◎2009年1月27日(火)─1人
まもなく有効期限を迎える代休を使って出かけた。これで代休残は0になる。あとは有休を取るしかない。「蕎麦粒山」の名前は以前から知ってはいたが、奥多摩の山とばかり思いこみ、秩父からも入れるということはまったく知らなかった。散々、ネットで調べたら、有間峠経由が楽勝のようだったが、これではあまりに味気ないようで、仙元尾根経由で歩いてみることにした。実は、先日の土曜日に登るつもりで、やって来たはいいが、秩父に入ってから、雪が降り出し、さも、待ってましたとばかりに、山歩きはあっさりと止めにした。雪の中を歩くのはどうも気が進まない。余談ながら、その後、林道ドライブに切り替え、そのまま車を進め、広河原逆川線に入ってみた。予想通り、通行止め表示の障害物はあるものの、脇から入れる。事故があっても自己責任ということだろう。上の方でアイスバーンになってはいたが、雪の有間峠に何とか到着。ここから名栗に下ったが、凍結はこちらがすごい。4駆にしていても、ズルッといったのが2回。そのうち、本気の通行止めゲートに出会ってしまい、迂回路表示に合わせて大名栗線に迂回。選択の余地はない。この林道がすさまじい。林道だから舗装していないのは当たり前かもしれないが、落石の様がすごい。3回ほど、車から降りて石の撤去。そうしないと通れない。落石は一面に渡っているのだが、ジムニーだったから幸いした。大きな石を両手で撤去しただけで済んだ。普通車だったらかなり無理。Uターンだろうな。こんなことを繰り返しながら下りたから、峠から名栗の里まで2時間もかかった。この悪天の中で、棒ノ嶺の登山口にいたのを数人見かけた。実際、登ったのかどうかは知らない。
さて、その仙元尾根。取り付きは浦山大日堂。バス停の脇にちょっとしたスペースが有り、ここに駐車。まもなく小型の循環バスが入って来た。何だか、童謡を流している。「ウサギ追いしかの山~」。出発の合図だろう。大日堂7時45分歩き出し。めったにしないのだが、手を合わせてしまった。いきなりの急登。そして杉の植林の中をジグザグ。かなりきつい。悪いことに、枯葉の下は凍てついていて、ズルズルと滑る。たかが20分程度のことではあったが、かなりいかれた。最初の鉄塔に着いた時にはほっとした。とはいっても、大日堂から仙元峠までは標高差が1,000mくらいある。まだ800mも残っている。幾分、傾斜は緩くなり、雪が出てきた。足元は相変わらず滑る。昨日あたりだろうか、だれか1人、歩いたようだ。往復している。こういうトレースは心強いものだね。積雪は5cm程度。
2つ目の鉄塔8時21分、3つ目は8時49分。そして、4つ目の57番鉄塔は9時。ここでしばらく休憩。スパッツを付ける。ここまでは鉄塔作業道で来たが、この先はいい加減な整備状態だろうな。遠くで、モーター音が聞こえる。車かなと思ったが、これはチェンソーの音だろう。そして乾いた銃音。今まで圏外だった携帯がメールを受信する。2つ目の鉄塔を過ぎてから、三ツドッケが見えてきた。あの特徴的な山容は、やはり、行ってみたくなるね。それに引きかえ、これから登る蕎麦粒山は、ここからはいまだに見えず、先日、有間峠に行く途中で見た姿は三角形ながらもみすぼらしいものだったねぇ。雪も7~8cmになり、滑る。杖を2本出して、ダブルで歩く。浅間山も見えてきた。
そろそろ、巻道分岐になるのだろうが、どうも、はっきりしない。トレースは獣の足跡と、さっきからの数日前の人間の往復の足跡だけ。尾根から離れて行く。これが、自然に巻き道になるのかなぁ。薄暗い植林帯の中はうっとうしい。明治神宮発行元の看板があった。つまり、林で悪さをするな、ということだが、ここいらはご料地か。巻道もいいだろうが、どうせ雪道だからと、尾根に這い上がる。地盤がゆるんでいて、直登しづらい。足元がかなり不安定。木をつかむと、たちまちに折れる。何かの本で読んだことがあったが、総じて、植林のところは自然林と違って、保水能力もないし、土も緩いそうだ。ダブルストックも効果なし。ようやく尾根に取りつく。アップダウンはあるものの、明るくて歩きやすい。獣の足跡しかない。おもしろいものだね。獣道というけど、雪の上で見ると、本当に、集中して歩いているんだね。しばらく獣道を追う形で歩く。
