜか離れられない。

フロリダで過ごすことを夢見たふたりは、しかし・・・という物語。

たとえばダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』(99)。

喰うことに必死過ぎるヒロインは、やっとのことで見つけた友人をも裏切り、職を得ようとする。

たとえば『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)。

暗い物語というわけではないが、最後のデ・ニーロの表情がなんともいえないので。


アル・パチーノは情に厚いキャラクターを多く演じていて、
たとえば『カリートの道』(93)では、悪徳弁護士(ショーン・ペン)との縁を切れないでいる。

彼女に「彼と手を切って」と懇願されても、「恩がある。友達だ」と返す。

たとえば『フェイク』(97)では、よき相棒と思っていたジョニー・デップが潜入捜査官だった衝撃の事実を聞かされる・・・も、「お前だから」と赦してしまう。

グッとくるなぁ!!


一般的には、『スタンド・バイ・ミー』(86)あたりが広く支持を得そう。

たしかによい話だし、憧れる関係性だが、ガキのころにああいう経験の出来るひとは稀であろう。

クラシックファンのひとは、「美しい友情の始まりだな」という名言が登場する『カサブランカ』(42)を挙げるかもしれない。


女子同士の友情物語では、『テルマ&ルイーズ』(91)と『フライド・グリーン・トマト』(91)をすぐに思い浮かべる。

前者は哀しい結末だがそれさえも美しく、後者の関係性は「ひたすら」羨ましい。





さて。
上京して、最初に出来た友達の話。

友達というより、同志といったほうが適切かもしれないが。

名前は河野くん。
同じ日に静岡から上京してきた、新聞奨学生である。

自分はにっかつの映画学校に進学するための、彼はコンピューター系の専門学校に進学するための上京だった。

奨学生には新聞専売所からアパートを無償で提供されるが、最初の数日間は専売所2階の寮で寝泊まりすることになる。

どっちも都会が怖いと思っている、イナカッペである。
すぐに仲良くなり、まだ学校も始まっていないので、暇さえあればどちらかの部屋に行き、田舎のことやこれからのことなどを話し合った。

ホームシック「なりかけ」というのもあったかもしれないが、上京した翌日から始めた配達業務に(とくに河野くんのほうが)参っているところがあり、ひとりになると「帰りたい・・・」と思ってしまう、、、そんなわけで、仕事時と寝るとき以外は一緒に居たかもしれない。

河野くんが落ち込むには理由があった。

彼の配達区域にはマンモス級のマンションがあり、部屋番号がきちんと並んでいなかった。

1号室の隣りが3号室になっていたり、5号室の隣りが10号室になっていたり。
3階建てのマンションくらいであれば、まだ若いのですぐに覚えられたはず。
でも10階建てを超える規模のマンションであったから、「いつになっても覚えられない。だから配達が速くならない。だからだから、遅いというクレームの電話ばかりが入る」と嘆き、「自分は向いていないかもしれない」と落ち込んでしまっていたのだ。

なんでまた、そんな誰にも親切でない構造のマンションが・・・と、河野くんに同情した。


そのころ、新聞奨学生のバイブルになっている映画の存在を知った。

中上健次の小説を映画化した、『十九歳の地図』(79)である。

新聞奨学生をやっている主人公が、自分が負け犬であることを自覚するまでの物語―と書くと、そんなのがバイブル? と思われるかもしれないが、ネガティブなものがひとを落ち込ませるとはかぎらないわけで、自分も河野くんも、えれー勇気づけられたんだよね。

あぁ仲間がここに居るって。


そんな風に励ましあい、互いの学校生活が始まった。

田園地帯に住んでいたという河野くんは、新宿の学校に行くための満員電車も堪えたようで、学校を1年で辞めてしまう。

ここからが面白いのだが、彼は地元に帰らず、そのまま新聞店で専業として働き始めた。

数ヶ月後、別の専売所に異動となった。

1年後―。
朝日系列の合同の新年会で、久し振りに河野くんに会った。

純朴な青年だったはずの河野くんは、コンパニオンの女の子と野球拳をしていた笑


ひとは変われるものだな―彼の成長? を、わがことのように喜んだのであった。


おわり。

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明日のコラムは・・・

『俳優別10傑 海外「な行」篇(1)』
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初体験 リッジモント・ハイ(178)

