
◎2012年1月2日(月)
近場で楽に登れる山を探したら谷倉山があった。栃木市の山らしいから、確かに近いだろう。ところが、ナビを「星野遺跡公園」にセットしたら、意外にも遠く、東北道の栃木インターまで行くことになってしまった。自宅から1時間半かかった。これでは近場の山とは言えないかも。栃木県内に谷倉山は少なくとも2つある。今回の標高600m程の谷倉山と、ここから永野川をさらに北上したところにある750mの谷倉山だ。こちらは鹿沼市になっている。今日は前者の谷倉山に行く。
(最初の二股を右に行った)

星野遺跡公園に車を置き、8時40分に出発。後ろには三峰山(鍋山)が聳えている。公園からは向かいに谷倉山も見えている、電波塔が山頂に建っているので識別は容易だ。一旦、元の道に戻り、谷倉山方面に向かう舗装道を歩く。「星野遺跡地層たんけん館」に向かう標識があった。ちなみに、このあたりで縄文時代の遺跡が出てきたらしく、駐車場脇には茅葺きの縄文ハウスが3つほどあった。すぐに二股になる。林道の開墾記念碑とともに新旧の石の道標が2つ。新には「右山口沢 左地層たんけん館」と記され、旧には「右岩倉山道 左柏尾道」と記されていた。旧の石道標のイメージを期待しても、昔日の山道の面影はないであろう。それにしても、岩倉山=谷倉山なのだろうか。ここを右に向かう。「林道山口沢線」の標識があった。この風景はネットの記事でよくお見かけしていたので、初めて来た感じがしなかった。
(次の二股は標示に従い左へ)

この分岐、左を行けば、「たんけん館」の正面を通ることになるが、右に入ったから、たんけん館の裏を通る形になる。帰路はここに戻ることになった。農村風景の中を歩き、また二股。普通はここを右に向かうらしいが、分岐に「←←←谷倉山」という手書き案内板があったので左に入ってみる。それでいて、栃木市森林組合の案内板には、「草木をとるな」とともに「行き止り」とあった。8時49分。「谷倉山」への案内表示板は、山頂まで、これだけだった。おそらく、正規のルートではないところを歩いてしまったらしい。
(沢にはバリケード)

(尾根に這い上がる)

林道がそのまま延びているが、車の通行は軽が精一杯だろう。植林帯で薄暗い。しばらくこの道沿いに行くが、どんどん北西に向かっている感じで(実際は北だったようだが)、このままでは、山頂から外れ歩きをしているような錯覚にもなり、適当なところから尾根に出た方がいいだろうと思っていたところに尾根の末端が見えた。道はそのままカーブしている。分岐以来、標識は見かけない。一旦、沢伝いに登るものの、この沢がまた、倒木やらで荒れている。いたたまれず、尾根に無理矢理に這い上がった。
(東西の尾根に合流。右手に谷倉山)

尾根には踏み跡らしいものがあった。テープもある。何を意味するものか、標柱も散見する。意外にも急な尾根である。地形図を出すが、自分がどの尾根を歩いているのかよく分からない。右手先に谷倉山らしき山頂が見えている。この尾根をそのまま北上すれば山頂を東西に結んでいる尾根には出られるだろう。迷ったところで、小さな山だし、とんでもないことにはなるまい。きつい尾根だ。今日は下が凍っているかもしれぬと、鋲付きゴム長にしたが、少し大きめなのか、足を上げるたびに、中で足が浮きかける。足の選択を失敗したようだ。ゴム長はやはり急登には向いていない。
(谷倉山山頂)

幾分緩やかになり、「栃木市寺尾財産区」の標識を見る。この山林は入会地なのか。目の前にまた植林が出て来た。雑木から植林に入るのも珍しい。普通は逆だが。陽が差し込む植林を一登りして何とか山頂尾根に出た。9時38分。また雑木になった。あとはもう地形図通りだし、右手にアンテナ山が見える。9時47分、山頂着。たいして特徴のないピークだ。三角点と山名板。展望はまったくなし。北に開けた方に展望他があるらしいので北に向かう。ところが、気づかずに南にしばらく向かって歩いていた。逆戻り。
(日光連山)

(奥の山が気になった)

