たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

城峯山(北武蔵)。人様と違った歩きを目論んだら、時間に追われてしんどいことに。【その1】

2017年03月13日 | 奥武蔵の山
◎2017年3月11日(土)

長瀞町役場駐車場(7:11)……出牛峠(8:01)……平沢峠(9:13)……横隈山(9:37)……平沢峠(9:53)……住居野峠(10:12)……尾根取り付き(10:36)……風早峠(11:57)……778.7m三角点(12:19)……奈良尾峠(12:52)……鐘掛城跡・1003m(13:49)……石間峠(14:02)……城峯山(14:15~14:24)……石間峠(14:29)……西門平バス停(15:34)──(バス15:54)──皆野駅(16:28)

【その1】
 城峯山は、奥武蔵の山を歩く都度、その姿を眺めてはいずれ行かなきゃなと思っていた山だが、地図を見ると、群馬県寄りの神川町と皆野町が接するところにあって、地理的には奥武蔵というよりも、最近よく目に入る北武蔵なるエリアに含まれる山のようだ。
 ネットでいくつかの記事を拝見すると、山頂近くまで車で乗り入れるHIDEJIさんのあっさりルートもあれば、ハイトスさんのような石間交流学習館からの歩きごたえのありそそうな周回ルートもある。やはり人気の山のようで、他にもいろんなコースがあった。
 当初は、そのハイトスさんルートで歩くつもりでいたが、これに何か付加できないものかと地図を見ていると、横隈山(「よこがいさん」と読む)が目に入った。この山もまた歩くつもりでいた山だが、両方一遍に歩けないものだろうか。地図の上では簡単だ。皆野町と神川町の町境尾根を歩けばいいだけのこと。
 ネットで調べると、横隈山と城峯山を通しで歩いた記事があった。ただ、この方は、住居野峠と風早峠の間は町境から離れ、西側の車道をずっと歩いている。何で尾根を歩かないのか。どうも、町境をまたいでいる砕石場らしきものがネックになって、町境尾根はすんなりと歩けないらしい。だが、砕石場エリアだけを避ければ、どこからでも尾根に復帰できるはずかと思うが。
 ということで、今回は、横隈山から町境尾根を通って城峯山に至るということをメインに置いて歩いてみたが、やはり肝心の砕石場付近でかなり手こずることになろうとは、この時点では予想もしていない。
 帰路はちょっとばかりきつい歩きになるかもしれないが、城峯山からは破風山経由で皆野駅に出てもいいかなと思った。無理のようなら、城峯山登山口の西門平からバスで皆野駅へ。ちなみに、バスの最終は15時54分。その前は13時49分。これは無理だろう。

(県道13号線)


(ここは右に入る)


(ゴルフ場方面から分かれて)


 一日310円の野上駅に駐車するつもりでいたが、無料で済む長瀞町役場に駐車する。帰りは電車で野上駅まで来ることになろうし、駅から歩いてせいぜい5分ほどだ。
 140号線を少し熊谷方向に戻り路地を左に入る。すぐに田園風景になって県道に出た。この県道、13号前橋長瀞線となっている。おそらく本庄経由で前橋に出るのだろう。交通量は多く、大型車両の通行が目立つ。
 長瀞ゴルフ倶楽部の看板を見て右折。車道が急に静かになった。登り気味の車道をしばらく行くと、ゴルフ場を右に分けて直進。ここからは山道っぽくなる。間もなく右に大きな堰堤。軽なら通れなくもない道が続いている。

(ここをずっと行くと)


(遺物化した石門が現れる)


 右に「長瀞高原ビレッチ」と記された石門が現れ、ここで道は分岐する。本道は右手ビレッチ方向だが、かなり荒れている。石門にも草が絡みついている。何の施設だったのかは知らないが、ちょっと様子見で右手に入ってみる。目的は別のところにある。ハイカーの姿は見えず、横隈山に登るのは自分一人だけだろうが、念のため。荒れて人も入らないようなら都合が良い。

(ごちゃごちゃした感じ)


(出牛峠から反対側に下る)


 石門に戻って歩きを続行。道は細くなりハイキング道になった。秩父鉄道主催のハイキングコースになっているのか、足元注意の張り紙がある。気分の良い道だが、周囲の雰囲気は倒木も含めて雑然としていてあまりよろしくない。部分的に竹林の中の歩きになったりする。ロープを張ったところもある。
 石門から15分ほどの歩きで車道に出た。出牛峠(じうしとうげ)らしい。峠らしくないところで、GPSを見ると、今、破線路の北側にいる。峠は南側にあるのかと車道を歩いてみたが、峠のような感じのところはなかった。この先もずっとそうだが、峠の名前の付くところは大方車道に接した場所になっていて、峠の風情はなくなっている。出牛峠は、ここから車道を挟んで下りになるから峠ではあるのだろう。ここに古い標識があって、来た方向には野上、車道北方向に陣見山となっている。

(道標)


(こちら側は比較的に歩きやすい)


(梅を見て)


(寺の前で)


 下るとすぐに「天盃拝受記念 大正六年」と記された道標。「左山道」は道型にはなっているが倒木でふさがれている。来た方向には「野上樋口道」。下って行くとのどかな風景の中に小規模の梅林、神社があって、出牛地区に入ると、寺の前で車道に出た。この車道は先ほどの前橋長瀞線だ。

(本庄市に入っている)


 車道を北に向かうと本庄市に入った。以前は児玉町だったはず。横隈山山行のネット記事を読むと、必ず「いろは橋」というのが出てくる。そこを左折して市道に入るということらしいが、自分はこのいろは橋には覚えがない。おそらく、左に光福寺が見えたので、そちらに入ってショートカットしたためだろうが、その時の小川に架かった橋は大門橋だった。