2016-06-24 00:10:00 | コラム
よく「交友関係が広そう」といわれる。

広くはないよ。
狭くも、ないのだろうが。

そうした印象は、仕事柄というのと、呑む相手がいつもちがう、、、というところからきているのか。

いつもちがう・・・ということは、ないのだけれどもね。

友人に「きょうは、こんなひとたちと呑んでいるよ」という画像をよく送るのだが、そのときの相手が「いつもちがっている」というのはたしかだ、
けれどもじつは、関係のない隣りのテーブルのひとたちを「巻き込んで」撮影しているから、そう見えるだけなのだ。

とくに隣りのテーブルが女子会だったりすると、関係ないのに「想い出に1枚いいですか」といってしまうので、その写真だけで判断すると、なんかすげーモテ男のように見えるっていう。

ケータイのアドレス帳だけは、なかなかの登録数。
とりあえず登録するからであり、実際に連絡を取り合うのは3割程度なんじゃないだろうか。

年賀状を出す数も、現代では多いほうだと思う。
これは営業を兼ねており、私生活における人間関係とはいえない。


結局、友達は多いのか少ないのか。

少ないほうだと思う。

ヘンクツだしね。

一般的に、ヘンクツっていうのは面倒くさがられるから。

好きなひとはとことん好きになり、嫌いなひとはとことん嫌いになる。真ん中は居ない―カルトはそう評されることが多いが、まぁ自分のことを「よくいえば」カルト的なんじゃないだろうか、

繰り返すよ、「よくいえば」だからね!!


というわけで今回の初体験シリーズは、「はじめての友達:上京篇」でいってみよう。
なぜ上京時に絞るのかというと、生まれて初めての友達を「覚えていない」から。

ただ中学時に初めてことばを交わしたクラスメイトだけは覚えている。

自分の後ろの席に座った、松原くんだった。

なぜ覚えているのか。

86年4月8日―館林市立第3中学校の入学式だったこの日に、岡田有希子が自死を遂げているからである。

「岡田有希子、死んだってね!!」

これが、最初の会話だったのである。




専門学校時代、いちばん最初に友人になったひととは現在も交流がつづいている。

奈良ちゃん。

ほんとうに「たまたま」だったのだろうが、好きな映画を挙げていこうと話し、まず出てきたのが両者とも『タクシードライバー』(76)だったのである。

歓喜した。

上京して、ほんとうによかったと思えた最初の瞬間だったかな。

奈良ちゃんが女子であれば、その場で求婚していたんじゃないか、、、と思うほどに。


けれども上京して最初に友達になったひととは、連絡が途絶えたままである。
いまどこで、なにをしているのかさえ分からない。

有名人であれば、スタッフ協力のもと探してくれるのだろうけれどね。

ただネット時代となった現代では、一般人同士だって探すことも可能。
自分がFacebookを始めた理由なんかも、じつはそういうところにあるのかも。


奈良ちゃんとの奇跡的な会話は別として、
恋愛でもそうだが、友人関係も第一印象で6~7割くらいは決まるものだと思う。

「あ、コイツとはダメだな」と直感的に思ってしまったものとは、結局それから何年経っても、仲良く出来なかったりするからね。


もちろん向こうもそう思っているのだろうが、学校・職場が一緒だから「それなりに」仲良くしているが、そうじゃなかったら絶対に話もしないヤツというのが、けっこう沢山居た。

・・・ということを突然いうと、「こんなにニコニコしているのに、まっき~は腹のなかでなにを考えているのか分からないよね~」と返されることも多い。

これは、「柔和な表情が地顔」という、第一印象の持つ「負の」側面なのかもしれない・・・と思うことが、ときどきあったりして。


つづく。

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あなたが寝てる間に…

2016-06-23 00:10:00 | コラム
田村正和は、他者に「食べる姿」を見せないという。

家族以外ってことだろう。

「えー、じゃあトイレの個室でパンでも食べているのかな」といった有吉ちゃんには笑ったが、これを持続させるのは難儀だと思う。

だいいち、呑み会にも参加出来ない。
呑み会ではしゃぐ田村さんを想像出来ないので、それで構わないのかな。

いや、それにしたって・・・という話である。

ちがう理由になるのだろうが、食べかたは上品とはいえないので、自分も「あまり」見られたくない。

いや、くちゃくちゃ音を立てることはしないよ。
箸の持ちかたも、ふつう。
魚も骨さえ食べることがあって、皿はきれい。

でもねぇ、美しくはないからなぁ。
とくにケンタッキーを食べてるときの、手も口のまわりもギットギト状態は放送禁止レベルだと思う。
だからテイクアウト&自宅でひとりで食べる、、、ようにしている。


ひとに、見せたくないもの・こと。

自分は小便・大便時はOK。

問題ある?