どこか途中で大楢というポイントに出会うはずなのだが、どこだか分らない。下りで気づいたのだが、標識があって、尾根登りからではただの標識だが、下りの方面からその標識を見ると、小さく「大楢」と記されていた。ここで巻道と合流。また、懐かしい人の靴型に出会う。ここから、また少し急になる。アイゼンを付けることにする。6本爪で十分だろうと思って持参したが、4本爪でも間に合うみたいだった。杖は1本、ザックに収めたが荷が軽くなった感じがする。明るい尾根。三ツドッケの山がグングン近くなる。
仙石峠に着いたのは10時45分。ちょうど3時間か。まずまずかね。積雪は10cm程度。気温3度。ようやく蕎麦粒山が左手に見えた。そこいらの山だね。展望はよろしくない。上空は良いのだが、柴が絶えず正面の景観を邪魔している。ろくな写真も撮れない。掲載写真は、峠の祠から見た蕎麦粒山。しばらく休憩。ここから、気になっていた三ツドッケに行きたいなぁ、なんて色気も出ていたが、これは無理な相談。休暇を取ったことをいいことに、子供が病院に行く付添いを頼まれてしまっていた。だとすれば、車には2時に戻っていないといけない。蕎麦粒山往復程度だろうな。先日の土曜日に登ろうとした時には、日向沢ノ峰に寄って、有間峠、鳥首峠を経由して大日堂に出る壮大な計画を立てていたが、持ち時間ではとても無理。おとなしく蕎麦粒山往復となる。そのため、ここではゆっくりできる。
峠から反対方向の三ツドッケ方面はヒモが左右に張られていた。危険ということ?。トレースもない。蕎麦粒山までは一旦下り、また上る。せいぜい15分くらいなもの。富士山が見える。だが、ずっと続く柴が邪魔になって、クリアな富士山が見えない。蕎麦粒山頂での富士山を期待したが、今度は、富士山そのものが見えない位置。静かな山頂。だれもいない。日向沢ノ峰方面は、防火帯になっているのだろうか、広い道が真白になって見える。山頂が開けている割には、たいした山も見えないんだね。西側が開けていれば、少しは救われるのだけど。
セルフ写真を撮って、さっさと仙元峠に戻る。峠の方がゆっくり出来そう。峠を巻く道が延びているが、こちらは雪もなく、結構踏まれている。峠で昼食。ワカメスープ。湯がかなりぬるくなっている。峠の由緒が表示されている。村人が木花咲耶姫令を祀ってこの祠を建てたそうだが、祠そのものは大正6年建立になっている。何か違和感が残る。違和感ついでに記せば、この仙元尾根のルート、昨年の10月か11月だったかに、埼玉県知事が歩いたそうだが、仙元峠の由縁表示板、平成20年10月に設置されたもの。来る途中でも気付いたが、ほとんどの表示板が新しい。何かわざとらしさを感じる。これが知事じゃなくて、皇族なら、この尾根ももっと様変わりだろうな。秩父山岳会か。
12時10分、下り開始。自分のトレースを追えばいいから楽だ。何か所か迷いながらも、予定の14時には到着。大日堂で、これまた普段はしない詣でをしてしまった。帰り仕度をしていたら、またバスがやってきた。同じメロディーを流している。着替えもしたいところだが、時間の余裕もなく、帰路に着く。
ところで、峠の由縁表示板では、「仙元」=「水の源」とあった。当初、「仙元」とは近くの地名かなと思っていた。峠の名称の由来をもっと知りたくて、山名事典を調べてみた。「仙元峠」の説明には、「富士山が展望されるという意から浅間と書くのが正しい。浅間神社の祠がある」と記されている。どちらが正しいといった次元の問題ではないが、余計に分からなくなった。浅間神社もこの祠も木花咲耶姫を祀っている点では同じなのだから、浅間を仙元と表記しただけの違いといった気もしてくる。となると、「水の源」というのは何なのだろうか。
