
◎2014年11月23日(日)
栃本広場(6:50)……一里観音(8:13)……白泰山(9:36~9:44)……二里観音・白泰山避難小屋・のぞき岩(10:00~10:25)……林道(11:49)……栃本広場(12:30)
三連休といっても、出勤したり用事があったりで日曜日しか勝手もできないが、その日曜日も夕方には用事ができてしまった。持ち時間に余裕なし。先日、十文字峠に行き、今度は逆コースから歩いてみるつもりでいたが、これでは白泰山往復がせいぜいだろう。難がなければ赤沢山まで足を延ばせればいいところか。
白泰山、今回もいろいろとネットで調べた。身近なところでHIDEJIさんの2年前の記事か。未踏で終わってはいるが、腰すっぽりの残雪では致し方あるまい。この記事を拝見し、そろそろそちら方面も雪かと思って、気のあせりもあったが、今のところ雪の情報はない。まずは一安心だ。
話は逸れるが、栃本から十文字峠越えのルート、「秩父往還道」としているのがあるが、これは誤りでしょう。往還道は雁坂峠越えの甲斐入りが正式なルートで、十文字峠越えは強いて言えば秩父・信州往還道といったところではないだろうか。いずれとしても古道歩きであることは確かで、瀑泉さん同様に食指が動く範疇である。
先日の男山で、朝食をしっかりとれば、足も軽やかであることを体験した。前夜のうちから、県境を越えてすぐの妻沼にある吉野家で、牛ねぎ玉丼を食べる予定にしていた。朝食の定食では出るまでに時間もかかるが、牛丼系なら早かろう。ところが、4時に起き、4時半に吉野家に近づくと、早朝から牛丼を食える気分にはまったくなれず、まずは温かいブラックコーヒーを飲みたい。吉野家はパスして、コンビニでコーヒーとカップウドンを買った。
栃本広場なる立派な駐車場があることを知ったのは最近のこと。しかし、そこに至るまでが遠かった。140号線を折れた途端に集落の合い間の狭い道となり、対向車が来たらどうしようかとハラハラした。駐車場には7台くらい。これがハイカーの車だとしたら、古道歩きも大した人気だ。
まずは腹満たしのカップウドンに湯をそそぐ。その間、準備中の単独氏がやって来て、どこに行くかと問われた。彼はテント泊で十文字峠だそうだ。何ともうらやましい。後になって、彼がどのルートで戻って来るのか気になった。参考までに聞いておけばよかった。聞きに行こうとしたら、トイレに行ったようで姿が見えない。こちら、ウドンを食べて出発。
(まずは広場先の林道を歩く)

(このオブジェはネットで知っていた)

(その先で林道から離れるわけなのだが…)

地理感覚がよくわからないままに舗装林道の先に行く。しばらく行くと、ネットでよく見かけるオブジェ展望台を見かけた。この方向でいいようだ。その先に白泰山方面への標識があった。ここで早速のドジ。その先の踏み跡は不明瞭。後ろ方向に斜面に向かう踏み跡を見つけ、追ってみたらすぐに消滅。上の尾根に上がればいいだけのことだからと急斜面を登る。尾根に出た。ここまではHIDEJIさんの勘違いと似たり寄ったりのレベルだが、その先がいけない。方向感覚がおかしくなっていて、東西を勘違いして歩いてしまった。新しい作業小屋のようなところまでぜいぜいしながら行って、あれっと思いコンパスを出すと東に向かって歩いていた。地図を見ると1122m標高点の手前だ。改めて西に向かうが、これでは先が思いやられる。時間と体力のムダ使いをした。
(登りでは滑るが一本調子の尾根)

(ベンチがあったりする)

尾根上にしっかりした踏み跡はないが、一本尾根だし、大滝村の石標が続いていて間違えるところはない。ただ、落ち葉が堆積し、すこぶる歩きづらい。登りにかかるとやたらに滑る。しばらくはテープもリボンも山林関係のもの以外はなかった。下ったり、登ったりが続く。時たま木の階段も現れる。基本は左が植林、右が雑木になっている。右手に両神山らしき山容の山がちらちらと見えている。今日は幾分暖かいのか、すぐに汗をかきだした。
途中で標識を見かける。南からの破線路の合流点だろう。栃本広場を指す植林の中の方向にしっかりした道は見えていない。その先の1206.3mの三角点は気づかずに素通り。埼玉県の発行する案内板はかじられたのかなぶられたのか、端が欠けている。廃れかけたベンチも置かれていたりするが、このコース、かつてはハイキングコースだったのだろうが、今は歩くハイカーもまれなのではないだろうか。ザックから鈴を取り出して括り付ける。用心に越したことはない。
木の階段を下ると、斜めの道型が先に続いている。尾根を巻いている。ツキノワグマの説明版は当人らしきモノに倒されたのか、他にも解説板やらコース案内図が出てくるも、その標識の文字とイラストはほとんどが見えなくなっている。
(階段を下る)

(右手に両神山)

(合流点。踏み跡を直進すると古道に出る。古道を下って来るハイカーの姿がチラッと見えている)

スズタケの少々うるさいところに出た。そのヤブの中を踏み跡が左側につながっている。ということは、ここが南東からの破線路の合流点だろう。その破線路が古道のはず。帰路は、その古道をそのまま下るつもりでいる。単独氏が下りて来た。8時過ぎのこの時間だ。十文字峠からでは早過ぎる。白泰山避難小屋にでも泊まったのだろうか。そういえば、出発時のあの単独氏、自分が尾根筋を歩いている間に抜かれてしまったのだろうか。
(古道に出る)

