たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

そして太田・金山の紅葉見物。これで今季の紅葉目当ての歩きは終わりにしよう。

2019年12月07日 | 近くの紅葉見物
◎2019年12月1日(日)

こどもの国駐車場(9:-08)……最初のハイキングコース合流(9:38)……金山山頂・新田神社(10:29)……物見台(10:55)……こどもの国(11:25)……駐車場(11:39)

 先週から俄かに寒くなり、それに合わせるように骨折した左足首が痛くなった。下から膏薬、厚手の靴下、ホカロン、ヒートテック、さらに足首ウォーマーとがんじがらめの重ね履きの状態になった。寝る時はウールの靴下を履いた。それでも歩くととにかく痛く、左足は外側を向いてしまってビッコ引きの歩きになり、一時はステッキを持って歩いた。駐車場から事務所までが長い。150m以上ある。やがて腰も痛くなっての悪循環。前記事の市内巡りの紅葉見物はそんな状況の中でのこと。ちなみにビッコとは差別用語らしい。気になって調べると、オッサン、ジジ、ババ、ハゲ、デブ、ブス、オカマ、ホモまでが差別用語になっていたのには驚いた。これでは、親しき仲には礼儀なしの会話もできやしない。
 手術後に通った整形外科に行くと、X線を撮られて、抜釘手術の跡はほぼ消えましたねと、痛み止めのロキソニンと膏薬を処方され、意味のないと思っていた同じメニューのリハビリを改めて受けることになった。さりとて痛みは消えない。この医者はやはりヤブだなと、翌日は足利のペインクリニック。こちらの方がまだ確かに思えた。硬膜外ブロックを打たれ、患部に赤外線を当てられた。赤外線はたまにやりに来るといいと言われた。足の上げ下ろし運動よりは効果もあるだろう。
 数日は良かった。ステッキも手放した。朝晩の犬の散歩はビッコ歩きのままだ。このままで暖かくなる春まで待つわけにもいくまい。せめて、今季のモミジ見物のけじめとして金山ぐらいは登っておこう。この足で歩けるのかどうかはわからない。とにかく、足の状況は金属を入れたままの一年前に戻ってしまっている。紅葉度外視で行きたい山はいろいろあるし、根本沢の石祠も確認したいが、今の足では無理というもの。12月に入って気がせいてきた。金山を歩いて、足の具合がどんなものなのか確認しておくべきか。好きなことをしているうちは痛みも忘れてしまうもの。日常歩きが不便でも山歩きが普通にできればそれでいい。

(いつもは先の突きあたりを右に曲がるが、今日はこのまま取り付くことにする)


(取り付き。左にフェンス)


(この針金外しに苦労して、結局外せなかった)


 金山は改めて記すまでもなく、ヤブ歩き向きの山ではない。あちこちからハイキングコースが入っていて、チョイヤブをやっても、すぐにハイキングコースに合流してしまい、八王子丘陵の山に比べて面白みがないし、ハイカーも多い。だが敢えて金山にしたのは、市内の紅葉スポットを一通り見た以上は、山頂の新田神社の紅葉も見ておくべきだろうと理由づけをした。そこかしこにハイキングコースがある以上は、せめて人通りの少ない金山の森キャンプ場からのコースがいいだろうと、ぐんまこどもの国の駐車場に乗り入れた。キャンプ場は山を越えて反対側だが、ちょっとしたヤブを歩けば、キャンプ場からのコースに合流し、周回もできる。
 ここもまた尾根末端から歩いてみたいところだが、民家が建て込んでいて無理。おまけにイノシシ除けのフェンスが張り巡らされている。ヤブ区間を少しでも長くしようと、駐車場を抜け、フェンスが設置されたところから歩いた。楽勝だと思いながらも、ストックを一本持った。これが助かった。右手でストックを使い、左手でフェンスにつかまりながら登った。特別に急でもないがすぐに息切れした。金山に行くのに、わざわざこんなところを歩くのは自分くらいのものだろう。ヤブというレベルではないが少しは満足できる。
 尾根に出た。フェンスは尾根伝いに続いている。外に出たい。だが出られない。しばらくフェンスに沿って内側を歩いて行くと、フェンス抜けのゲートがあった。ようやく解放されたとほっとしたが、このゲート、開閉レバーだけではなく針金で固定され、しかも、その針金がきつく結わえられていた。いくらふんばってもペンチでもなければこの針金は外せない。あきらめる。

