
◎2006年10月14日(土)―1人
剱には先週の三連休に行く予定でいたのだが、北陸だけは天候が悪くて断念し、次の予定でいた馴染みの日光に方向転換してシゲト、三俣山にでも行こうかと出かけ、赤沼の駐車場で目覚めたら、冷たい雨が降っていた。日光に車中泊に行ったようなもの。結局、三連休の山行は無し。案の定、北アルプスでは遭難が相次いでいた。ガイドを雇ってまで山歩きを楽しもうとして、仲間に死者が出るような始末では世話の無い話。剱も積雪があったのだろうが、ネットでどこを調べても状況は分からない。ダメで元々と出かけてみた。富山までのアプローチは長いから、前日は消えかかる寸前の代休をとって昼に出かけた。犬の散歩、子供の学校送り、掃除、洗濯と、自分のやるべきことはやった後だから、後ろめたいことはない。
剱岳は実は今回で3度目。過去2回いずれも頂上をきわめていない。1回目は12年前。「あさひ山の会」なるものを創り、記憶も定かでは無いが、7~8人で出かけた。立山を経由して剣山荘泊。翌日は快晴と期待したものの、雨。ほとんどの宿泊客は合羽を着て出かけたが、我々、根性無しは「雨じゃやめよう」ということに。みんな二日酔いで、適当な理由を見つけたかっただけのこと。2回目は3年前。木といっしょだった。この時は馬場島から入ったのだが、2人ともに疲れがたたって、早月小屋でUターン。だらしのない話。小屋に泊まればよかったのだが、日帰り予定でいたから、泊まる準備もしていない。泊まったところで、あの遠くにそびえる剱は、この状態では明日も無理じゃないか、といったところが本音のところ。小屋まで5時間もかかっていたし、団体さんにもぬかれていた。
馬場島までは5時間かかった。18時着。今日は車中泊の予定。まだ薄暗かったから、一応、登山口を確認。明日はヘッドランプだから、確認しておかないと、出だしから迷ってしまう。夕餉の準備をするが、缶ビールと焼酎のお湯割り、つまみはおでん。フィニッシュはウドンといったつましい食事。ラジオをつけても雑音だけ。川音しか聞こえない。テントが一張。駐車場には5台。馬場島荘宿泊客だろう。早月小屋も閉まったから登山者は物好きな部類だろう。酔ううちにテントで寝たくなった。車にはいつも積んであるから、出して広げた。買って初めて使うモンベルのステラリッジⅡ型。冬用のシュラフに転がり、居心地は結構良い。
酔っても、一人じゃやることも話すことも無い。馬場島荘の客が酔っぱらって散歩にやって来て、暇つぶしの相手をしてやったが長くは続かない。8時には寝た。目覚ましは4時にセットしてあったが、1時過ぎに一旦目覚める。この間、熟睡出来たようだ。あとは夢見がちなウツラウツラが続く。思い切って3時半に起き出し、テントを撤収。車が2台増えていた。
4時15分出発。いきなり登山道を間違えてしまう。ヘッドランプだから全体が見えない。「登山口」表示の脇にある幅広の道をしばらく行ったら行き止まり。また戻る。そしてまた行き止まり。よく見ると、表示の裏に正式な登山道があった。今までの山行でもよくあるパターン。
急な登りが続く。下を見ると、ヘッドランプの明かりが一つ続いて来る。いずれ追い越されるだろう。ヘッドランプを点けて登ったのはこれで3度目。赤城黒桧の越年山行以来。5時45分くらいから幾分明るくなったので消灯するが、本当に真っ暗だった。歩きなれた場所ではないので薄気味の悪いものだ。フクロウだかミミズクの鳴き声が聞こえていた。
1600m表示を過ぎてから(5時55分)、ようやく山並みが望まれるが、天気は良さそうだ。紅葉もここまでくるときれいに広がっている。1800m過ぎ(6時25分)から展望もかなり開け、北アルプスの山並みが見渡せる。上部には雪が付いているが、中腹から裾にかけては雪がまだ積もってはいない。しかしながら、この登山ルートは登り一辺倒。緩やかな部分はあったが、それも束の間。かなりきつい。歩いては休み、水を飲むの繰り返しになってきた。かなり大きな石英が道に露出していたが、さすが掘り出して持っていけるような代物ではない。破片が散乱しているが、ここらでは石英が採れるのだろうか。風に乗って硫黄の臭いもするから、やはり剱周辺は火山帯なのだろう。