ここから古道歩きとなった。今日の楽しみは、古道歩きと、一里観音と二里観音を見ることにある。白泰山は展望のきかない山のようだから、そのついでといったところだ。合流点にはベンチがある。なかなかしっかりした道ではないか。これまでとは違って、落ち葉の積もりはさらっとした感じで、この時期の陽だまりハイクにはもってこいの感じだが、この辺からピンクテープが出てくるようになる。道に目印を付けているようなもので、こんなところにも余程のマヌケがいるものだ。
(伐採地から南側の展望)

(一里観音が右の斜面下に。左手に踏み跡が分岐している)

(一里観音)

伐採地に出た。その区間だけ南側の展望が最高だ。あの真ん中のピークは和名倉山のようだが。とすると、手前に長く延びている尾根はヒルメシ尾根か。後ろには奥秩父の主脈。この伐採地のトラバース、いささか危ういところがある。木を伐ればやがてはこうなるの見本だ。いずれ踏み跡もなくなり、上を大きく巻かないと通過できなくなるかもしれない。
気持ちのよい歩きが続く。ほどなく一里観音。栃本関所から一里ということだ。この観音様には寄進者の名前が刻されているが、先日の五里観音とは違う名前だ。下に年代らしき字が見える。「五」の字の確認しかできなかった。観音像のスタイルは手を合わせた五里と同じ。ここの古い標識は杭しか残っておらずに粉砕されている。進行方向左下に踏み跡が続いている。どこに続くのかわからなかったが、後で調べると、その方向には水場案内の標識が置かれていたらしい。ということは、この踏み跡もまた古道ということになるか。
この古道、さっきまでは傾斜も緩やかだったが、次第に急になってくる。地図を見れば、尾根通しの破線路になっている。ところどころで巻いてもいる。江戸時代のままの古道ではないだろう。信州と秩父との間に、さほどの物資の輸送、交換があったとは思えない。一種の杣道のようなものではなかったのか。ただ、里標の観音様が置かれるくらいだから、それなりの通行もあったのであろう。あるいは、観音様の里標からして、善光寺参りに出向く人の通りになっていたのかもしれない。今のところ、幅広のしっかりした道になっている。ハイキング道としてさらに整備も加わってはいるのだろう。
(左手に白泰山。この先、左に回り込む歩きになる)

左手前方に白泰山らしき山が見えてくる。「これより国有林、…秩父山地緑の回廊…」の案内板を見かける。板は正面を向いているため、国有林が手前なのか、この先からなのかはわからない。さっきまでは東大演習林の看板が続いて置かれていた。いつも思うのだが、東大農学部の林業関係学科の学生が、秩父のいたるところにある演習林に来ることはあるのだろうか。だれかが整備をしているのではあるのだろうが。
(右側が古道。ここを直進して白泰山に向かった)

(スズタケがうるさい)

(白泰山山頂)

白泰山にさしかかる。古道は右手・北側を巻いて行く。途中から白泰山に這い上がるルートがあるのは知っていたが、末端のスズタケのヤブの中に踏み跡らしきものが見え、ここから取り付くことにする。
しばらく登って後悔した。踏み跡は消え、完全なスズタケのヤブ。近頃のスズタケはかつての勢いがなくなったとはいえ、跳ね返りはすごい。そのうちに古い倒木が出てきて、これがまた、木の本体を踏み抜くほどである。地形図を見ると、間もなく傾斜も緩くなるはずだ。しばしの辛抱か。
全身、真っ白になり、スズタケも消えたと思ったら引き続きだった。これまでよりは少しはましになり、スズタケが消えたところで白泰山の山頂に至った。ひんやりした暗い山頂だ。展望はまったくなし。公式に置かれたらしき山名板は「泰」の字しか残っていない。ポツンと三角点。写真を撮り、タバコを一本吸って、早々に立ち去る。
(下って古道に合流)

ここからの下り、基本は尾根伝いに北西方向なのだろうが、ちょっとばかり複雑っぽく、コンパスをセットして下る。いくつかテープも確認した。コンパスに合わせて下ったものの、誤った方向に行ったりしたため、テープには正直のところ助かった。樹間に赤沢山を確認。双耳になってはいるが、奥が赤沢山であろう。古道に合流。
あれっ、古道がすこしばかり雑になった気配がある。整備も白泰山までか。
(白泰山避難小屋と二里観音)

(二里観音)

ちょっと行くと、前方に小屋が見えた。あれが白泰山避難小屋だろう。小屋の手前に二里観音があった。この観音様のポーズはちょっと違う。手を合わせていない。読み取れる字は意味が通じない。小屋の中を覗いてみた。ストーブがあって、板敷きになっていて、こぎれいに片付いている。ネット情報では、暗い小屋と記されているが、明り取りは2か所にあった。開ければ何ら問題はない。近くに水場はないようだ。小屋の後ろの登り斜面には踏み跡がある。後で見てみよう。
(のぞき岩)

(のぞき岩からの眺め)

(赤沢山は双耳の奥のピークだろう)