(ショートカットしてみたが)


(横隈山)


 市道を歩いていると汗が出てきた。風はなく、むしろ暖かい。ここで手袋と帽子を脱いで汗を拭う。市道は上りの傾斜になっている。走る車はないが、車道歩きは退屈にもなるので、途中で脇道のような荒れた道が見え、そこに入り込むと、あっけなく元の車道に出てしまった。
 右手に横隈山が見えてくる。ここからでは裏山といった感じの特徴のある山ではない。わざわざハイキングコースを行かずとも、その辺から適当に取り付けるのではないかと思ったが、この辺、民家が高いところに建っていたり、畑が上まで続いていたり、まして逃げ込める植林もない。ハイキングコースを歩くしかないようだ。

(市道の終点)


(ようやく標識が出てくる)


(ここもまた荒れ気味)


 ロウバイを見て市道の終点。ここで横隈山の標識が初めて出てくる。8時51分。スタートの役場から1時間40分。ステンレス製のタンクのようなものがあり、その脇に腰をおろして菓子パンを食べる。典型的な里山ハイクの風情になっている。横隈山だけのハイクの場合、下りでは平沢峠を突っ切り、住居野峠から更木に下る方がほとんどのようだ。
 植林の中の歩きになった。ここもまた周囲は間伐放置の状態になってはいるが、ハイキング道そのものはしっかりして、標識類もまたうるさいくらいに整備されている。これでは間違いようもなく横隈山に行けるだろう。そういえば、手持ちの2008年版の『山と高原地図』には、「山慣れた人向きコース」と記されていながらも実線ルートになっている。自分には、この先も下りも含めて初心者問題なしコースにしか思えなかった。

(平沢峠)


(古い道標)


 平沢峠に到着。平沢峠の道標があるわけではないが、ここの道標に、マジックで「ここは平沢峠」と書かれている。ここに「立太子記念」と刻された古い道標があるが、年代が不明で、昭和天皇か大正天皇なのかは不明。
 ここのハイキングコース、東電の巡視路になっている。ポールには「新岡部線」。この新岡部線は帰路の最後まで続いていた。それだけに踏み跡は明瞭だ。

(ありふれたハイキングコース)


(自然林の中は気持ちもいいが、考えてみれば、今日はここだけだったかも)


 植林から自然林になって、また植林が交じる。特別に急なところはない。地図にもわかるように、未舗装、舗装の車道が3か所ほどでクロスする。気分はよろしくないが、そういう山域だと思えばさほどの落胆もない。

(山頂の稜線に出た)


(鬼石、藤岡方面)


(雨降山のようだ)


 横隈山の稜線に出ると、冷たい風がビュービュー吹いていた。これ、赤城おろしだろうか。手袋を付け、帽子をかぶりなおす。神様の名前を刻んだ石碑がいくつかある。武尊と御嶽は読めるが、もう一基は割れている。西側が展望地になっていて、寒かったが眺めた。下はゴルフ場だがその先に群馬の藤岡の街並み。バックにはうっすらと群馬の山々。北西に双耳のように見えている山は御荷鉾山だろうか(この時はそう思ったが、後で城峯山頂から撮った写真を見ると藤岡の雨降山のようだ)。

(山頂の途中にも一基)


(ここは感じが良かった)


(横隈山山頂)


 御嶽大神の碑を見て山頂に向かう。山頂はぽっかりと開けているが、展望は先ほどのところが良い。あるのは三角点と山名標識。一服してセルフを撮ってさっさと下る。何せ寒い。
 平沢峠まで10分程度の下りだったが、随分と長く感じた。道を間違ったかなとGPSで確認までした。周囲を見ないで登って来たから不安にもなる。

(鉄塔から)


 平沢峠からすぐに鉄塔。ここから城峯山が見えた。城峯山の山頂には電波塔があるので遠くからでも識別できる。やけに遠く感じる。そして右手に神流湖も見えてくる。しかし、この辺、「神」の字がつく地名が多過ぎやしないか。神川町、神泉村、神流湖、神流湖の南に神山、その昔、横隈山も城峯山も神山と呼ばれていたらしい。

(こんなところの歩きがこの先もずっと続く)


(491.4m三角点)


 504m標高点を下って登ると、ハイキングコースからちょっと外れたところに491.4m三角点。ここの三角点標はストーンサークルのように丸っこい石で囲まれている。ここで軽く日向ぼっこ。横隈山の稜線は寒かったが、下れば風がやむと思っていたら、依然として冷たい風になってしまっている。

 横隈山を終えたばかりで、今日の行程はまだまだ序盤戦だが、ここの尾根道、随分とアップダウンが続いていて、ちっとも標高を稼げない。この先も、登り上げた分下るを繰り返す。これでは城峯山への登り返しがきついのではないか。今のところはいいが、そのうちに必ずバテ始める。不安が頭をもたげている。

(ここは尾根を行かずとも右の林道を行くのが正解か)


(住居野峠に着く)


 次の鉄塔を通過。その先、右に林道が見えた。おかしなところに行ってはと、そのまま尾根伝いに行ったら、結局は、この林道が回りこんでいて、林道に下ることになる。ここが住居野峠(すもうのとうげ)のようだ。林道は更木線というらしい。
 林道はここでカーブしている。左が更木(ばらき)、皆野に向かう。直進方向は、標識には矢納(Yano)となっているが、この直進方向に開いたゲートがあり、ここに「これより先は砕石場…立入を固くお断りします」と書かれた看板があった。ここまで来て、スゴスゴと予定変更いうわけにも行かない。まして、地図ではこの林道は先で分岐して、一方向だけ砕石場に向かっている。
(【その2】に続く)

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

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