北側のピークからの展望は同じようなものだ。さらに北に下ったあたりで開けた。絶景とは言えないが、ある程度の眺望を楽しむことは出来る。日光連山から東側。東側は伐採され、林道がそこまで来ている。谷倉山の東側、あの間近に見える山は何というのだろうか。もう宇都宮の山だろう。気になった。谷倉山よりも低いか。この記事をお読みいただいている方で、ご存知の方がいらしたらお教え願いたいところ。位置的には304.5m三角点のあるようなあたりだと思うが。
(ここを左に下った)

山頂に戻り(10時15分)、西の尾根を下る。さっき上がって来た合流点を通過。帰りは南北に点線が走っているところを南下する予定。左は杉の植林、右手は雑木。踏み跡はしっかりしてはいないが、ある程度の方が歩いているといったところか。そろそろ、南下するあたりに着いた。テープが目立つ。そして、手書きの「谷倉山→」板があった。おそらく、ここが下りだろう。ところが、南北の点線にあたいする道は見あたらない。大分先に行ってみたが、上りになりはじめたので戻る。行き過ぎたのだろうか。適当に南に下れば林道に出られるだろう。10時32分。
(見た目は大したものではないが、上りに使いたくはない)

ここもまた急な尾根を下った。鋲付きゴム長も、下りは重宝する。滑ることがなく、地面にフィットしてくれる。下りきり、上を見上げると、ちょっと、ここを上りで使うわけにはいかないなと思った。さて、どこまで下ればいいのやらと思っていたところ、下にしっかりした踏み跡が見える。そこに出てみると、「小山芳姫の墓→50M」の標識があった。ネットでこの墓のことは事前に知っていた。墓というよりも、慰霊碑のようなものかと思う。50m程度なら行っても損はないだろうと、寄ってみた。南無阿弥陀仏の碑と、歌碑があった。歌碑の裏を見ると「享保」の字が読める。おかしな格好をした小さな石灯籠。そして、不思議にも将棋の「香車」の駒が供えてあった。そして、手書きで「よし姫よ、あなたわいつも芳しい。……」と書かれた手製の表示。これは比較的に新しい。芳姫ファンのものと思われる。
(小山芳姫の墓案内)

(その墓)

(芳姫墓への正規のコースだが、ここも荒れている)

(やがて、しっかりした林道になった)

ここからは、帰り道もしっかりしているだろうと高をくくったが、沢筋で、ここもまた荒れている。栃木市教育委員会発行の「小山芳姫の墓→●M」だけはしっかりしている。この墓を見たさに、標識頼りに来てしまっては、沢の荒れように、その先迷うばかりだろう。沢を渡ると、幅広の道になり、やがて林から抜け出した。10時58分。未舗装だが、ガードレールも付いている。ようやく、陽が当たるところに出られた。せっかくだから、ここで食事としよう。
今日は、ぶなじろうさんご推奨、セブンイレブン特製のカップラーメン「中華そば」を買って来た。初めていただく。日当たりで暖かくて気持ちがいい。風もなく。湯もさっさと沸いてくれた。確かにおいしかった。難を言えば、化学調味料の味がやや強めか。カップラーメンはそんなものかもしれない。
(星野遺跡地層たんけん館。5日まで休館のようだ)

(本日唯一の石祠)

(三峰山)

(駐車場)

11時20分、出発。向かいに三峰山を見ながら林道を下った。さっきまでの天気はどこにいったのやら。陽が隠れると風が出てきた。ここのところ続いて良天もそろそろお終いだろうか。左手に「星野遺跡地層たんけん館」の玄関があった。そして、その先には、今日はお会いできまいと思っていた石祠。年代も何も分からない。これを、自分に見合った初詣としよう。出発時の二股に合流した。ちょうど、ぐるっと回った形だ。せっかくだから、寄り道して写真を撮りながら、駐車場に戻った。11時30分。2時間50分のあっけない歩き。今日はだれにも会わなかった。
近場で楽に登れる山を探したら谷倉山があった。栃木市の山らしいから、確かに近いだろう。ところが、ナビを「星野遺跡公園」にセットしたら、意外にも遠く、東北道の栃木インターまで行くことになってしまった。自宅から1時間半かかった。これでは近場の山とは言えないかも。栃木県内に谷倉山は少なくとも2つある。今回の標高600m程の谷倉山と、ここから永野川をさらに北上したところにある750mの谷倉山だ。こちらは鹿沼市になっている。今日は前者の谷倉山に行く。
(最初の二股を右に行った)