小屋のすぐ先にのぞき岩。展望スポットになっている。下はスパッとなっているので、岩の手前の日なたで休んだ。昨夜からの長野の地震、強い余震があったら、岩の上にいたらやばいでしょう。奥秩父の主脈がよく見える。左から雁坂嶺、木賊山、甲武信ヶ岳、三宝山が何となくわかる。右には赤沢山、後ろにかすかに八ヶ岳。白くないなぁ。これからどうしようか。夕方の5時半までに足利の車屋に行かないといけないし、先に行くにはちょっと無理かなぁ(確かに、帰路の道路、紅葉狩りの車だろうか、秩父市内手前から花園ICまでの区間、どこも渋滞で、来る時よりも一時間以上余計にかかってしまい、5時半にはまったく間に合わなかったろう)。やめるとしよう。ここでゆっくりしよう。
歩き出しから3時間か。いつもなら、その間に菓子パンの一つでも食べるのだが、出発時のカップウドン以外何も口に含んでいない。ここで初めて水を一口。やはり今日は暑い。汗をかなりかいている。風がなくて幸いした。ここで風が流れていたら、汗ばんだ身体には寒いだろう。腹はまったく空いていないが、リンゴを1個、景色を眺めながら丸かじりする。これで満足だ。周りの木の切り株を見ると「ようこそ!さあ特上の席へ」などと、マジックで記されている。さて、いずれ歩かないといけない、これから先の区間の攻略はどうしようか。できれば埼玉側から入りたい。昭文社マップを広げる。中津川林道、大山沢林道がある。破線ながらもタツマノ尾根、シャクナゲ尾根というのもある。帰ってから調べよう。日帰りは無理だろうからテントを背負うか、避難小屋か。
(シャクナゲ尾根方面)

小屋に戻り、後ろの踏み跡を辿ってみた。赤文字の標識。「中津川下山口」と記されている。その先のドラム缶には「通行不能」「行止」の文字。落ちている標識には「●分岐まで4●5●」とあった。おそらくはシャクナゲ尾根方向のことだろう。えらく気になり出した。マップを広げると、このシャクナゲ尾根、槍ヶ岳に向かっている尾根のようだ(別に槍ヶ岳を経由せずとも、タツマツ尾根に乗り換えして中津川に下るようだが)。あの岩峰の槍ヶ岳、このルートですんなりと行けるのだろうか。尾根はここから下り気味になっていて、倒木が目に付いた。
(岩にタコ足のようにからみついている。木は上で折れている)

(白泰山への標識)

下る。すぐに、朝の単独氏が登って来た。ザックが重そうで、やはり遅くなったか。抱いていた疑問を確認した。帰路はこの道を下るそうだ。もしかしたら入川林道に出るのかと思っていた。
白泰山の巻き道を下った。倒木があったりで歩きづらい。「白泰山→」の標識があった。見上げると、しっかりした踏み跡には見えない。上に尾根が見えていて、自分が無理やりに登った尾根の、傾斜が緩くなったところに出るようだ。
(古道を戻る)

(こんなのを見かけたが、中には落ち葉があるだけだった)

(伐採地にさしかかる。道そのものが斜面になっている)

白泰山の尾根末端を過ぎると、左手にフェンスが見えた。行ってみると、何やら、電卓みたいな機器が据えられ、「ニホンジカの生息状況調査」とあった。そういえば、この辺は鳥獣保護区なのか、ハンターの姿も見ないし、乾いた破裂音も耳にしない。
その後、ずっとだれにも会わなかった。少なくとも、栃本広場に置かれた車は、白泰山に向かうハイカーの方々のものではなかったようだ。だが、前日、十文字峠に行ったとしても、出会ったハイカーがお一人とは、また別の目的からだろうか。その先にある大峰という山が人気の山とも思えない。
下りは、古道をそのままに両面神社を経由して栃本関所跡に出るつもりでいた。栃本平の分岐(自分が登って来た尾根筋のコース)をそのまま栃本方面に下った。この分岐まで、下り一辺倒であった。登り時には気づかなかったが、意外なほどの登りが続いていたようだ。
(分岐から先、いい感じの歩きだったが…)

(植林の中に入ってしまった)

(そして林道に)

檜の植林を通過し、いい感じの雑木の疎林の中の歩きになる。この辺の風景は、足尾の舟石新道の風情に似ているところがある。炭焼き跡も見かける。しかし、気分がよかったのも束の間で、やがて植林の中のクネクネ道になった。古道が活気づいていた頃、周囲が植林ということはあるまい。この辺は古道跡も消えてしまったのではないだろうか。
舗装林道に出た。「白泰山線登山道入口」の看板。林道を横切ると、さらに下には、植林の中、栃本に続く踏み跡が続いている。これを下ると両面神社か。迷った。これを行かずに済む理由を探った。「どうせ古道のままではないのだから」が妥当か。何ということはない。単に、関所跡まで下ったとして、栃本広場までの標高差200mの登り返しが想像するだけで苦痛なだけのこと。
(ヘリポート)

(オブジェ展望台の中)