まもなく有効期限を迎える代休を使って出かけた。これで代休残は0になる。あとは有休を取るしかない。「蕎麦粒山」の名前は以前から知ってはいたが、奥多摩の山とばかり思いこみ、秩父からも入れるということはまったく知らなかった。散々、ネットで調べたら、有間峠経由が楽勝のようだったが、これではあまりに味気ないようで、仙元尾根経由で歩いてみることにした。実は、先日の土曜日に登るつもりで、やって来たはいいが、秩父に入ってから、雪が降り出し、さも、待ってましたとばかりに、山歩きはあっさりと止めにした。雪の中を歩くのはどうも気が進まない。余談ながら、その後、林道ドライブに切り替え、そのまま車を進め、広河原逆川線に入ってみた。予想通り、通行止め表示の障害物はあるものの、脇から入れる。事故があっても自己責任ということだろう。上の方でアイスバーンになってはいたが、雪の有間峠に何とか到着。ここから名栗に下ったが、凍結はこちらがすごい。4駆にしていても、ズルッといったのが2回。そのうち、本気の通行止めゲートに出会ってしまい、迂回路表示に合わせて大名栗線に迂回。選択の余地はない。この林道がすさまじい。林道だから舗装していないのは当たり前かもしれないが、落石の様がすごい。3回ほど、車から降りて石の撤去。そうしないと通れない。落石は一面に渡っているのだが、ジムニーだったから幸いした。大きな石を両手で撤去しただけで済んだ。普通車だったらかなり無理。Uターンだろうな。こんなことを繰り返しながら下りたから、峠から名栗の里まで2時間もかかった。この悪天の中で、棒ノ嶺の登山口にいたのを数人見かけた。実際、登ったのかどうかは知らない。
さて、その仙元尾根。取り付きは浦山大日堂。バス停の脇にちょっとしたスペースが有り、ここに駐車。まもなく小型の循環バスが入って来た。何だか、童謡を流している。「ウサギ追いしかの山~」。出発の合図だろう。大日堂7時45分歩き出し。めったにしないのだが、手を合わせてしまった。いきなりの急登。そして杉の植林の中をジグザグ。かなりきつい。悪いことに、枯葉の下は凍てついていて、ズルズルと滑る。たかが20分程度のことではあったが、かなりいかれた。最初の鉄塔に着いた時にはほっとした。とはいっても、大日堂から仙元峠までは標高差が1,000mくらいある。まだ800mも残っている。幾分、傾斜は緩くなり、雪が出てきた。足元は相変わらず滑る。昨日あたりだろうか、だれか1人、歩いたようだ。往復している。こういうトレースは心強いものだね。積雪は5cm程度。
2つ目の鉄塔8時21分、3つ目は8時49分。そして、4つ目の57番鉄塔は9時。ここでしばらく休憩。スパッツを付ける。ここまでは鉄塔作業道で来たが、この先はいい加減な整備状態だろうな。遠くで、モーター音が聞こえる。車かなと思ったが、これはチェンソーの音だろう。そして乾いた銃音。今まで圏外だった携帯がメールを受信する。2つ目の鉄塔を過ぎてから、三ツドッケが見えてきた。あの特徴的な山容は、やはり、行ってみたくなるね。それに引きかえ、これから登る蕎麦粒山は、ここからはいまだに見えず、先日、有間峠に行く途中で見た姿は三角形ながらもみすぼらしいものだったねぇ。雪も7~8cmになり、滑る。杖を2本出して、ダブルで歩く。浅間山も見えてきた。
そろそろ、巻道分岐になるのだろうが、どうも、はっきりしない。トレースは獣の足跡と、さっきからの数日前の人間の往復の足跡だけ。尾根から離れて行く。これが、自然に巻き道になるのかなぁ。薄暗い植林帯の中はうっとうしい。明治神宮発行元の看板があった。つまり、林で悪さをするな、ということだが、ここいらはご料地か。巻道もいいだろうが、どうせ雪道だからと、尾根に這い上がる。地盤がゆるんでいて、直登しづらい。足元がかなり不安定。木をつかむと、たちまちに折れる。何かの本で読んだことがあったが、総じて、植林のところは自然林と違って、保水能力もないし、土も緩いそうだ。ダブルストックも効果なし。ようやく尾根に取りつく。アップダウンはあるものの、明るくて歩きやすい。獣の足跡しかない。おもしろいものだね。獣道というけど、雪の上で見ると、本当に、集中して歩いているんだね。しばらく獣道を追う形で歩く。