星野遺跡公園に車を置き、8時40分に出発。後ろには三峰山(鍋山)が聳えている。公園からは向かいに谷倉山も見えている、電波塔が山頂に建っているので識別は容易だ。一旦、元の道に戻り、谷倉山方面に向かう舗装道を歩く。「星野遺跡地層たんけん館」に向かう標識があった。ちなみに、このあたりで縄文時代の遺跡が出てきたらしく、駐車場脇には茅葺きの縄文ハウスが3つほどあった。すぐに二股になる。林道の開墾記念碑とともに新旧の石の道標が2つ。新には「右山口沢 左地層たんけん館」と記され、旧には「右岩倉山道 左柏尾道」と記されていた。旧の石道標のイメージを期待しても、昔日の山道の面影はないであろう。それにしても、岩倉山=谷倉山なのだろうか。ここを右に向かう。「林道山口沢線」の標識があった。この風景はネットの記事でよくお見かけしていたので、初めて来た感じがしなかった。
(次の二股は標示に従い左へ)

この分岐、左を行けば、「たんけん館」の正面を通ることになるが、右に入ったから、たんけん館の裏を通る形になる。帰路はここに戻ることになった。農村風景の中を歩き、また二股。普通はここを右に向かうらしいが、分岐に「←←←谷倉山」という手書き案内板があったので左に入ってみる。それでいて、栃木市森林組合の案内板には、「草木をとるな」とともに「行き止り」とあった。8時49分。「谷倉山」への案内表示板は、山頂まで、これだけだった。おそらく、正規のルートではないところを歩いてしまったらしい。
(沢にはバリケード)

(尾根に這い上がる)

林道がそのまま延びているが、車の通行は軽が精一杯だろう。植林帯で薄暗い。しばらくこの道沿いに行くが、どんどん北西に向かっている感じで(実際は北だったようだが)、このままでは、山頂から外れ歩きをしているような錯覚にもなり、適当なところから尾根に出た方がいいだろうと思っていたところに尾根の末端が見えた。道はそのままカーブしている。分岐以来、標識は見かけない。一旦、沢伝いに登るものの、この沢がまた、倒木やらで荒れている。いたたまれず、尾根に無理矢理に這い上がった。
(東西の尾根に合流。右手に谷倉山)

尾根には踏み跡らしいものがあった。テープもある。何を意味するものか、標柱も散見する。意外にも急な尾根である。地形図を出すが、自分がどの尾根を歩いているのかよく分からない。右手先に谷倉山らしき山頂が見えている。この尾根をそのまま北上すれば山頂を東西に結んでいる尾根には出られるだろう。迷ったところで、小さな山だし、とんでもないことにはなるまい。きつい尾根だ。今日は下が凍っているかもしれぬと、鋲付きゴム長にしたが、少し大きめなのか、足を上げるたびに、中で足が浮きかける。足の選択を失敗したようだ。ゴム長はやはり急登には向いていない。
(谷倉山山頂)

幾分緩やかになり、「栃木市寺尾財産区」の標識を見る。この山林は入会地なのか。目の前にまた植林が出て来た。雑木から植林に入るのも珍しい。普通は逆だが。陽が差し込む植林を一登りして何とか山頂尾根に出た。9時38分。また雑木になった。あとはもう地形図通りだし、右手にアンテナ山が見える。9時47分、山頂着。たいして特徴のないピークだ。三角点と山名板。展望はまったくなし。北に開けた方に展望他があるらしいので北に向かう。ところが、気づかずに南にしばらく向かって歩いていた。逆戻り。
(日光連山)

(奥の山が気になった)

北側のピークからの展望は同じようなものだ。さらに北に下ったあたりで開けた。絶景とは言えないが、ある程度の眺望を楽しむことは出来る。日光連山から東側。東側は伐採され、林道がそこまで来ている。谷倉山の東側、あの間近に見える山は何というのだろうか。もう宇都宮の山だろう。気になった。谷倉山よりも低いか。この記事をお読みいただいている方で、ご存知の方がいらしたらお教え願いたいところ。位置的には304.5m三角点のあるようなあたりだと思うが。
(ここを左に下った)