林道をそのまま下る。ネットで見ると、さっきの「登山道入口」付近に駐車して歩く方が多いようだ。傍らの標識には「林道栃本支線道路」とあり、「郵便局の簡易保険・年金保健融資施設」とある。ふ~ん、郵政ではこんなところまで支出していたのか。知らなかった。大方、地元選出の郵政族議員がらみだろうな。帰ってから調べると、まさにその邪推のままのようで、通勤途上でポスターをよく見かける議員氏関係のようだ。
右手にヘリポートがあった。その林道脇には車が4台置かれ、3人ほど、外にアウトドア用のイスを出して食事をしていた。今、気温は20℃近い。ぽかぽか陽気で気持ちもいいだろう。今朝見かけたオブジェ展望台の中を覗く。腰かけもあったが、床板が朽ちかけている感じで、体重をかけて歩くのははばかられる。
(ここの紅葉はもう終わりかけだ)

(駐車場に到着)

栃本広場の駐車場に着いた。置かれている車は朝のままのようだ。やはり十文字峠からゆっくり下山といったところだろうか。ふと、自分の車の足元を見て異変に気づいた。カップウドンを食べた後のゴミガラをそのまま車に入れると臭くもなるだろうからと、帰ってから片づけるつもりで、車の運転席の下にもぐらせて置いていた。その発泡容器だけがなくなっていた。ご丁寧に、スープの袋、割りばし、タバコの吸い殻はきちんと並べて置かれていた。容器にのみ用事があったようだ。タヌキかカラスがやったとしても、割りばしを並べて置いて去ることまではしまい。いったい、あの容器、何に使うのだろうか。
(付録)

(栃本関所跡)

汗をかいたので下着を含め、すべて取り替えた。風呂に寄って帰りたいところだが、休日のこの時間、混んでいるのはわかりきっている。そのまま帰ろう。途中、栃本関所だけでも見ておこうと、狭いスペースにぎりぎり車を置いたが、中には入れず、外からの眺めだけで終わった。その先の集落通過時、不安的中、東京ナンバーの対向車がやって来た。すれ違えない。関所跡までこちらが戻ればよかったのだが、先方の学生さん、助手席から連れが降り、しばらくバックしてくれた。結局は、民家の庭先に入り込んでの待機。今度、ここに来る時には軽で来た方がいいだろうな。
秩父市内が近づくと、車の流れがピタッと止まった。どこもかしこも混んでいる。紅葉狩り観光だろうか。有料道路に至っては、下り線が延々と動かない状態になっていた。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
栃本広場(6:50)……一里観音(8:13)……白泰山(9:36~9:44)……二里観音・白泰山避難小屋・のぞき岩(10:00~10:25)……林道(11:49)……栃本広場(12:30)
三連休といっても、出勤したり用事があったりで日曜日しか勝手もできないが、その日曜日も夕方には用事ができてしまった。持ち時間に余裕なし。先日、十文字峠に行き、今度は逆コースから歩いてみるつもりでいたが、これでは白泰山往復がせいぜいだろう。難がなければ赤沢山まで足を延ばせればいいところか。
白泰山、今回もいろいろとネットで調べた。身近なところでHIDEJIさんの2年前の記事か。未踏で終わってはいるが、腰すっぽりの残雪では致し方あるまい。この記事を拝見し、そろそろそちら方面も雪かと思って、気のあせりもあったが、今のところ雪の情報はない。まずは一安心だ。
話は逸れるが、栃本から十文字峠越えのルート、「秩父往還道」としているのがあるが、これは誤りでしょう。往還道は雁坂峠越えの甲斐入りが正式なルートで、十文字峠越えは強いて言えば秩父・信州往還道といったところではないだろうか。いずれとしても古道歩きであることは確かで、瀑泉さん同様に食指が動く範疇である。
先日の男山で、朝食をしっかりとれば、足も軽やかであることを体験した。前夜のうちから、県境を越えてすぐの妻沼にある吉野家で、牛ねぎ玉丼を食べる予定にしていた。朝食の定食では出るまでに時間もかかるが、牛丼系なら早かろう。ところが、4時に起き、4時半に吉野家に近づくと、早朝から牛丼を食える気分にはまったくなれず、まずは温かいブラックコーヒーを飲みたい。吉野家はパスして、コンビニでコーヒーとカップウドンを買った。
栃本広場なる立派な駐車場があることを知ったのは最近のこと。しかし、そこに至るまでが遠かった。140号線を折れた途端に集落の合い間の狭い道となり、対向車が来たらどうしようかとハラハラした。駐車場には7台くらい。これがハイカーの車だとしたら、古道歩きも大した人気だ。
まずは腹満たしのカップウドンに湯をそそぐ。その間、準備中の単独氏がやって来て、どこに行くかと問われた。彼はテント泊で十文字峠だそうだ。何ともうらやましい。後になって、彼がどのルートで戻って来るのか気になった。参考までに聞いておけばよかった。聞きに行こうとしたら、トイレに行ったようで姿が見えない。こちら、ウドンを食べて出発。
(まずは広場先の林道を歩く)

(このオブジェはネットで知っていた)

(その先で林道から離れるわけなのだが…)

地理感覚がよくわからないままに舗装林道の先に行く。しばらく行くと、ネットでよく見かけるオブジェ展望台を見かけた。この方向でいいようだ。その先に白泰山方面への標識があった。ここで早速のドジ。その先の踏み跡は不明瞭。後ろ方向に斜面に向かう踏み跡を見つけ、追ってみたらすぐに消滅。上の尾根に上がればいいだけのことだからと急斜面を登る。尾根に出た。ここまではHIDEJIさんの勘違いと似たり寄ったりのレベルだが、その先がいけない。方向感覚がおかしくなっていて、東西を勘違いして歩いてしまった。新しい作業小屋のようなところまでぜいぜいしながら行って、あれっと思いコンパスを出すと東に向かって歩いていた。地図を見ると1122m標高点の手前だ。改めて西に向かうが、これでは先が思いやられる。時間と体力のムダ使いをした。
(登りでは滑るが一本調子の尾根)