でも、自分は平気。

まぁ見たがるキチガイなど、ひとりも居ないだろうけれども!!

自慰の姿も、見たいならどうぞって感じだ。

そういえば昔、自分の自慰行為を女の子に「ひたすら」見てもらうという風俗店があった。

「でもオプションいろいろ加えて、結局ピンサロと変わらなくなっちゃった」といったのは、ふかわりょうだった。

なんの話だ?


自分は意外と、寝ている姿がいちばん見られたくないかもしれない。

「徹底的に」無防備だから。

※映画史上で最も美しい寝姿は『アマデウス』(84)のエリザベス・ベリッジだと思っていて、画像検索したのだが出てこなかった・・・ので、誰だか知らないアイドルの寝姿をトップに掲げてみた。


♪ 寝たふりしてる間に、出て行ってくれ~ ♪





少し前のコラムで書いたように、ヨダレひどいし。
酒呑みだから、イビキもひどいだろうし。

きっと美しくない、いや、はっきりと醜いはずである。

だから寝姿を見られて平気だというひとはすごいな、
ある意味で小便・大便しているところを見られることより恥ずかしいはずなのに、、、なんて。


この世で寝姿を公に晒すことが許されているイキモノなんて、ヒト以外の動物と、ヒトであれば美少女、そして赤ちゃんくらいなものなんだろう。





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にっぽん男優列伝(330)向井理

2016-06-22 00:10:00 | コラム
82年2月7日生まれ、34歳。
横浜出身。

公式サイト


雑誌『Tokyo graffiti』に関わっている友人の女子が居まして、向井理(むかい・おさむ)くんがイケメンとして紹介写真が掲載されたとき、彼女は「この子、ゼッタイ出てくると思わない?」と自分にいいました。

美少女に対するアンテナは「びんっびん」でも、イケメンに対するアンテナは「ゼロ」に等しい。
EDになったかと不安になるくらい、無反応なんです。

ですから「どうかな~」と返しておいたんですけど、その数年後、彼女から「ほら、いったとおり!」と勝ち誇ったようなメールが届いたのでした。

勝ち負けに持ち込むようなやりとり、してないんだけどな笑

というわけで、イケメンには精通していない自分による向井くんの紹介です。

妻は女優の国仲涼子で、



人気絶頂のころに結婚したものだから、悲しんだ? ファンも多いと聞きます。
面白いのが、ゲイ「ではなく」バイセクシュアルのかたからの支持も高いんですよね、たしかに自分が知っているバイのAさんもBさんもタイプだといっていたな、、、よく分かりませんが笑




<経歴>

獣医師を目指し、明治大学農学部に入学。
生命科学科で遺伝子工学を学ぶ。

そのころバーテンダーとしてアルバイトをしていて、雑誌のイケメン特集で登場したのもこの時期でした。

芸能活動スタートは、2006年のCMから。
同年、『だからワタシを座らせて。 通勤電車で座る技術!』で映画俳優デビューを飾る。

『俺は、君のためにこそ死ににいく』(2007)、『ガチ☆ボーイ』(2008)、『ハナミズキ』(2010)、『BECK』(2010)、『Paradise Kiss』(2011)などの話題作に出演、
前述したとおり、自分は偶然にも向井くんのデビュー前からその存在を知っていたわけですが、彼を俳優さんだと認識したのは2011年の『僕たちは世界を変えることができない。』(2011)からです。
(動画参照)

甘いといえば甘い、ひじょうに惜しい出来の青春映画・・・しかしイケメンは泣いても映えるなぁ! と感心したことを覚えています。

『劇場版 SPEC~天~』(2012)、『劇場版 SPEC~結~ 漸ノ篇、爻ノ篇』(2013)
『ガール』(2012)、『新しい靴を買わなくちゃ』(2012)、『きいろいゾウ』(2013)、『百瀬、こっちを向いて。』(2014)、『小野寺の弟・小野寺の姉』(2014)、『深夜食堂』(2015)、『娚の一生』(2015)、『S ―最後の警官― 奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE』(2015)、『天空の蜂』(2015)、
そして最新作は、公開されたばかりの『信長協奏曲』(2016)。