7時42分、早月小屋に到着。小屋は閉ざされ、周囲には人の気配が無い。後続のヘッドランプの人には結局追いつかれなかった。ここまで3時間半弱。まっ、こんなものだろうか。5時間の熟睡が無かったら、もっとかかっていたかもしれない。剱が見えた。やはり雪を冠っているが、どの程度までかは分からない。ここまでは雪は無かった。立山から大日岳にかけては真っ白。フリースを着てきたが、汗でびっしょり。脱いだ。気温は8℃。
ここから先は取りあえず行けるところまで行ってみよう。もしかすると山頂まで行けるかもしれない、なんて甘い考えも少しはあった。装備は用心のために用意した6本爪のアイゼンだけ。ストックも一応は持っていたが、ずっとザックに結わえ付けてある。稜線の岩場から雪が出てきた。この雪が固い。赤ペンキの2450m表示を過ぎてから、アイゼンを着用。雪はかなり固くなってきて、直登はそれなりに楽だが、トラバースが不安定になる。2614m峰の直下はアイスバーン状態になっていた。積雪そのものは30cm程度なのだが、下部が厚く凍り付いている。ある程度の登りは爪を引っかけながら進むから問題は無いのだが、次第に不安になってきた。下りはどうすんのだろう。6本爪では役立たず。前後に爪が無いから、つま先やかかとから着地が出来ない。靴の中心部を雪面に当てて降下するしか無い。危険な歩きであることは確実。もう先に進むのはやめよう。危険度が累積していくだけ。2614m峰はすぐそこに見えるのだが。
ストックの先を出して雪面に当ててみたものの、アイスバーン状態だからはじき返される。ささらない。こんなもの持って下っていたのでは危ないから、またザックに収めた。急な斜面だけあって、ロープが結わえてあるのだが、このロープが雪の下に入り込み、引っ張っても出てこない。下が固まっている。致し方なく、周りの枝につかまりながら、登った格好でゆっくりと降下。下は谷になっていて、ヘタすれば滑落。枝があるうちはいいが、無いところは、石や氷、草につかまって降りた。安全圏に戻るまで、こんな冷や汗エリアが2か所あった。しみじみとバカなことをしたもんだと思った。ここから先はアマの領域じゃないね。山でこんな冷や汗をかいたのは、もう16年前になろうか、平が岳で熊に遭遇して以来だ。
命拾いした感じで早月小屋に戻る。途中、2人に出会う。一人はピッケルを持った関西弁の青年。背中にはヘルメット。12本爪アイゼンは持っているという。あの装備なら先ず大丈夫だろう。オレとは雲泥の差。どう見ても、雪山をなめ切った自分の装備は情けない。続いて会った京都言葉の中年。ダブルストックで歩いて来る。アイゼンは持っていないと言う。「行けるところまで行きますわ」なんて言っていたが、アイスバーンのことを話したら、「そのうち、雪がやわらかくなりますわ」だって。陽の当たらない北向き斜面の雪が溶けだす来年の夏まで根気よく待っている気でいるらしい。やはり京都のお公家さんはおっとりして気が長い。オレのような関東モンから意見を言われるのがイヤなのだろう。
小屋に着いた。往復2時間半。すごい体験をしたものだ。こんな危ないことはもうやめよう。テントが一張り。さっきの青年のものだ。オジさんが一人休憩している。小屋までは来たけど、山頂を見て、登頂はあきらめ、もう帰るところとのこと。これが正解。すごい勢いで下って行った。
小屋前でリンゴを食べて一服し下る。長い急な下りが続く。ゆっくりと紅葉を見ながら歩いて行く。1000m付近で上下トレパンスタイルのオジさんが登ってきた。寡黙な感じだったので、話しかけはしないが、もう11時過ぎなのに、これからどうするのだろうか。テントを持っている様子はないし、小屋が営業中とでも思っているのだろうか。
もう少しで登山口という辺り。3人の年寄りが真っ赤なモミジの大きな枝を肩にかけて歩いている。ひどいことをするものだ。木だったら必ず文句を言うだろう。オレは思っても言えない。
13時着。小屋からの下りに2時間半もかけてしまった。汗を流したいが適当な風呂屋がない。馬場島荘ではてっきり風呂を使えると思っていたのだが、看板にはそんなことは何も書かれていない。「宿泊」「食事」しか表記されていない。そもそも「馬場島荘」という名称の看板が無い。これが馬場島荘とばかり思いこんでいるだけのことだろうか。帰り道に風呂屋は無かった。今日の冷や汗は自宅の風呂で流すしかないか。