(ベンチがあったりする)

尾根上にしっかりした踏み跡はないが、一本尾根だし、大滝村の石標が続いていて間違えるところはない。ただ、落ち葉が堆積し、すこぶる歩きづらい。登りにかかるとやたらに滑る。しばらくはテープもリボンも山林関係のもの以外はなかった。下ったり、登ったりが続く。時たま木の階段も現れる。基本は左が植林、右が雑木になっている。右手に両神山らしき山容の山がちらちらと見えている。今日は幾分暖かいのか、すぐに汗をかきだした。
途中で標識を見かける。南からの破線路の合流点だろう。栃本広場を指す植林の中の方向にしっかりした道は見えていない。その先の1206.3mの三角点は気づかずに素通り。埼玉県の発行する案内板はかじられたのかなぶられたのか、端が欠けている。廃れかけたベンチも置かれていたりするが、このコース、かつてはハイキングコースだったのだろうが、今は歩くハイカーもまれなのではないだろうか。ザックから鈴を取り出して括り付ける。用心に越したことはない。
木の階段を下ると、斜めの道型が先に続いている。尾根を巻いている。ツキノワグマの説明版は当人らしきモノに倒されたのか、他にも解説板やらコース案内図が出てくるも、その標識の文字とイラストはほとんどが見えなくなっている。
(階段を下る)

(右手に両神山)

(合流点。踏み跡を直進すると古道に出る。古道を下って来るハイカーの姿がチラッと見えている)

スズタケの少々うるさいところに出た。そのヤブの中を踏み跡が左側につながっている。ということは、ここが南東からの破線路の合流点だろう。その破線路が古道のはず。帰路は、その古道をそのまま下るつもりでいる。単独氏が下りて来た。8時過ぎのこの時間だ。十文字峠からでは早過ぎる。白泰山避難小屋にでも泊まったのだろうか。そういえば、出発時のあの単独氏、自分が尾根筋を歩いている間に抜かれてしまったのだろうか。
(古道に出る)

ここから古道歩きとなった。今日の楽しみは、古道歩きと、一里観音と二里観音を見ることにある。白泰山は展望のきかない山のようだから、そのついでといったところだ。合流点にはベンチがある。なかなかしっかりした道ではないか。これまでとは違って、落ち葉の積もりはさらっとした感じで、この時期の陽だまりハイクにはもってこいの感じだが、この辺からピンクテープが出てくるようになる。道に目印を付けているようなもので、こんなところにも余程のマヌケがいるものだ。
(伐採地から南側の展望)

(一里観音が右の斜面下に。左手に踏み跡が分岐している)

(一里観音)

伐採地に出た。その区間だけ南側の展望が最高だ。あの真ん中のピークは和名倉山のようだが。とすると、手前に長く延びている尾根はヒルメシ尾根か。後ろには奥秩父の主脈。この伐採地のトラバース、いささか危ういところがある。木を伐ればやがてはこうなるの見本だ。いずれ踏み跡もなくなり、上を大きく巻かないと通過できなくなるかもしれない。
気持ちのよい歩きが続く。ほどなく一里観音。栃本関所から一里ということだ。この観音様には寄進者の名前が刻されているが、先日の五里観音とは違う名前だ。下に年代らしき字が見える。「五」の字の確認しかできなかった。観音像のスタイルは手を合わせた五里と同じ。ここの古い標識は杭しか残っておらずに粉砕されている。進行方向左下に踏み跡が続いている。どこに続くのかわからなかったが、後で調べると、その方向には水場案内の標識が置かれていたらしい。ということは、この踏み跡もまた古道ということになるか。
この古道、さっきまでは傾斜も緩やかだったが、次第に急になってくる。地図を見れば、尾根通しの破線路になっている。ところどころで巻いてもいる。江戸時代のままの古道ではないだろう。信州と秩父との間に、さほどの物資の輸送、交換があったとは思えない。一種の杣道のようなものではなかったのか。ただ、里標の観音様が置かれるくらいだから、それなりの通行もあったのであろう。あるいは、観音様の里標からして、善光寺参りに出向く人の通りになっていたのかもしれない。今のところ、幅広のしっかりした道になっている。ハイキング道としてさらに整備も加わってはいるのだろう。
(左手に白泰山。この先、左に回り込む歩きになる)

左手前方に白泰山らしき山が見えてくる。「これより国有林、…秩父山地緑の回廊…」の案内板を見かける。板は正面を向いているため、国有林が手前なのか、この先からなのかはわからない。さっきまでは東大演習林の看板が続いて置かれていた。いつも思うのだが、東大農学部の林業関係学科の学生が、秩父のいたるところにある演習林に来ることはあるのだろうか。だれかが整備をしているのではあるのだろうが。
(右側が古道。ここを直進して白泰山に向かった)

(スズタケがうるさい)

(白泰山山頂)