山頂に戻り(10時15分)、西の尾根を下る。さっき上がって来た合流点を通過。帰りは南北に点線が走っているところを南下する予定。左は杉の植林、右手は雑木。踏み跡はしっかりしてはいないが、ある程度の方が歩いているといったところか。そろそろ、南下するあたりに着いた。テープが目立つ。そして、手書きの「谷倉山→」板があった。おそらく、ここが下りだろう。ところが、南北の点線にあたいする道は見あたらない。大分先に行ってみたが、上りになりはじめたので戻る。行き過ぎたのだろうか。適当に南に下れば林道に出られるだろう。10時32分。
(見た目は大したものではないが、上りに使いたくはない)

ここもまた急な尾根を下った。鋲付きゴム長も、下りは重宝する。滑ることがなく、地面にフィットしてくれる。下りきり、上を見上げると、ちょっと、ここを上りで使うわけにはいかないなと思った。さて、どこまで下ればいいのやらと思っていたところ、下にしっかりした踏み跡が見える。そこに出てみると、「小山芳姫の墓→50M」の標識があった。ネットでこの墓のことは事前に知っていた。墓というよりも、慰霊碑のようなものかと思う。50m程度なら行っても損はないだろうと、寄ってみた。南無阿弥陀仏の碑と、歌碑があった。歌碑の裏を見ると「享保」の字が読める。おかしな格好をした小さな石灯籠。そして、不思議にも将棋の「香車」の駒が供えてあった。そして、手書きで「よし姫よ、あなたわいつも芳しい。……」と書かれた手製の表示。これは比較的に新しい。芳姫ファンのものと思われる。
(小山芳姫の墓案内)

(その墓)

(芳姫墓への正規のコースだが、ここも荒れている)

(やがて、しっかりした林道になった)

ここからは、帰り道もしっかりしているだろうと高をくくったが、沢筋で、ここもまた荒れている。栃木市教育委員会発行の「小山芳姫の墓→●M」だけはしっかりしている。この墓を見たさに、標識頼りに来てしまっては、沢の荒れように、その先迷うばかりだろう。沢を渡ると、幅広の道になり、やがて林から抜け出した。10時58分。未舗装だが、ガードレールも付いている。ようやく、陽が当たるところに出られた。せっかくだから、ここで食事としよう。
今日は、ぶなじろうさんご推奨、セブンイレブン特製のカップラーメン「中華そば」を買って来た。初めていただく。日当たりで暖かくて気持ちがいい。風もなく。湯もさっさと沸いてくれた。確かにおいしかった。難を言えば、化学調味料の味がやや強めか。カップラーメンはそんなものかもしれない。
(星野遺跡地層たんけん館。5日まで休館のようだ)

(本日唯一の石祠)

(三峰山)

(駐車場)