(フェンス沿いの歩き。チョイヤブ歩き)


(ここからフェンスの外に出る)


(金山にしては細い道が続いている)


 結果としてあきらめて良かったということになる。その先に、フェンスはヤセ尾根のヘリぎりぎりに設置されているところがあり、無理にフェンスの外に出たとしても、ここで行きづまることになる。フェンスに身を預けて歩くには外側は垂直に近い斜面になっていてかなり危ない。ここで、さっきのゲートが針金で固定されていた理由を納得したが、そこから抜け出そうとあきらめ切れずにいたオノレの姿は気が触れているとしか思えない。
 フェンスに二つ目のゲートがあった。ここは針金がない。ゲートナンバー「2」とある。ということは、針金付きのところが「1」だったのか。ここは記憶にある。今日は前回のチョイヤブのさらに下から入ったからこうなったが、前にここを歩いた時はこの「2」から抜けた。ここには当時はなかった「豚コレラ対策のため靴底を消毒…」と、新しいタワシが置かれている。ここでようやくフェンスの外に出た。もう、フェンス沿いの小道になっていて、チョイヤブもここで終わり。20分も持たなかった。正確には16分。金山はこんなものだ。ここのゲートには「起点から時計回り271m」という標示があった。これはフェンスの距離。271m歩くのに16分とはどういうこっちゃ。その間に便圧に耐えられなくなって時間をとられたわけでもない。情けなくなる。待てよ。針金の細工外しに5分以上は夢中になっていたか。

(数えはしなかったが、ゲートくぐりがいくつかあった。その都度に道は太くなる)


(この辺の紅葉1)


(この辺の紅葉2)


(キャンプ場とこどもの国を指す標識がかなりある。つまり、どこからでも歩けるということ)


 あとは、歩いたことのあるハイキングコースだ。敢えて細かに記すまでもない。金山へのマイナーコースとはいえ、ネットの検索に「太田 金山 金山の森キャンプ場」と入れればかなり出てくるはず。と思って、実際に調べてみると、これがまた少ない。大方がこどもの国の中にある自然ふれあいゾーンから登っていて、キャンプ場から登るハイカーもいるはずだが、ネット記録では稀な歩きだ。詳細に記すほどの、面白みのあるハイキングコースでもないからだろう。こどもの国コースもキャンプ場コースもいずれは合流する。周回するならこどもの国から入る方が都合は良い。
 キャンプ場からのコースが左からいくつも入り込む。上に向かう道がやたらとあるのだろう。そのうちにこどもの国からのコースも加わってくる。その都度にフェンスにはゲートがある。キャンプ場側のゲートは下にあった。このフェンスを金山イノシシが突破するのはかなり難しい。肝心の紅葉はといえば、たいしたものはなく、樹々の小さな葉が変色しかかったり、淡かったりで、足を止めるほどのモミジはない。

(このイラスト看板の展望台のある所から下ることにする。ちなみに展望台は駐車場にある。後で気づいたが、西城跡があることからして長手口古道というのがそれなのかもしれない)


(右回り、左回りの分岐はすべて右で通した。意味はない)


 ゲートをくぐって小広場。その先にハイキングコースの看板。いつもなら、ここを歩けば、帰路は根本山経由でこどもの国のパノラマチェア脇を通って戻るのが定番だが、看板を眺め、今日は物見台まで行って、そこから下ることにしようと決める。物見台に行きたい理由もあった。昨日、車から見えた赤城山は白くなっていた。それを展望の良い物見台から見たかった。
 差別用語のオッサンが下って来た。おはようございます。会話はないが、おそらく早い時間から金山に登ったのだろう。以降、しばらくはだれにも会わない。時間的にせよ時期的にしても、大光院側から登るのがオーソドックスで圧倒的だ。だれもいないのを幸いに尿意を覚え、ハイキングコースの傍らで社会の窓(もはや死語)を開けてつまみ出そうと指を入れたら、後ろに人の気配。オッサンとアンチャンの二人組。親子ではない。仕事仲間か。自分の感覚では微妙ながらも、基本的な序列は上から、ジイチャン、オジサン、オッチャン、オッサン、オトウサン、青年、アンチャン、ニイチャン、少年、学童、幼児、赤子だ。あくまでも見かけでの直感。女性の場合、山歩きの大方はバアチャン、オバチャン、妙齢、ネエチャンで、美少女は範疇にない。それはともかく、同性の前でも放尿スタイルはいただけない。つまみかけの指をすばやく引っ込め、景色を見るふりのスタイルにしたが、目の前に景色はなく、紅葉もなし。チャックを開けたままの、言い訳のつかない無理な休憩スタイルでコンニチワだ。
 先方も気づいたのだろうが、まぁ日常的なことでもあるので、そのまま過ぎて行った。この二人組、山頂の下まで前後して歩くことになる。オッサンは小さなショルダー型の巾着で、アンチャンは空身だった。別に紅葉を楽しむ気配もなく、カメラを持つ姿を見ることはなかった。