白泰山にさしかかる。古道は右手・北側を巻いて行く。途中から白泰山に這い上がるルートがあるのは知っていたが、末端のスズタケのヤブの中に踏み跡らしきものが見え、ここから取り付くことにする。
しばらく登って後悔した。踏み跡は消え、完全なスズタケのヤブ。近頃のスズタケはかつての勢いがなくなったとはいえ、跳ね返りはすごい。そのうちに古い倒木が出てきて、これがまた、木の本体を踏み抜くほどである。地形図を見ると、間もなく傾斜も緩くなるはずだ。しばしの辛抱か。
全身、真っ白になり、スズタケも消えたと思ったら引き続きだった。これまでよりは少しはましになり、スズタケが消えたところで白泰山の山頂に至った。ひんやりした暗い山頂だ。展望はまったくなし。公式に置かれたらしき山名板は「泰」の字しか残っていない。ポツンと三角点。写真を撮り、タバコを一本吸って、早々に立ち去る。
(下って古道に合流)

ここからの下り、基本は尾根伝いに北西方向なのだろうが、ちょっとばかり複雑っぽく、コンパスをセットして下る。いくつかテープも確認した。コンパスに合わせて下ったものの、誤った方向に行ったりしたため、テープには正直のところ助かった。樹間に赤沢山を確認。双耳になってはいるが、奥が赤沢山であろう。古道に合流。
あれっ、古道がすこしばかり雑になった気配がある。整備も白泰山までか。
(白泰山避難小屋と二里観音)

(二里観音)

ちょっと行くと、前方に小屋が見えた。あれが白泰山避難小屋だろう。小屋の手前に二里観音があった。この観音様のポーズはちょっと違う。手を合わせていない。読み取れる字は意味が通じない。小屋の中を覗いてみた。ストーブがあって、板敷きになっていて、こぎれいに片付いている。ネット情報では、暗い小屋と記されているが、明り取りは2か所にあった。開ければ何ら問題はない。近くに水場はないようだ。小屋の後ろの登り斜面には踏み跡がある。後で見てみよう。
(のぞき岩)

(のぞき岩からの眺め)

(赤沢山は双耳の奥のピークだろう)

小屋のすぐ先にのぞき岩。展望スポットになっている。下はスパッとなっているので、岩の手前の日なたで休んだ。昨夜からの長野の地震、強い余震があったら、岩の上にいたらやばいでしょう。奥秩父の主脈がよく見える。左から雁坂嶺、木賊山、甲武信ヶ岳、三宝山が何となくわかる。右には赤沢山、後ろにかすかに八ヶ岳。白くないなぁ。これからどうしようか。夕方の5時半までに足利の車屋に行かないといけないし、先に行くにはちょっと無理かなぁ(確かに、帰路の道路、紅葉狩りの車だろうか、秩父市内手前から花園ICまでの区間、どこも渋滞で、来る時よりも一時間以上余計にかかってしまい、5時半にはまったく間に合わなかったろう)。やめるとしよう。ここでゆっくりしよう。
歩き出しから3時間か。いつもなら、その間に菓子パンの一つでも食べるのだが、出発時のカップウドン以外何も口に含んでいない。ここで初めて水を一口。やはり今日は暑い。汗をかなりかいている。風がなくて幸いした。ここで風が流れていたら、汗ばんだ身体には寒いだろう。腹はまったく空いていないが、リンゴを1個、景色を眺めながら丸かじりする。これで満足だ。周りの木の切り株を見ると「ようこそ!さあ特上の席へ」などと、マジックで記されている。さて、いずれ歩かないといけない、これから先の区間の攻略はどうしようか。できれば埼玉側から入りたい。昭文社マップを広げる。中津川林道、大山沢林道がある。破線ながらもタツマノ尾根、シャクナゲ尾根というのもある。帰ってから調べよう。日帰りは無理だろうからテントを背負うか、避難小屋か。
(シャクナゲ尾根方面)

小屋に戻り、後ろの踏み跡を辿ってみた。赤文字の標識。「中津川下山口」と記されている。その先のドラム缶には「通行不能」「行止」の文字。落ちている標識には「●分岐まで4●5●」とあった。おそらくはシャクナゲ尾根方向のことだろう。えらく気になり出した。マップを広げると、このシャクナゲ尾根、槍ヶ岳に向かっている尾根のようだ(別に槍ヶ岳を経由せずとも、タツマツ尾根に乗り換えして中津川に下るようだが)。あの岩峰の槍ヶ岳、このルートですんなりと行けるのだろうか。尾根はここから下り気味になっていて、倒木が目に付いた。
(岩にタコ足のようにからみついている。木は上で折れている)

(白泰山への標識)

下る。すぐに、朝の単独氏が登って来た。ザックが重そうで、やはり遅くなったか。抱いていた疑問を確認した。帰路はこの道を下るそうだ。もしかしたら入川林道に出るのかと思っていた。
白泰山の巻き道を下った。倒木があったりで歩きづらい。「白泰山→」の標識があった。見上げると、しっかりした踏み跡には見えない。上に尾根が見えていて、自分が無理やりに登った尾根の、傾斜が緩くなったところに出るようだ。
(古道を戻る)

(こんなのを見かけたが、中には落ち葉があるだけだった)

(伐採地にさしかかる。道そのものが斜面になっている)