主演にこだわっていないキャリア構築ですから、代表作の誕生も「これから」のような気がします。

テレビドラマのほうでも夏の新作(TBS22時)がスタートしますが、個人的な好みを申しますと、堤幸彦監督の演出って「あんまり…」だったりするのですよねぇ。
だからこっちは、観ないかな~。


次回のにっぽん男優列伝は、六平直政さんから。

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明日のコラムは・・・

『あなたが寝てる間に…』
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にっぽん男優列伝(329)宮口精二

2016-06-21 06:02:34 | コラム
13年11月15日生まれ・85年4月12日死去、享年71歳。
東京出身。

三橋達也、三船、そして宮口精二(みやぐち・せいじ)と、3人連続で「黒澤組」を取り上げることに幸福を感じています。

宮口さんといえば、代表作はなんといっても『七人の侍』(54)の久蔵。

朴訥な剣豪といったらいいのか、この7人で総当たり戦を展開したとしたら、生き残るのは久蔵「だったはず」です。

そう、実際には死んでしまうのですよね~。

ちなみに米国リメイク版『荒野の七人』(60)では、ジェームズ・コバーンが快演したナイフ投げのブリットにあたります。
本年、そのまたリメイクの『THE MAGNIFICENT SEVEN』が上陸しますが、宮口/コバーンのキャラクターは、どうやら韓国のイ・ビョンホンが演じるようなのですね。

う~~む。
という感じなのですけれどね、正直。


※予告だけだと、『許されざる者』みたいですね





映画の企画ニュースに対し、ふだんは「まぁでも、観るまでは文句いわない」というスタンスなのですけれど、
もし自分が俳優であったとして、演じてみたいキャラクターのトップワンが久蔵であるからして、今回ばかりは「う~~む。」となってしまうのですよ笑




<経歴>

アマチュア野球の審判としても有名。

経済的事情により夜間中学に通いながら働き始める。
そこの同僚の影響で演劇に触れるようになり、いつしか演者の世界に憧れを抱くようになる。

舞台の端役から芸歴スタート、映画俳優デビュー作は、45年の黒澤映画『續姿三四郎』。
と同時に「移動演劇隊」の一員となり、戦中は北陸地方を中心とした巡演活動をおこなう。

転機は51~52年。
小津の『麦秋』(51)、木下惠介の『善魔』(51)、そして黒澤の『生きる』(52)の好演により、次々とオファーが舞い込むようになる。

『生きる』のヤクザ役、たしかに印象に残っています。
凄んでみせたのに、逆に志村喬に凄まれるっていう。

『にごりえ』(53)、『七人の侍』、『叛乱』(54)、『早春』(56)、『暗黒街』(56)、『鬼火』(56)、『流れる』(56)、『蜘蛛巣城』(57)、『東京暮色』(57)、『夜の蝶』(57)、『純愛物語』(57)、『黒い河』(57)。

壮観な50年代です。
きらきら輝ていますよね、そして58年にはもうひとつの代表作『張込み』に出演、執念で犯人を追う老刑事を渋く演じて画面を引き締めました。

『無法松の一生』(58)、『楢山節考』(58)、『眠狂四郎無頼控 魔剣地獄』(58)、『キクとイサム』(59)、
『あゝ特別攻撃隊』(60)、『いろはにほへと』(60)、『悪い奴ほどよく眠る』(60)、『みな殺しの歌より 拳銃よさらば!』(60)、『あいつと私』(61)、『宮本武蔵』(61)、『宮本武蔵 般若坂の決斗』(62)、『破戒』(62)、『古都』(63)、『五番町夕霧楼』(63)、『乾いた花』(64)、『赤い殺意』(64)、『猟人日記』(64)、
『怪談』(65)、『日本のいちばん長い日』(67)、『連合艦隊司令長官 山本五十六』(68)、『社長繁盛記』(68)、『続・社長繁盛記』(68)。

『初めての旅』(71)、『男はつらいよ 柴又慕情』(72)、『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』(74)、『青い山脈』(75)、『化石』(75)、『白夜の調べ』(78)、
『翔べイカロスの翼』(80)、『将軍 SHOGUN』(80)、『幻の湖』(82)、『白蛇抄』(83)、『人魚伝説』(84)、『さらば箱舟』(84)。


85年4月12日―肺がんのため死去、享年71歳。
遺作は翌年公開された『オイディプスの刃』(86)で、自分はこのあたりで映画に興味を持ち始め、だから宮口さんのことも訃報で「初めてその存在を知る」みたいな感じだったと記憶しています。

それからしばらく経ってから久蔵と出会い、痺れたというわけです。

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