(坂中城址に続くヤブ道)


(根本山方面は通行止め)


 何人かの下りのオジサンに出会い、ランニングのニイチャンとネエチャンに抜かれる。坂中城址の入口にさしかかる。どうしようか迷った。二人組を巻くには手頃な時間つぶしの場所ではあるが、行ったところで石碑があるだけ。ヤブも濃くなっている。パス。
 根本山ルートは塞がれ、「災害通行止め」になっていた。まさか台風の影響でもないだろうがとは思ったが、まさに台風19号の爪あとだった。これは後で知る。いずれにせよ、いつものコースで子供の国に下ることはできず、物見台経由しかない。浅間神社経由もありだが、こどもの国の駐車場までの車道歩きが長くなる。
 山頂は近い、次第にきれいな紅葉も目に入る。そんな写真を撮って時間をつぶしても、二人との間隔がすっきりしない。先で追い越しては元に戻る。これがカップルだったら、手頃なところに腰かけ、吸いたくもないタバコを吸って時間をつぶすが、その気にならない。

(實城山北裏塹壕)


(城の石垣)


(神社を回り込んで1)


(同じく2)


(同じく3)


(同じく4)


(同じく5。好みの色ではない)


(桐生方面)


 實城山北裏塹壕の碑が置かれたところに着いてしまった。堀切だ。もう金山城ゾーンに入っている。そして、その先には石垣跡と本丸裏馬場阯。城址好きな方なら何度見ても面白く感じるだろうが、こちらは見飽きた状態だ。まして知識も突っ込むほどの興味もない。熱心に城の痕跡を一眼に収めているオジサンがいた。きっと好きなのだろう。
 新田神社の屋根が見えてきた。このまま裏から上がってもいいが、左に正面に回る道があるので、そちらに行く。見上げるモミジは日影と陽の差し込みの組み合わせできれいだ。わずかな区間ながら、ここを歩いたのは初めてかもしれない。だれもいない。得した気分になった。そして桐生の街並み。遠くは霞んでいて、山並みは直線だ。

(こんな無粋な仮設の渡しでも、松葉杖で来た時には使わせていただいた)


(こんなのを見て)


(新田神社)


(境内で見かけた唯一の赤)


 石段の脇には、およそこの神社には似合わない鉄パイプの仮設階段が設えられている。依然としてこのままということは、もしくは、仮設ではないのかもしれないが、これはどうにかならんものか。
 新田神社そのものの紅葉は赤いのを一本見かけただけで、あとは紫色系になってしまっている。もう終わりなのだろう。むしろ、下の大ケヤキ周辺がきれいに紅葉している。新田神社、御嶽神社、稲荷様に手を合わせて、そそくさと下に行く。その間、境内の隅で一服したが、ハイカーが上がって来たので、タバコはもみ消した。二服しただけ。

(大ケヤキ)


(先にあるのは鳥居)


(日ノ池をバックにして)


(ここは賑やか。標識が気になる)


(ちょうど見頃)


(金山に登る人は多いが、モミジを楽しむ人はさほどにいないのが不思議だった)


(こんなものでいいか)


(ここに天守閣でも建てたらお笑いものだ)


 公園化した神社下を一回りして、一応、満足のいくモミジを見て、これで十分。青葉も残っていたが、そこまで求めたらきりがない。山の城址というセッティングも良かった。紅葉見物も今季はこれでよかろう。去年は、まっとうな紅葉は崇禅寺だけだった。それに比べれば栗駒山から始まった今年の紅葉見物もピリオドで結構。
 展望台で東京方面を眺めた。スカイツリーは見えず、こちらもまた遠くは霞んでいる。ここでようやくトイレに寄る。小用を済ませて出て来ると、休憩舎の外のベンチに座っていたネエチャンと目が合った。別に非難の目つきではないが、何だかバツの悪さを感じた。これは意識のし過ぎ、気の回し過ぎだろうが、前回の鈴ヶ岳の一件以来、施設として存在するトイレを使っても、何だが自分が悪いことをしているような気がしてならない。しばらく続きそうだ。