どこか途中で大楢というポイントに出会うはずなのだが、どこだか分らない。下りで気づいたのだが、標識があって、尾根登りからではただの標識だが、下りの方面からその標識を見ると、小さく「大楢」と記されていた。ここで巻道と合流。また、懐かしい人の靴型に出会う。ここから、また少し急になる。アイゼンを付けることにする。6本爪で十分だろうと思って持参したが、4本爪でも間に合うみたいだった。杖は1本、ザックに収めたが荷が軽くなった感じがする。明るい尾根。三ツドッケの山がグングン近くなる。
仙石峠に着いたのは10時45分。ちょうど3時間か。まずまずかね。積雪は10cm程度。気温3度。ようやく蕎麦粒山が左手に見えた。そこいらの山だね。展望はよろしくない。上空は良いのだが、柴が絶えず正面の景観を邪魔している。ろくな写真も撮れない。掲載写真は、峠の祠から見た蕎麦粒山。しばらく休憩。ここから、気になっていた三ツドッケに行きたいなぁ、なんて色気も出ていたが、これは無理な相談。休暇を取ったことをいいことに、子供が病院に行く付添いを頼まれてしまっていた。だとすれば、車には2時に戻っていないといけない。蕎麦粒山往復程度だろうな。先日の土曜日に登ろうとした時には、日向沢ノ峰に寄って、有間峠、鳥首峠を経由して大日堂に出る壮大な計画を立てていたが、持ち時間ではとても無理。おとなしく蕎麦粒山往復となる。そのため、ここではゆっくりできる。
峠から反対方向の三ツドッケ方面はヒモが左右に張られていた。危険ということ?。トレースもない。蕎麦粒山までは一旦下り、また上る。せいぜい15分くらいなもの。富士山が見える。だが、ずっと続く柴が邪魔になって、クリアな富士山が見えない。蕎麦粒山頂での富士山を期待したが、今度は、富士山そのものが見えない位置。静かな山頂。だれもいない。日向沢ノ峰方面は、防火帯になっているのだろうか、広い道が真白になって見える。山頂が開けている割には、たいした山も見えないんだね。西側が開けていれば、少しは救われるのだけど。
セルフ写真を撮って、さっさと仙元峠に戻る。峠の方がゆっくり出来そう。峠を巻く道が延びているが、こちらは雪もなく、結構踏まれている。峠で昼食。ワカメスープ。湯がかなりぬるくなっている。峠の由緒が表示されている。村人が木花咲耶姫令を祀ってこの祠を建てたそうだが、祠そのものは大正6年建立になっている。何か違和感が残る。違和感ついでに記せば、この仙元尾根のルート、昨年の10月か11月だったかに、埼玉県知事が歩いたそうだが、仙元峠の由縁表示板、平成20年10月に設置されたもの。来る途中でも気付いたが、ほとんどの表示板が新しい。何かわざとらしさを感じる。これが知事じゃなくて、皇族なら、この尾根ももっと様変わりだろうな。秩父山岳会か。
12時10分、下り開始。自分のトレースを追えばいいから楽だ。何か所か迷いながらも、予定の14時には到着。大日堂で、これまた普段はしない詣でをしてしまった。帰り仕度をしていたら、またバスがやってきた。同じメロディーを流している。着替えもしたいところだが、時間の余裕もなく、帰路に着く。
ところで、峠の由縁表示板では、「仙元」=「水の源」とあった。当初、「仙元」とは近くの地名かなと思っていた。峠の名称の由来をもっと知りたくて、山名事典を調べてみた。「仙元峠」の説明には、「富士山が展望されるという意から浅間と書くのが正しい。浅間神社の祠がある」と記されている。どちらが正しいといった次元の問題ではないが、余計に分からなくなった。浅間神社もこの祠も木花咲耶姫を祀っている点では同じなのだから、浅間を仙元と表記しただけの違いといった気もしてくる。となると、「水の源」というのは何なのだろうか。
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