11時20分、出発。向かいに三峰山を見ながら林道を下った。さっきまでの天気はどこにいったのやら。陽が隠れると風が出てきた。ここのところ続いて良天もそろそろお終いだろうか。左手に「星野遺跡地層たんけん館」の玄関があった。そして、その先には、今日はお会いできまいと思っていた石祠。年代も何も分からない。これを、自分に見合った初詣としよう。出発時の二股に合流した。ちょうど、ぐるっと回った形だ。せっかくだから、寄り道して写真を撮りながら、駐車場に戻った。11時30分。2時間50分のあっけない歩き。今日はだれにも会わなかった。
いやぁ~、次から次へと新手の山を発見するものだと感心しております。歩きも独特の嗅覚を発揮され落ち着き払っておりますね。私の場合、この手の山では想定外の林道や小道に出くわすとパニックに陥り、ドキドキになってしまいます。
セブンイレブンの中華そば、食いましたか!「とんこつ」味もあるようなので、次回試してみます。
さて、この山も安蘇山塊の入門編でしょうか。一応、栃木百名山にはなっているのですが、珍しく短時間ヤブ系の山でした。あっという間ですから、消化不良気味になるかも。ハイトス氏なら、絶対にもう一山でしょう。
とんこつですか。いいですね。私も早速ですね。
昨年は秀逸でしたが。(笑)
確かに3時間掛からない山ならば同じような山をもう一つ追加したくなりますね。
でも考え方を変えれば正月のたまりたまったアルコールを発散するには丁度良い?のかもしれませんね。
今年も4日から出勤ですか。ご苦労様です。
そういえば今日は病院へ行ってきたのですが、ちゃんと4日からやってましたね。
もう一つの谷倉山にでも行けば良かったかなとも思っています。
ただ、この時期ですから、あまり長時間歩きは遠慮しておきたいところですが。
金の崩し方が、現代の香車の裏では無くて、
桂馬の裏程度に、軽く崩してあったりし
ます。南北朝時代は、麒麟抄のいたずら
書きにあるように、将棋の駒の裏は、全部
「崩して書く」金でした。角行と飛車は、
現代日本将棋に連なる、東福寺難破船
小将棋には存在せず、東福寺難破船小将棋
の香車は、恐らく現代の香車と同じ型、
1~2画の「ハ」型も崩された香車だった
と見られます。持ち駒ルールに対応する為
です。それに対し、藤原の氏の女である
小山よし姫を象徴する「香車」は、藤原貴族
の将棋、大将棋系の駒だったため、裏の金
の文字の崩し方は、駒の種類によらず同じ
だったと見られます。その藤原氏系大将棋の
角行が一枚、小山市内で出土しているので、
平成19年以降現在では、桂馬の裏程度の
崩した「金」と推定できます。なお、南北朝
時代の大将棋の駒に、よし姫の墓の駒が
本格的に入れ替わったのは、今年からの事と
見られています。こうした作成用の無地の
駒は、東京四谷三丁目のリバネスカフェの
株式会社ねこまどという所で、購入する事が
可能です。
>不思議にも将棋の「香車」の駒が供えて
>あった。
将棋そのものを、まずは嗜まないものですから、駒そのものの知識も持ち合わせてはおりませんでしたが、何となく、おっしゃることは理解できたような。
日光の開山堂のお堂にも、この香車が供えてあったものですから、つい、同じようなものかなとも思いましたが、あちらは安産祈願のようで、まったく別物なのですね。
どれないので、別物と決め付ける事は不可能
では。なお、小山市神鳥谷曲輪遺跡08号井
戸跡からは、裏金角行駒のほかに、日光二荒
山神社紋である、左三つ巴紋の入った火鉢の
破片、女物の下駄、櫛の破片が出土していま
す。小山市神鳥谷曲輪遺跡は、28~9歳で
亡くなったとの世阿弥の物語、中将姫ゆかり
の寺名、青蓮寺堤の地名や、青蓮寺が遠い昔
は尼寺だったと言う文献が残る場所と言いま
す。なお、小山よし姫の夫の小山義政は、享
年が34歳ともされ、小山の中将姫は、存在
したとすれば、日光二荒山神社紋の火鉢で、
冬季に暖を取っていた、小山よし姫のなぞら
え者のようにも見えますね。なお、1363
年に「芳賀高名の乱の小山氏による調停」と
いう一件があり、小山義政が、14歳前後で
元服の頃、下野宇都宮氏の殿様、宇都宮氏綱
には、小山一族に、大きな「借り」があった
と聞きます。なおご存知の事とは思いますが、
日光二荒山神社は、宇都宮二荒山神社と同じ
く、室町時代以前昔は、下野宇都宮氏の事実
上の持ち物でした。又言うまでも無く日光東
照宮は江戸時代以降で、その前は日光のあの
場所は、滝尾神社の位置に二荒山神社のみで
す。
>日光の開山堂のお堂にも、この香車が供えて
>あったものですから、つい、同じようなもの
>かなとも思いましたが、あちらは安産祈願の
>ようで、まったく別物なのですね
大倉山か304.5M三角点でしょうか。
どちらも歩いたことはあるのですが、とんと記憶にありません。
お力になれずすみません。
この谷倉山は栃木百名山なんですよねえ。何でですかねえ。
もう一つの谷倉山には思いっきり何もないです。でも何故かしらベンチがあったような?
早速ありがとうございます。私もその辺かなとは思いましたが、野球親爺さんでもはっきりとは分かりませんか。期待したのですが。
もう一つの谷倉山とか、高谷山とかにも行ってみたいところです。おそらく、野球親爺さんのルートを辿ることになるでしょう。