白泰山の尾根末端を過ぎると、左手にフェンスが見えた。行ってみると、何やら、電卓みたいな機器が据えられ、「ニホンジカの生息状況調査」とあった。そういえば、この辺は鳥獣保護区なのか、ハンターの姿も見ないし、乾いた破裂音も耳にしない。
その後、ずっとだれにも会わなかった。少なくとも、栃本広場に置かれた車は、白泰山に向かうハイカーの方々のものではなかったようだ。だが、前日、十文字峠に行ったとしても、出会ったハイカーがお一人とは、また別の目的からだろうか。その先にある大峰という山が人気の山とも思えない。
下りは、古道をそのままに両面神社を経由して栃本関所跡に出るつもりでいた。栃本平の分岐(自分が登って来た尾根筋のコース)をそのまま栃本方面に下った。この分岐まで、下り一辺倒であった。登り時には気づかなかったが、意外なほどの登りが続いていたようだ。
(分岐から先、いい感じの歩きだったが…)

(植林の中に入ってしまった)

(そして林道に)

檜の植林を通過し、いい感じの雑木の疎林の中の歩きになる。この辺の風景は、足尾の舟石新道の風情に似ているところがある。炭焼き跡も見かける。しかし、気分がよかったのも束の間で、やがて植林の中のクネクネ道になった。古道が活気づいていた頃、周囲が植林ということはあるまい。この辺は古道跡も消えてしまったのではないだろうか。
舗装林道に出た。「白泰山線登山道入口」の看板。林道を横切ると、さらに下には、植林の中、栃本に続く踏み跡が続いている。これを下ると両面神社か。迷った。これを行かずに済む理由を探った。「どうせ古道のままではないのだから」が妥当か。何ということはない。単に、関所跡まで下ったとして、栃本広場までの標高差200mの登り返しが想像するだけで苦痛なだけのこと。
(ヘリポート)

(オブジェ展望台の中)

林道をそのまま下る。ネットで見ると、さっきの「登山道入口」付近に駐車して歩く方が多いようだ。傍らの標識には「林道栃本支線道路」とあり、「郵便局の簡易保険・年金保健融資施設」とある。ふ~ん、郵政ではこんなところまで支出していたのか。知らなかった。大方、地元選出の郵政族議員がらみだろうな。帰ってから調べると、まさにその邪推のままのようで、通勤途上でポスターをよく見かける議員氏関係のようだ。
右手にヘリポートがあった。その林道脇には車が4台置かれ、3人ほど、外にアウトドア用のイスを出して食事をしていた。今、気温は20℃近い。ぽかぽか陽気で気持ちもいいだろう。今朝見かけたオブジェ展望台の中を覗く。腰かけもあったが、床板が朽ちかけている感じで、体重をかけて歩くのははばかられる。
(ここの紅葉はもう終わりかけだ)

(駐車場に到着)

栃本広場の駐車場に着いた。置かれている車は朝のままのようだ。やはり十文字峠からゆっくり下山といったところだろうか。ふと、自分の車の足元を見て異変に気づいた。カップウドンを食べた後のゴミガラをそのまま車に入れると臭くもなるだろうからと、帰ってから片づけるつもりで、車の運転席の下にもぐらせて置いていた。その発泡容器だけがなくなっていた。ご丁寧に、スープの袋、割りばし、タバコの吸い殻はきちんと並べて置かれていた。容器にのみ用事があったようだ。タヌキかカラスがやったとしても、割りばしを並べて置いて去ることまではしまい。いったい、あの容器、何に使うのだろうか。
(付録)

(栃本関所跡)