剱には先週の三連休に行く予定でいたのだが、北陸だけは天候が悪くて断念し、次の予定でいた馴染みの日光に方向転換してシゲト、三俣山にでも行こうかと出かけ、赤沼の駐車場で目覚めたら、冷たい雨が降っていた。日光に車中泊に行ったようなもの。結局、三連休の山行は無し。案の定、北アルプスでは遭難が相次いでいた。ガイドを雇ってまで山歩きを楽しもうとして、仲間に死者が出るような始末では世話の無い話。剱も積雪があったのだろうが、ネットでどこを調べても状況は分からない。ダメで元々と出かけてみた。富山までのアプローチは長いから、前日は消えかかる寸前の代休をとって昼に出かけた。犬の散歩、子供の学校送り、掃除、洗濯と、自分のやるべきことはやった後だから、後ろめたいことはない。
剱岳は実は今回で3度目。過去2回いずれも頂上をきわめていない。1回目は12年前。「あさひ山の会」なるものを創り、記憶も定かでは無いが、7~8人で出かけた。立山を経由して剣山荘泊。翌日は快晴と期待したものの、雨。ほとんどの宿泊客は合羽を着て出かけたが、我々、根性無しは「雨じゃやめよう」ということに。みんな二日酔いで、適当な理由を見つけたかっただけのこと。2回目は3年前。木といっしょだった。この時は馬場島から入ったのだが、2人ともに疲れがたたって、早月小屋でUターン。だらしのない話。小屋に泊まればよかったのだが、日帰り予定でいたから、泊まる準備もしていない。泊まったところで、あの遠くにそびえる剱は、この状態では明日も無理じゃないか、といったところが本音のところ。小屋まで5時間もかかっていたし、団体さんにもぬかれていた。
馬場島までは5時間かかった。18時着。今日は車中泊の予定。まだ薄暗かったから、一応、登山口を確認。明日はヘッドランプだから、確認しておかないと、出だしから迷ってしまう。夕餉の準備をするが、缶ビールと焼酎のお湯割り、つまみはおでん。フィニッシュはウドンといったつましい食事。ラジオをつけても雑音だけ。川音しか聞こえない。テントが一張。駐車場には5台。馬場島荘宿泊客だろう。早月小屋も閉まったから登山者は物好きな部類だろう。酔ううちにテントで寝たくなった。車にはいつも積んであるから、出して広げた。買って初めて使うモンベルのステラリッジⅡ型。冬用のシュラフに転がり、居心地は結構良い。
酔っても、一人じゃやることも話すことも無い。馬場島荘の客が酔っぱらって散歩にやって来て、暇つぶしの相手をしてやったが長くは続かない。8時には寝た。目覚ましは4時にセットしてあったが、1時過ぎに一旦目覚める。この間、熟睡出来たようだ。あとは夢見がちなウツラウツラが続く。思い切って3時半に起き出し、テントを撤収。車が2台増えていた。
4時15分出発。いきなり登山道を間違えてしまう。ヘッドランプだから全体が見えない。「登山口」表示の脇にある幅広の道をしばらく行ったら行き止まり。また戻る。そしてまた行き止まり。よく見ると、表示の裏に正式な登山道があった。今までの山行でもよくあるパターン。
急な登りが続く。下を見ると、ヘッドランプの明かりが一つ続いて来る。いずれ追い越されるだろう。ヘッドランプを点けて登ったのはこれで3度目。赤城黒桧の越年山行以来。5時45分くらいから幾分明るくなったので消灯するが、本当に真っ暗だった。歩きなれた場所ではないので薄気味の悪いものだ。フクロウだかミミズクの鳴き声が聞こえていた。
1600m表示を過ぎてから(5時55分)、ようやく山並みが望まれるが、天気は良さそうだ。紅葉もここまでくるときれいに広がっている。1800m過ぎ(6時25分)から展望もかなり開け、北アルプスの山並みが見渡せる。上部には雪が付いているが、中腹から裾にかけては雪がまだ積もってはいない。しかしながら、この登山ルートは登り一辺倒。緩やかな部分はあったが、それも束の間。かなりきつい。歩いては休み、水を飲むの繰り返しになってきた。かなり大きな石英が道に露出していたが、さすが掘り出して持っていけるような代物ではない。破片が散乱しているが、ここらでは石英が採れるのだろうか。風に乗って硫黄の臭いもするから、やはり剱周辺は火山帯なのだろう。