(物見台)


(赤城山)


(遠くに男体山。写ってはいないが、雪の日光白根も見えていた)


 ベンチに腰かけるつもりが、そんな状況では立ち寄れもせず、そのまま物見台に向かう。物見台にはオッサンがいた。時間つぶしで三角点を眺めている間にオッサンは消えてしまった。
 物見台から期待した赤城山の雪は消えていた。雪があったのを見たのは昨日の朝八時だ。昨日のうちに融けてしまったようで、カメラの望遠で、かろうじて谷筋に細い白い糸が見えただけ。雪山はどこかにないかと探すと、日光白根だけで、男体山にも雪はない。浅間山も谷川岳も、元よりここからは見えないのか、もしくは遠望がきかないのか、他に白い山は見えなかった。

(下山にかかる)


(山歩きに来てこんなところを歩きたくはないが仕方がない)


(上での最後の色づきを見て)


(こどもの国に向かう)


 城址の回廊を通って、上の駐車場が見えてくる。ここに車を置いて、新田神社に行く方のほとんどが空身で、スニーカースタイルだ。まぁ、その程度の山だ。今日はカップル、ファミリーだらけ。自分もまた、松葉杖で山頂に行った時はここに車を置いた。この辺の紅葉もきれいだが、少し淡いか。もうお終りにしたのだから、うだうだと書くことはやめよう。
 こどもの国まで400mの標識。ここからではこんなものなのか。何だか、ハイキングレベルにも達していないような気分になった。散歩未満だ。400mにしては長い感じがして遊園地が見えてきた。

(先に行けず、ゲートを出て右に迂回)


(こどもの国に出る)


(ここは金もあまりかからない公園だ。天気の良い休日はいつも家族連れで混んでいる。ここの食堂のラーメンはおいしいという評判だが食べたことはない。食べに行ったら、場違いな雰囲気を感じるだけだろう)


 フェンスを抜けると、前は通せんぼ。「管理作業中」とあり、右の「ダイナミック広場」300m先に誘導される。予定では直進50mの「ぼうけんのとりで」だった。ここのフェンスには「起点から時計回り2650m」とあるが、フェンスは途中で消えてどこかに行ってしまったから、おそらく、こどもの国を巻く形で張られているようだ。
 そしてゲートの17番。根本山を経由するとここに出るし、パノラマチェアの階段を使って下ることもできる。園内に入った。肝心のチェアは動いていないが、家族連れが随分と遊んでいる。

(長手口古道入口)


(山ぎわコースで)


(金山方面の紅葉)


(駐車場)


 「長手口古道 史跡 ⇒」という標識が気になった。古道の名称は初めて知った感があるものの、ここは今日下って来た道に合流するようだ。長い古道ならここから歩いてもみたいが、あっという間に上の駐車場に着くのなら、あまり歩く意味もあるまい。
 この古道だが、立入禁止になっている。その理由は「この先台風19号被害のため」とある。こんな山でも崩れ箇所があったようだ。根本山下りが不可なのも台風の影響だろうし、パノラマチェアが運休しているのもしかりだ。
 園の外側の歩道(山ぎわコース)を歩いて駐車場に着く。もう満車状態だ。出がけに前後して出発したオジサンがいたが、向かいの車に戻って来た。どう歩いたのかは知らない。途中で出会うこともなかったし。
 二時間半のあっけない金山歩きだったが、足の痛みももつれもつんのめりもなかった。今度はもう少し長距離を歩いてみよう。ここにきて、またリハビリ歩きに戻るとは思いもしなかったが、古傷も季節の変わり目には変調を来たすし、ことに冬は寒さでどうしようもない。足の酷使もできないだろう。さすがに沢歩きは無理か…。水の流れも少なくなって冷たくはあるがタイミング的にはいいかなと思っていたのだが。

※この金山、しょっちゅう登っているわりには、たかが知れた山だし、城址と神社以外の見どころはあまりない。さらに短時間の歩きで終わってしまうので、あまりブログ記事にしたことはなかった。今回は紅葉の中の歩きというのがあったので敢えて記事にしてみたが、相変わらずたいした歩きもしていないわりには自己満足のダラダラ文章になってしまった。それゆえに、コメントをいただくほどの記事でもない。コメント欄は外させていただいた。ご了承のほど。

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