汗をかいたので下着を含め、すべて取り替えた。風呂に寄って帰りたいところだが、休日のこの時間、混んでいるのはわかりきっている。そのまま帰ろう。途中、栃本関所だけでも見ておこうと、狭いスペースにぎりぎり車を置いたが、中には入れず、外からの眺めだけで終わった。その先の集落通過時、不安的中、東京ナンバーの対向車がやって来た。すれ違えない。関所跡までこちらが戻ればよかったのだが、先方の学生さん、助手席から連れが降り、しばらくバックしてくれた。結局は、民家の庭先に入り込んでの待機。今度、ここに来る時には軽で来た方がいいだろうな。
秩父市内が近づくと、車の流れがピタッと止まった。どこもかしこも混んでいる。紅葉狩り観光だろうか。有料道路に至っては、下り線が延々と動かない状態になっていた。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
白泰山、お疲れ様です。先を越されてしまいました。たそがれさんの甲武信ヶ岳の記事を拝見して、白泰山が気になり、今回の記事でさらに気になりました(^_^;)
当時、白泰山の撤退を決めてその戻り道で、たそがれさんが古道の巻き道ではなく尾根を直進されたところで、再度、尾根道から白泰山を目指すかどうか5分程悩んだことを覚えています。
尾根道の方が雪は少ないだろうとは思いましたが、結局諦めました。
私は密かにタツマノ尾根、シャクナゲ尾根ルートで、白泰山と赤沢山を狙っております。
それとあのエリアでは鎌倉沢橋から南天山経由で滝沢山か、あるいは鎌倉沢橋から松尾尾根を経由しての三国山の日帰りも狙っております。いずれもロングコースになりそうですが、雪が積もり出す前に行ってみたいと思います。
例の「西上州の山」買っていただいたんですね。
ありがとうございます。
興味を持たれるのでは思っておりました^_^
「薮岩魂」という本もありますが、私には難易度が高過ぎてあまり参考になりません。これからの時期は、「西上州の山」を参考に西上州も進出したいと思います。
HIDEJIさんの過去記事を拝見しなかったら、今回の白泰山歩きはなかったと思います。ありがとうございます。
HIDEJIさんが撤退された北側からのルート、おそらくは、陽もあたることはないところでしょう。積雪の時期では仕方もないでしょうね。
ただ、私の取り付きもまたスズタケでしばらくはうっとうしいですよ。積雪期ならさらに苦戦するかも。いずれにせよ、苦労して登るほどの山ではないようです。
HIDEJIさんの「密かに」ルート、いずれも興味が出ております。手ごわいようですね。どのコースを年内に歩かれるか気になりますが、日数もあまりないようで。楽しみにしております。
「西上州の山」ご紹介ありがとうございます。ボチボチ読んではおりますが、これで、西上州の山の食わず嫌いなところが少しでも解消されればと思っておるのですが。
秩父の山はさっぱりわからないのですが、1/25000の地図を見ると栃本関跡付近はだいぶごちゃごちゃと道があるんですね。
車で通るにも今ではバイパスばかりなので旧R140秩父往還道や秩父街道を利用したのは30年以上も前の話です(^^;)
モダンとは?相変わらずのヤボですわ。
でんさんが秩父の山はさっぱり…とおっしゃっても、雁坂トンネルルートを歩かれるなど、それなりの見識をお持ちではないでしょうか。
私、栃本なんてところに行ったのは初めてですよ。その先の川又にも行ったことはありません。トンネル利用で2回ほど通過しただけです。
三峰口から先は地理感覚も一層乏しくなります。
国道から離れると、確かに道がごちゃごちゃしていますね。そして、失礼ながら、ここに住んでいる人たち、買い物なんかどうすんだろう、雪が降ったらどうすんだろう、といった疑問ばかりが残りました。
十文字峠は、ちょうど40年前に越えた事があります。だいぶ様子が変わっており、驚きましたです。
当時は、これほど広い道ではありませんでした。途中に林道もオブジェもヘリポートもありませんでした。
十文字小屋の山中邦治さんは、「ここには熊は居ないよ。居るのは白石山(和名倉山)だよ」と言っておられたのを良く覚えております。景観は変わりましたが、むしろ現在の方が動物たちが増えている感じも変わった点でしょうか。
栃本に山中姓が多いようですが、長野県側の梓山バス停の前にも「山中百貨店」というヨロズ屋さんがありまして(今もあるのかは知りませんが)、ここでよく食糧を調達しておりました。大昔、意外と通行が多かったのかなぁ~と、想像しておりました。
下の道、真の沢林道が廃道になったのも変わった点です。稀に通行する人がいるようですが、レベルが高過ぎて足がむきません。秩父繋がりで、たそがれさんあたりが歩かないかなぁ~などと、秘かに思う今日この頃です。
自分なんて今週の連日の出張が辛くて,近場でお茶を濁してしまいましたヨ。
ところで,栃本から十文字峠に続く,秩父・信州往還道(正式名称は定かでは無いとしながらも,そう紹介されているHPもある)ですか,道すがら観音様が置かれていていたり,必ずしも尾根を忠実に辿るわけでもないところが,いかにも古道といった雰囲気で興味をそそられますヨ。
奥秩父は,全く手付かずですが,歩きたいリストに追加させていただきます。
ところで,栃本から十文字峠まで,この古道の距離は,どのくらいあるんでしょうか?
前回白泰山の話が出たと思ったら速攻で栃本から行かれたのですね。
相変わらずの行動力に脱帽ですよ。
十文字峠と幕営・・・いいですね。
自分はやろうと思えばやれる環境にはあるのですが、なかなか実践出来ません。
そうこうしているうちに冬になってしまいます。
今回の3連休も七五三のお祝いとゴルフの合間を縫って何とか里山歩きが出来たといったとろこです。
ぶなじろうさん、この辺、お詳しいですね。40年前ですか。
やはり、ハイキング道として整備したのでしょうね。帰ってから、二里観音から先、道の具合はどうなのかと調べたら、やはり、しっかりした道になっているようです。ということは、白泰山の北側の巻き道あたりだけが当時のままということでしょうか。
クマはかなりいるのではと思いました。標識はかなりやられています。「白泰山」の標識も「泰」の字だけが残っていましたが、最近まで3文字しっかりとあったようです。
山中百貨店ですか。先日、梓山のバス停前の白木屋という旅館に泊まったのですが、その近所なのでしょうが、商店らしきものは見あたりませんでしたよ。
真の沢林道経由はかなり厳しいですね。第一、2001年版昭文社マップにすら、林道の表記しか残っていず、周囲に赤い線はないではないですか。だれかが歩いた記録を眺めるだけにとどめておきます。
想像する瀑泉さんのお住まいからに比べたら、こちらは秩父へのアクセスは割りと近いですよ。ただ、今回の栃本あたりになると番外の距離ですが。
瀑泉さんはご出張続きですか。次第に雪もちらつく時期、何とももったいないところです。
今回の古道、想像以上に整備されていましたね。かじられた標識だらけでしたが。
その意味では、瀑泉さんには物足りないかもですね。何せ、ルートファインディングがありません。この先の様子はしかとはわかりませんけどね。
十文字峠は四里観音と五里観音の間にあります。関所跡から18kmくらいといったところではないでしょうか。長いながらも整備され、静か、おまけにその間に避難小屋2つ。となると、泊りがけノンビリが最高でしょう。