7時42分、早月小屋に到着。小屋は閉ざされ、周囲には人の気配が無い。後続のヘッドランプの人には結局追いつかれなかった。ここまで3時間半弱。まっ、こんなものだろうか。5時間の熟睡が無かったら、もっとかかっていたかもしれない。剱が見えた。やはり雪を冠っているが、どの程度までかは分からない。ここまでは雪は無かった。立山から大日岳にかけては真っ白。フリースを着てきたが、汗でびっしょり。脱いだ。気温は8℃。
ここから先は取りあえず行けるところまで行ってみよう。もしかすると山頂まで行けるかもしれない、なんて甘い考えも少しはあった。装備は用心のために用意した6本爪のアイゼンだけ。ストックも一応は持っていたが、ずっとザックに結わえ付けてある。稜線の岩場から雪が出てきた。この雪が固い。赤ペンキの2450m表示を過ぎてから、アイゼンを着用。雪はかなり固くなってきて、直登はそれなりに楽だが、トラバースが不安定になる。2614m峰の直下はアイスバーン状態になっていた。積雪そのものは30cm程度なのだが、下部が厚く凍り付いている。ある程度の登りは爪を引っかけながら進むから問題は無いのだが、次第に不安になってきた。下りはどうすんのだろう。6本爪では役立たず。前後に爪が無いから、つま先やかかとから着地が出来ない。靴の中心部を雪面に当てて降下するしか無い。危険な歩きであることは確実。もう先に進むのはやめよう。危険度が累積していくだけ。2614m峰はすぐそこに見えるのだが。
ストックの先を出して雪面に当ててみたものの、アイスバーン状態だからはじき返される。ささらない。こんなもの持って下っていたのでは危ないから、またザックに収めた。急な斜面だけあって、ロープが結わえてあるのだが、このロープが雪の下に入り込み、引っ張っても出てこない。下が固まっている。致し方なく、周りの枝につかまりながら、登った格好でゆっくりと降下。下は谷になっていて、ヘタすれば滑落。枝があるうちはいいが、無いところは、石や氷、草につかまって降りた。安全圏に戻るまで、こんな冷や汗エリアが2か所あった。しみじみとバカなことをしたもんだと思った。ここから先はアマの領域じゃないね。山でこんな冷や汗をかいたのは、もう16年前になろうか、平が岳で熊に遭遇して以来だ。
命拾いした感じで早月小屋に戻る。途中、2人に出会う。一人はピッケルを持った関西弁の青年。背中にはヘルメット。12本爪アイゼンは持っているという。あの装備なら先ず大丈夫だろう。オレとは雲泥の差。どう見ても、雪山をなめ切った自分の装備は情けない。続いて会った京都言葉の中年。ダブルストックで歩いて来る。アイゼンは持っていないと言う。「行けるところまで行きますわ」なんて言っていたが、アイスバーンのことを話したら、「そのうち、雪がやわらかくなりますわ」だって。陽の当たらない北向き斜面の雪が溶けだす来年の夏まで根気よく待っている気でいるらしい。やはり京都のお公家さんはおっとりして気が長い。オレのような関東モンから意見を言われるのがイヤなのだろう。
小屋に着いた。往復2時間半。すごい体験をしたものだ。こんな危ないことはもうやめよう。テントが一張り。さっきの青年のものだ。オジさんが一人休憩している。小屋までは来たけど、山頂を見て、登頂はあきらめ、もう帰るところとのこと。これが正解。すごい勢いで下って行った。
小屋前でリンゴを食べて一服し下る。長い急な下りが続く。ゆっくりと紅葉を見ながら歩いて行く。1000m付近で上下トレパンスタイルのオジさんが登ってきた。寡黙な感じだったので、話しかけはしないが、もう11時過ぎなのに、これからどうするのだろうか。テントを持っている様子はないし、小屋が営業中とでも思っているのだろうか。
もう少しで登山口という辺り。3人の年寄りが真っ赤なモミジの大きな枝を肩にかけて歩いている。ひどいことをするものだ。木だったら必ず文句を言うだろう。オレは思っても言えない。
13時着。小屋からの下りに2時間半もかけてしまった。汗を流したいが適当な風呂屋がない。馬場島荘ではてっきり風呂を使えると思っていたのだが、看板にはそんなことは何も書かれていない。「宿泊」「食事」しか表記されていない。そもそも「馬場島荘」という名称の看板が無い。これが馬場島荘とばかり思いこんでいるだけのことだろうか。帰り道に風呂屋は無かった。今日の冷や汗は自宅の風呂で流すしかないか。
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